疑問を持つこと

子供の頃、目に見える物を見たり触ったりするとき、「本当にこれはここにあるんだろうか」と疑っていた、というようなことを言っていた人がいましたが、視覚とは概念に基づくもので、見る人の思考を反映します。本当に東京タワーはあの形なのか、誰が見ても同じように見えているのか、それは疑わしいものです。子どもの頃は、大人にとっては当たり前のことをそのまま信じるわけではないので、「なんで?なんで?」と言いながら、少しずつ地上の秩序を学び、感覚に刻んでいきます。

大人になったら反対に、当たり前すぎることに疑いを持つことで、「本当にそうなのか?」と感覚を巡らせていくと、刻まれた秩序はどんどん崩壊していきます。そして疑問を持ち感覚を巡らせる自分を見ている自分がいる、その自分を見ている自分がいる、としていくと、自分が解体されていきます。

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