見出し画像

内観と自己想起

自分と向き合うこと、自分を知ることは、当たり前に必要で大切なことですが、これは内観することとは違います。内観については以前から言っているように、肉体の外に出ることがないので、出口のないところで、出口を探して彷徨うことになります。ひどく消耗するものです。

肉体の外に出ないということは、エーテル体をないものとして感情を扱おうとするので、感情体が7層あるにも関わらず、3層までしかないものとします。行き止まりに頭を打ち続けることになるので、果てしない自傷行為のようになりやすいです。肉体を持った自分を自分だと強く認識するようにもなります。

肉体の外に出ないということは、社会のルールから出ないということなので、両親や学校、社会から与えられた価値の中で、そのローカル基準で「自分」を判断していくことになります。自分の中の父と母を越えようとするとき、この父と母が作った世界の中で「内観」をしても、その世界から出ることはありません。どう考えても息苦しいです。

感情を明確に言葉にすることは、何をどう感じているのかを知るには有益ですが、それを突き詰め、果てしなく具体的な言葉にしていこうとすると、その感情を掴んで離さなくなっていきます。感情に捕まると言ってもいいかな。

自分と向き合い、自分を知るというのは、エーテル体から肉体を見るようなもので、グルジェフの自己想起に近い方法で行うものです。ぼんやりと感情を辿り、ぼんやりと記憶を巡り、感情に捕まりそうになったら、ふんわり離れて、それを見る。というようなことを繰り返していると、「あーそうなのか」「そうだったのか」という気づきがあり、いずれ理解に至ります。理解したものからは解放されます。

ちなみに自己想起は、陰陽化を解いて、主客を溶かしていくので、より解放感がありますが、なかなか難しいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?