みんな違ってみんないい

立方体の8つの頂点を自分のものにし生きることができると、陰りがなくなるので、暗闇に吸い込まれるように盲目になることもなければ、暗闇から逃げるように走り続けることもなくなります。そして自分自身に欠けがなくなると、誰を見ても、否定的な気持ちになったり嫌悪することもなくなります。評価することはあっても、投影された影を見るような感情反応はなくなります。こうなると「みんな違ってみんないい」が当たり前になります。そんな大前提、言葉にする意味がわからないくらいになります。

自分自身が欠けているのに、他者を見て「みんな違ってみんないい」んだと言って認めようとしても、それは表向きの気持ちだけ、頭だけがそうわかっていて、心はまったく認めていない場合も出てくると思います。すべてが自分の投影なのだから、自分自身を認めていないのに他者を認めようと努力することは、順番が逆です。なので「みんな違ってみんないい」という言葉の1人歩きに、いつも違和感を感じています。

他者への好感も嫌悪も、他者に自分を見ているから感じるものです。自分を知り尽くすと自分を心底認めることになり、他者も当たり前にどんな違和感もなく認めることになります。

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