仕事に貴賤なし
「退職に追い込むため
研修施設へ異動させ
草取りをさせた」
という、
記事を読みました
技術者にしたら
それは落ち込む出来事だし
パワハラになるでしょう
特に、コロナなど
経済が厳しくなると
このような話は増えてくるかも
しれませんね
・・・・・
大変な状況、でしょうが
でも考えたいことは
職に貴賤なし
これはそれぞれの
受け取り方だろうとも、
思うのです
もし、自分が
その立場だったら
「やったー」と
喜ぶでしょう
草取りが
大好きだからです
それは、たまたまだとしても
やはり、心の在り方
ひとつだろうと思うのです
皆さんでしたら
どうでしょう?
・・・・・
実際、僕は
前職のときに
「仕事せんでええ!」と
上司にパソコンを
取り上げられ
干されたことがあります☺️
回りは
心配してくださいましたが
当の本人は
大喜びで
すぐに人事に電話して
自習・待機していれば
服務と認める、と
了解を取って
好きに本を
読んでおりました
(後に問題となって
大騒動になるのですが…)
・・・・・
「これは、
俺の仕事ではない」
それを決めているのは、
自分
確かに、
諸事情あるでしょうし
確かに、
色々な想いはあります
人間ですから
だけど
職に貴賤なし
これも心ひとつ
その態度は
周りを困らせるかもしれないし
自分自身を
苦しくするかもしれません
もしかすると
助けようとしてくれる、
お天道様の手を
払い除けることに
なっているかもしれません
・・・・・
少し、
話が変わります
父親は、
シベリア抑留兵です
バタバタと倒れていく
仲間たちを
見送っています
日頃、
当時のことを話さない父親が
話してくれたことが
心に残っています
そのひとつが
「生き残る人と、
死んでしまう人は
何が違うのか?」
でした
なんだと思いますか?
体力?
才能?
・・・・・
父親の答えは
「必ず帰る、というキモチ」
でした
父親の話しでは
「帰ったら、郷土のあれを食べたい」
「あれが、美味しいよな」
「もう一度、帰りたい」
談笑に参加した人は
生き残り
それに参加できなくなると
数日のうちに
冷たく、動かなくなっていく
そう話してくれました
「シベリアは寒いのではない、
本当の寒さは、痛い
または、何も感じない」
そんな
過酷な環境ですから
少しの心の違いが
生死を分けてしまうのだと
父親が
しみじみと話してくれました
・・・・・
これは、
シベリアだけのことでしょうか?
目の前の
仕事も同じ
雑事、家事も
同じだと思うのです
目の前のことを
どう捉えるのか?
「生きる意義」や
「周りへの貢献」と
捉える人は幸せになり
「稼ぐためだ」
「やらされているんだ」と
見下している人は
しんどくなります
ひとつひとつのことに
御礼を申し上げる心
自分は、それをまた、
丁寧に深めて
生きたいと思います
読んで下さった方
ありがとうございます
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