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ほしい物は渇望している物なのか?
クリスマスプレゼントを置きながら、シビアなことを考えてしまいました。
子供たちが望んだものは、大手GMSやおもちゃ屋さんのチラシが発端。この販促ツールが入っていなければ、知りえなかったおもちゃたち。
限られたチラシ紙面に盛り込まれたおもちゃから、良さそうなものを選び、サンタさんに手紙を書くフロー。
どうしても誘導感を持ち得てしまった。受動的というか、積極性がないというか。おもちゃには罪はない。自然な流れなのかもしれない。
でも、渇望感がないんですよ。
たまたま見つけた→貰える状況→選んだ
こんな全自動的なフローにちょっと、違和感なんですよね。
偏屈なのでしょうか。
どうしても手に入れたいもの。
それを、1年かけて見つけてもらう形に変えようかな?
ジジババがいると、ことあるごとに、物が手に入ってしまう。
そうじゃなくて、もっと渇望し、切望したものであってほしい。
そのために、「願う」ような形としたい。
願いが叶う体験
それを本質的にはプレゼントしたい。
だから、来年のサンタさんへの手紙に、何を書くかをじっくり考えてもらおうかな。
とはいえ、楽しそうなおもちゃばかり。朝、子供達が起きた時の表情を見ることはできないけれども、喜んでくれればうれしいな。
もしサポートをいただけたら、子供のための絵本と、自分へのご褒美としてチョコチップクッキー資金に使います。