貴方の為のビターチョコレート

※この作品は「ケーキバース」と呼ばれる設定の世界観です。
ケーキ……先天的に「甘くて美味しい」人達。しかしケーキを美味しいと感じるのはフォークの人間だけであり、自分がケーキであることはフォークの人間に食べられちゃった時にしか気づくことはない。
フォーク……殆どが後天性で、何かをきっかけに味覚を失う。しかし、ケーキの人間だけは美味しく食べちゃう。味覚がないためケーキの人間を本能的に食べたくなる性質故に、「予備殺人鬼」などと呼ばれたりするが、ケーキの人間を美味しくたべちゃうこと以外は至って普通の人間と変わらない。

・・・・・・

 街ゆく人達から漂う甘い香りに頭が痛む。
 あぁ、美味そうだ。あの人も、あの人も、あの人も……。
 本能と理性が鬩ぎあってぐらついて、俺はぬるくなったペットボトルの中身を一気に飲み干して気分を落ち着かせる。
 自分の体質が「フォーク」に変質してからもう一月にもなるが、未だに「ケーキ」の発する甘い香りには耐え難いものがある。人の多い都会に来ると、恐らく自覚もないのであろう隠れた「ケーキ」がそこら中を歩いている。この辺りには殺人などの犯罪は起きていないと聞いて、油断していた。
「フォーク」による「ケーキ」の殺人、及び食人の事件が多発していないということは、「ケーキ」が少ないのだろうと思っていた。しかし、いざここに来てみればそうでないことが分かる。むしろ逆だ。
「フォーク」はここで生活することが出来ないから自然と離れていくんだろう。それは俺が「フォーク」だからこそ分かる。
 ここは「フォーク」にはただただ苦痛だ。ご馳走を目の前にして「食べたい」という欲求を理性で耐えることがどれだけ苦痛か。そして大抵の人間にとっては「フォーク」の「食事」はただの殺人。自分の本能に負けて殺人鬼になど誰が自分からなりたいと思うものか。
 俺は深くため息をついた。これ以上ここにいればそこら辺を歩いている一般人に襲いかかってしまいそうで、考えるのも恐ろしい。
 友人と待ち合わせをしていたが、ここに長居することは出来ない。友人には「体調が悪くなった」と詫びを入れて大人しくここからさっさと離れたい。
 俺はカバンの中のスマホのメッセンジャーアプリで、待ち合わせ中の友人にメッセージを送った。
『すまない。急に体調を崩してしまったようだから、今日は帰らせてくれ』
 既読は直ぐに付き、「大丈夫?」という意味合いのこもった可愛らしいスタンプが送られてくる。
『なんかあった? 熱中症?』
『大したことじゃない。心配するな』
『帰らないといけないくらい辛いんだろ。今どこ?』
『駅だ。このまますぐ電車で帰れるから心配いらない』
『ダメだよ、体調悪いなら一人で動いたら何があるか分からないし。迎えに行くから待ってて』
 一連のやり取りをして、俺は「困ったことになったな」と思いながら駅を歩く人混みをかき分けながらできるだけ人が少ない場所に向かう。
 暑くて、ぐらぐらして、頭が割れそうだ。
 友人……京は学生時代からの親友で、高校を卒業してからも定期的に連絡を取り合っていた。今日は半年ぶりに会おうという約束を先月あたりからしていたので、京も楽しみにしていてくれていたんだろう。急に体調を崩したから帰りたいなんて言われて、文句も言わずに心配してくれる優しさが痛いとすら感じてしまう。ただそういう時に素直に心配してくれるのは彼の優しさと純粋さだろう。
 いい友人を持ったな、なんてしみじみと思いながら、俺はその場にしゃがみこんだ。
「……宙樹、宙樹大丈夫か」
 そのままうつらうつらと襲ってきた眠気に身を委ねそうになっていると、よく知る聞き慣れた声が俺を呼んだ。
「具合悪い? 立てるか?」
 ゆっくり顔を上げると、今にも泣き出しそうなくらい心配そうな表情で、京が顔を覗き込んでいた。
「……あ、あぁ……大丈夫だ。少し眠くなってただけで」
「それヤバいやつじゃん? 病院行く? 連れてくから……」
「いや、本当に大丈夫なんだ。変に心配をかけてすまない」
 京に手をさしのべられ、俺はその手を借りてゆっくり立ち上がった。ふと、先程よりも甘い匂いが落ち着いていて、火照りや頭痛も治まっていた。ここは人通りも少ないために、人の多い場所よりも本能を掻き立てるものが少ないのだろう。
「無理すんなよ? 急に体調崩したなんて言うからびっくりしただろ」
「いや、俺もすまなかった。もう落ち着いたから大丈夫だ」
「……やっぱ、今日は帰る?」
 俯いたまま視線をこちらに向ける京の表情は、まさに捨てられた子犬のようだ。しょんぼりと眉を八の字にして、なんだか罪悪感を覚える。
「……そういう顔をするな。なんか胸に来る」
「だっ、だって心配なんだよー……」
「心配で、なおかつせっかく俺と会えたのに離れるのは寂しいと?」
「……まあ、それもあるけど」
「素直だな」
 俺は、こいつのそういう素直なところも嫌いではないが。
「とにかく……思ってたより大丈夫なら良かった。この後はどうする?」
「約束通り出かけたい……と、言いたいところなんだが、また急に具合が悪くなるのも心配だし、出来れば人が少なくて落ち着いて話せるところに行きたい」
 少なくとも、またケーキの香りに当てられて大変なことになってしまうのはよろしくない。
 俺が「人が少ないところ」をリクエストすると、京は思いついたように人差し指を立てた。
「それならちょうどいいところあるけど」
「じゃあそこでいい」
 俺が京の案に同意すると、京は少し悪戯っぽく……子供のような笑顔で「おっけー」と頷いた。

 そうして、京に連れて来られたのは、京がこっちで一人暮らしをしているというアパートの一室だった。
「……お前の部屋じゃないか」
「あはは、だってさ、人が少なくて落ち着ける場所ってやっぱ自宅でしょ」
「いやもっと他にも……カラオケとかネカフェとかあるだろ……」
「そういうの休日料金がバカ高いから嫌なんだよ」
 たしかに、カラオケやネットカフェで無駄に出費をするのは避けたい気持ちは分からなくもないが。
「まぁ上がれよ。ちょっと散らかってるけど落ち着いて話せるところとしては十分だろうし」
 そのまま京に促されるまま、京の部屋に上がった。たしかに部屋は、いかにも一人暮らしを始めたばかりで生活に慣れない大学生男子の部屋、といった散らかり具合ではあるが……ものすごく汚いというわけでもないのであまり気にならなかった。
「苦労してそうだな、一人暮らし」
「んー、まぁねー。いざ生活してみると、学費だけじゃなくて家賃とか生活費とか稼ぐのに精一杯って感じ。遊ぶ余裕全然ないもん」
「それは悪いことをしたな、貴重な休日を俺なんかに使わせることになって」
「いいって、わざわざ会いに来てくれてんだからさぁ」
 言いながら、京は麦茶をテーブルに持ってきた。俺は麦茶を受け取り、グラスに入ったそれを一口飲む。
 ……冷たい。
「それで、宙樹は? たしか製菓系の専門行ってるんだろ」
「あぁ。でも先月やめた」
「えっ!? なんで!!」
「まぁ、色々事情があってな。今は喫茶店でバイトしてる。フリーターというやつだな」
「ふーん……。まぁ、あんまり追求しないけど……勿体ないな、ずっと夢だったのに、諦めなきゃいけなくなったんだろ」
 麦茶の入ったグラスを握りしめて、京はずっと俯いていた。まるで自分のことのように肩を落として。
「京は優しいな、人のことにそんな顔して」
「そりゃ……親友の夢が叶わなくなったって聞いたら……ショックだよ」
「いや、いくら親友とはいえそこまで他人に寄り添えるようなやつは中々いない。俺もいい友人を持ったと思う。ありがとう」
「なんだよ……そんなの、オレのほうこそ、ありがとう、なんだけど」
 照れたように唇を尖らせた京に笑みを向け、手を伸ばした。
 指先に京の髪が触れた時、ふわりと甘い香りが漂う。
 あ、と小さく息が漏れた。駅で感じたものと同じ、衝動。
「……京。……すまない」
「……うん? なにが? なんで急にそんなこと……」
 京がきょとんとした顔で俺を見た。
 ……美味そうだ。
「……俺はフォークなんだ」
「…………フォーク……って」
「お前も知ってるだろう。ケーキとフォーク。……フォークは味覚を失って、ケーキの人間以外を食べても何も感じなくなる」
「じゃあ、お前が専門やめたのも」
 京の言葉を待たずに、俺は京の腕を掴んだ。抑え込んでいたものが溢れて止まらない。
「……お前は、美味そうだ」
 ……駅であった時から、気づいていた。こいつは、ケーキだ。
 俺たちにとって……極上のご馳走だ。
「宙樹……」
 怯えた目が俺を見上げた。
 ……そして、その目は……間もなくして、すっと細められて、そのまま微笑んだ。
「いいよ」
「……え」
 そして、京は俺の頬に手を伸ばし……そのまま、親指で唇に触れた。
「……なんで……」
「ん、なんでだろ。でも、なんかいいかなって。いいよ、オレ、お前に食われても……お前ならいいよ?」
 ……それは、
「……同情か?」
「……そうかも。……でも、違うかも。わかんないや」
 押し当てられた指を舌先で撫でると、口の中に広がったのは、甘くてすこしだけほろ苦い、香ばしいビターチョコレートの風味だった。
 思わず、涙がこぼれ落ちた。
 ……甘くて美味しい、それがどれだけ自分にとっての幸福なのかを思い知らされる。
「美味しい?」
「……あぁ……」
「もっと、食べる?」
 ぐっと強く押し込まれた指を払い除けるように、俺は京の腕を振りほどいた。
「……いやだ……」
「なんで? ……お前、甘いの好きじゃん。それなのに、食べられないって辛いじゃん。……お前が辛くなったら、オレお前になら食べられてもいいよ」
 優しい声、甘い囁き。甘い香り。
 固く、強く、抱きしめた。甘い甘い、親友の身体は、壊れて溶けて消えてなくなってしまうだろうか。
「……食べたら、お前が消えてしまう」
「……いいのに」
「そんなのは、俺が耐えられない……」
 震える俺の肩に、京が手を重ねた。
「……いつかでいいよ。いつか、本当に辛い時は……俺が、お前の為のケーキになるから」
 ……そんな未来は、一生来ない。
 親友を殺すことになる未来など。

 そう決意を抱くことも出来ない俺は、ただの殺人鬼だ。

・・・・・・

入間 宙樹(いるまひろき)
フォーク。甘い物が好きでパティシエになることを夢見て製菓の専門学校で勉強していたが、ある日味覚を失い、フォークに。半年ぶりに再会した親友がケーキだったのでめっちゃ食べちゃいたいけどこんなに優しい親友を殺して食べちゃったらいなくなっちゃうのは辛すぎるので食べちゃわないように我慢している。
宇田川 京(うたがわきょう)
ケーキ。ごく普通の大学生。中学生の頃から宙樹とは親友。大学に進学するのと同時に都会へ引っ越して一人暮らしを始めた。宙樹に食べられちゃいそうになって初めて自分がケーキであることを知ったが宙樹のためなら食べられちゃってもいいかな、むしろ食べられちゃいたいなって思ってる。優しくて良い奴。

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