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台湾ひとり研究室:留学編「短期留学記7:ことばだけでなく。」

2012年語学留学のため台湾に向かう行きの飛行機で、映画『レッドクリフ』を観た。三国志史上、最も熾烈となった赤壁の戦いを映像化したこの映画、かねてから「実写化は無理」と言われていたのだという。そう聞いて画面を見ると、舞台装置といい、エキストラの数といい、武具やら小道具やら、いちいち(すごいっ!)と思うものばかりだった。さすが制作費100億。桁が違う。この作品の公開は2008年だが、わたしの「初レッドクリフ」はこの年だった。

実は、小学校3年生のころの愛読書は横山光輝の漫画『三国志』だった。お小遣いで「一度に3冊までなら買っていい」とお許しが出て、毎回、小走りで近所の書店に買いに行った。どっちが先だったかまでは記憶にないのだけれど、あの頃NHKで人形劇の三国志が放映されていて「劉備と孔明がカッコいい」と文楽の人形に惚れそうだった。三国志のダブルパンチ。いまは歴史好きのジョシのことを「歴女」と言うらしいが、ン十年前の愛媛の片田舎にいた小学校3年生なわけで、ちょっと変わっていたんだと思う。その後は、学生時代に吉川英治版の三国志を読んだくらいで、ほとんど触れることがないままだった(池波正太郎作品に興味が行っちゃったからね)。

台湾ドラマを観始めたのは2011年6月も終わりの頃だ。徐々に聞き取れる量が増えていくのがオモシロくて、すっかりハマってしまった。そんな話を周囲にするうちに、ある人から「台湾の歴史も勉強してみたら」と、日本語教師らしいアドバイスをもらった。そうして最初に読んだ『台湾』(中公新書)の冒頭でガツンと殴られたような気がした。

400年前はオランダ統治だったのか…

その後、14の先住民が暮らしていること(※2021年現在では16が政府認定を受けている)、普通話(うーん、標準中国語とでもいうか難しい)と台湾語は違うこと(これがまたドラマによく出てくる!)、日本が統治していたのは51年だったこと、故宮が台北と北京にあるのには日本の侵略が大きく関わっていること、日本統治時代に学校教育を受けた世代と次世代のコミュニケーション断絶が起きている家庭があること、台湾最高峰3952mの玉山は「新高山登れ」の新高山であること……

オイオイ、なーんも知らないんだなあ、と我ながら呆れるほどの無知っぷり。オランダ→日本→中国などと統治国が変わる中で、幾度となく、そして自ら好んだわけではなくアイデンティティや言語が振り回される。中国語留学の王道といえば北京らしいけれど、わたしはむしろそういう台湾に惹かれたんだ、と勝手に納得がいった。

このときの滞在中、台湾中部にある・日月潭を観光していた際、タクシーの運ちゃん行きつけらしき茶屋に寄った(正確には、強制的に寄らされた)。応対したのは「わたし、高砂族」と流暢な日本語で話す阿媽(=おばあちゃん)だった。お茶をごちそうになったのに、すでにお土産として大量のお茶を買い込んでいたこともあって、結局買わずに出てしまったことがなぜかひっかかっている。いや、もちろんお茶を飲ませるのは茶屋の営業方法なんだってわかってはいるし、阿媽は語らなかったけれど、無農薬だというお茶を、日本人であり、日本語教育関係者の一人として、その日本語を受け取るべきだったのではないか、と。なぜか彼女とちゃんと向き合わずに逃げたような気分になった。

台湾から帰国したその日には、台北市内で尖閣関連のデモがあった。台北在住の知人からは「1000人規模だったけど平和的だった」と聞いてホッとしていたら、日本の友達から「微妙な時期なんだから気をつけろ」とメールが来た。まだうまく言えないけれど、この差に日台関係が表れている気がした。

わたしにとって台湾について知ることは、中国について知ることでもあり、実は日本を知ることでもある。おそらく、同じようなことは、韓国でも北朝鮮でも、ブラジルでもケニアでもアフガニスタンでもいえるだろう。そういえば、以前、担当した企画で「物事とどう出会うか」という話になったことがある。「縁」というとヒトとの縁が思い浮かぶけれど、モノとの縁、コトとの縁、あるいはトコロとの縁、というのもある。縁は、視点を、視野を、変えていく。その縁とどう向き合うか。日本は、台湾と向き合えているんだろうか。

帰国してから『台湾海峡一九四九』(原題:大江大海 一九四九、台湾では2009年刊行)を読み始めた。冒頭からまたもやガツンとやられた。いやはや…奥が深い!

勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15