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台湾ひとり研究室:留学編「短期留学記2:中国語のシャワーを迎え撃つ3語。」

2012年の短期留学中、台湾で出会った台湾人によく言われたことが二つある。

一つは「聽力好」、つまりは聴解力があるねってこと。滞在先でも学校でも、会話はすべてナチュラルスピードだった。そういう意味ではまったくもって容赦ない状況にさらされていた。日本語教育でいうところの語彙コントロールはおろか、ティーチャートークは皆無だし、「え? それって何?」と尋ねて聞いて返ってくる説明も、もちろん中国語。

初日、滞在先である台湾人一家のマンションに到着してまず受けたのは、部屋の使い方の説明だった。もちろん中国語で。鍵の開け閉め、朝ご飯のこと、冷房の使い方、蚊が多いこと、家族は別のフロアで寝ること、近所の地図と電話番号、学校までの行き方、リビングにある果物は好きに食べていいこと…しょっぱなから小一時間ほどぶっ続けで中国語のシャワーを浴びた。

ちなみにステイ先の家族4人は全員、日本語ができない。日本人でいうなれば、にーはお、しぇしぇ程度の中国語な感じ。奥さんと息子は英語がわかるからだろう、初日、彼は英語で話し掛けてきた。すると奥さんが「姐姐は中国語わかるから中国語で話しなさい」とクギを刺した。すかさずわたしも「英語わからないから、中国語で話してね」と彼の英語を封印した。つまりは、自ら、退路を断ったことになる。

でも、さらに容赦なかったのは授業でのシャワーだった。たったいま「一、二……」と数の言い方を教わっているというのに、教師の説明には、条件形、複文などなど、複雑な言い回しがバンバン出てくる。最初は「名詞」「動詞」「形容詞」といった文法用語が聞き取れなくて、何度も聞き返した。授業を受けながら(これだとホントの初心者が面喰うだろうなあ)と思うことしきり。ただ不思議と、わからなくてどうしようもない、という事態はほとんどなかった。

さて、もう一つ言われたのは「なんだか日本人っぽくない」ってこと。ほかの日本人留学生はしゃべらないけどアンタはよくしゃべる、だの、え、1年しか勉強してないの? ずいぶん早いね、だのと幾度となく言われた。種を明かすと、おそらくわたしの反応なんだろうと思う。台湾で過ごした9日間、わたしが最もよく使った表現が3つある(自分調べ)。

1位  好
意味:「はい」「わかった」「いいよ」
※漢字一緒だけど日本語の「好き」の意味ではありませぬ。念のため。

2位  對啊 是啊
意味:「そうだね(よ)」「そうか」

3位  真的假的!? 真的!?
意味:「マジ?」「ホントに?」

おわかりだろうか。すべて、話している相手への、ちょっとした「返し」である。日本語的にはあいづちみたいなもんかなあ。長い文では答えられないけれど、返事はできる。だから、相手が何か言うと、必ずひと言返すようにしていた。

というのも、「聴く」という行為は単に耳を傾けるだけのことを意味しない。相手は必ず、わたしがわかっているかどうかを気にしているはずだし、講演やスピーチなどでない限り、目の前の相手の反応を前提にして話すはず。だからこそ、意識して返事をするようにしていた。

そうしようと思ったのは、ある外国人の友達が言っていた、こんなことばがあった。

「あなたたちは日本語が母語でしょ。わたしにとって日本語は外国語。だから、わたしの言おうとしていることを理解しようと努めるべきだと思って、日本人と話してるんだよね」

それまでのわたしにはまるでない発想で、視野をぐぐっと広げてもらった。台湾で中国語を話しながら、通じなくてひるみそうになるわたしの背中を、がしっと押してくれる一言だった。考えてみれば、わたしの中国語がわからなかったら、きっと相手は「わからない」という意思表示をするはずだ。相手がわからなければ、別の方法を考えればいい。目の前にいるんだし、口頭でわからなかったら、身振り手振り、鉛筆と紙、辞書だってある。ことばだけではない。

そもそも、表現が正しいことと、意図が伝わるかどうかは別問題だ。さらに、たとえ意図が伝わったとしても、思うような反応なんぞ、期待するほうがおかしい(いや、期待しちゃうけどさ)。それは母語だって同じ。わからない人はいつだってわからない。最初からすべてをわかるわけがない。わからなくたっていいじゃん。

そんなこんなで。目の前の相手と、コミュニケーションしたい、という気持ちを最優先にした。9日間、学校でもその他でも、口に出すことを意識していた。何しろ現地にいるのだから、日本と同じことをしていたのでは意味がない。そうしていたら、極めつけに言われたのは、「前世、中国人か台湾人だったんじゃない?」ほっほー。それ、わたしもちょっと思ったことがあるんだよね。

勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15