台湾ひとり研究室:本屋編「佐々涼子『エンド・オブ・ライフ』に見る命の閉じ方。」
読みながら何度も泣いた。本書に登場する篠塚さんは父の主治医に、佐々さんのお母様はわが母に、恩師のような存在だった方は森山さんに、どこか重なった。表紙や帯からそんな予感がして、発売からこれまで開くのを何度もためらっていた。ようやく本書を開いたのは、友人から「感想読みたい。レビュー書いてくださいよ」と背中を押されたからだった。
著者の佐々涼子さんが書いたものを読むのは、これで3冊目。他国で客死した方のご遺体の国際輸送を扱った『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』、東日本大震災で大きな被害を受けた製紙工場の復活を扱った『紙つなげ! 彼らが本の紙を造ってる』。自分のそばにあるテーマのようでいて、深く考えたことがなかった世界だった。
本書は、在宅医療の現場で多くの患者を見てきた、看護師の森山文則さんが佐々さんに見せた命の閉じ方の物語だ。2013年の森山さんとの出会いから2019年に森山さんが亡くなるまで、取材期間は足かけ7年。森山さんから「共同執筆を」という申し出、ふたりの「どう書くか」に対するすれ違い、佐々さんのご家族の介護と看取り、森山さんの取材を通じて出会った在宅の看取りの数々——病院での死が当たり前になった社会で、家で亡くなる道を模索する人たちの姿は命の閉じ方を根底から問い直すものだ。
過去に書いたものを振り返るくだりで、驚いた一節がある。
えええ、見つけたテーマにコンプレックス!? 書き手の端くれにいる身にすれば、むしろ(佐々さん、いいテーマ見つけたなあ)とうらやまむほどだ。家での看取りから病室での看取りが主流になった時代にあって、死は遠い存在になってしまった。わからない、だから怖がる。そんな社会に死のあり方を伝えていくことは、何人も見送っている身からするればすごく大事な仕事に見えていた。隣の芝生だったのかも。
そしてもう一つ驚いたのは、難病にあったお母様のこと。私にも若年性パーキンソンという難病を発症した母がいた。ああ、命の問題は佐々さんのそばにもあった。「人ひとりが生きるのは容易ではなかった」など、端々に、なんらかの体験がなければ出てこないであろう言葉があると感じていたから妙な合点がいった。さらに、母の考えにもあったかもしれない、と思わせる一節にも出逢えた。森山さんの取材を通じて佐々さんが出会った森下敬子さんの言葉だ。
20代はじめから親の病を抱えた私にはかなり重荷だったが、その荷のおかげで大いに学びを得たこともまた、確かな事実だ。私の父や母が見せた病に生きる姿の意味を、他者の体験と言葉を通じて、改めて教わったようだった。
本書で個人的に最も衝撃を受けたのは、死期の近づいた森山さんと出かけたディズニーランドからの帰りで、森山さんが放ったひと言だ。
ヒヤリとした。きっと私もそんな接し方をしてしまっていた、そう思った。患者を患者としてしか見ていなかったのではないか。喉元につきつけられるような言葉だった。この言葉に逢えてよかった、心底そう思う。
この本と並行するように、私自身2年前、恩師のような存在だった人を亡くしていた。その人は、がんだったことを死期を悟ったその時まで、家族以外の誰にも伝えなかった。当初、そのことを「あまりに他人行儀」と解釈していた私が、その真意を理解したのは、日本への帰国を果たした去年のこと。ご自宅でご家族から「初めて人に見せるんだよ」と渡されたカレンダーだった。手にして泣いた。命日となった日の数ヶ月先まで予定が書き込まれていた。森山さんの言葉が大いに腑に落ちた。
「将来を思い煩うことなく、今日を生きよ」
今月には母の命日がやってくる。初夏には恩師を送る会も計画している。ケタ違いの読書家だった恩師や、読書で得る世界のおもしろさを教えてくれた両親から、佐々さんの本を読むように言われた気がしている。命の問題を考える時がきたら、手に取ってほしい。誰にも、たくさんの気づきがきっとあるはずだから。
勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15