誰でもインタビュー、始めよう。

**

きっと会話がラクになる。**

こんにちは。田中美絵です。
コピーライターとインタビューライターをおよそ30年やっています。

2000人インタビュー達成記念で(笑)、noteを始めます。

ちょっとイメージしにくいかもしれませんね、2000人という数。

私の場合は、毎週欠かさず新聞に1本の取材記事を書き、年に50人。

並行して月に8本になることも何年かあったので

ほぼ33年かけて2000人になりました。

尊敬する草間彌生さんやオノ・ヨーコさんへのインタビューは

何日も前から心臓がバクバクしました。

外交官や企業トップへのインタビューでは、理解できない背景が多すぎて
 
ポストイットに書き出し、家中の壁に貼って覚えたり。

ある大物(?)政治家から「ズボンを履いた女の取材は受けん!」と

とんでもない時代錯誤なお言葉で追い出されたり。。。。。

「ズボン」って。。。大将~。

辞めたいと思ったことも、もちろんあります!

それでもこんなに続いているのは、人との会話ができるから。

最初はぎこちなく始まっても、話が深まっていき呼吸があってくる。

帰り際に、「質問されるのはいいね。考えがまとまってきたよ」なんて

お声がけをいただこうものなら、Vサインをしたくなります。

ほら、よく料理店のご主人がいうじゃありませんか。

「美味しかったよ、と言われたら料理人冥利ですわ」って。

そう!ゴールを決めた喜びです。


夏休みの宿題が、私のインタビューの原点

あれは小学5年生でした。

社会科の夏休み自由研究で「仕事をしている人のお話を聞いてくる」という

宿題が出たのですね。人数は最低3人、作文にしてきなさいと。

これは現在の小学校でもやっているらしい。日本伝統の授業?

で、私は「子どもの天国商店街」の「インタビュー」に張り切るわけです。

昭和の時代はどの町にも、元気な個人商店がありました。

肉、魚、野菜、くだもの、乾物、豆腐、お惣菜、金物、クリーニング。。。

3人をどうやって選ぼうか、声の大きい順にしようかなどと迷って

商店街の端までいったら、すごく静かな薄暗いお店があった。

半分だけ空いているガラス戸。

覗き込むとおばあさんが一人椅子に座っている。

そうです!ご想像どおり、駄菓子屋さんです。

「いらっしゃい」とささやくような声で「今日はあんたで二人目よ」と。

失礼なことに私が「おばあさん、ここは儲かるの?」と尋ねたら

「いいのよ、年金があるからね」とふわっと笑顔でした。

年金ていくら? 人と話したいから? 聞きたいことばかり。

さんざん聞いてから「あれ、おばあさんは仕事してる人になる?」

そして結局、私は宿題の3人の数に入れなかったのです。

申し訳なく、切なく、50年近く立っても胸の奥がツンとしてきます。

宿題が出なければ、話をすることもなかった人。

でも理由を作れば、誰とでも話しやすくなるのだと学びました。


結論!

つまり「インタビューする」って理由にすれば門は開いてしまうのです。

私はその門を開くことがやりたくて仕事にしたけれど、

誰もが、インタビューと称して人と気持ちを分け合えます。

それはとても簡単に、人との関係が変化する方法です。

インタビューは、日常も仕事も楽しくする習慣の一つ。

これから、そんな私の経験やノウハウをたくさん書いていきます。

どうぞ、覗いてみてくださいね。

田中美絵


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?