見出し画像

アダルトチルドレンは善悪、白黒を
ハッキリさせたい方が多いのが
ひとつの特徴とも言えます。

毒親の教育の影響とも言えますが
物事をハッキリ区別させてこないと
生きて来られなかった環境から
身についたクセとも考えられています。

一方、アダルトチルドレンではなくても
誰もが世の中の出来事に良し悪しの
判断を大なり小なりつけて
生きているのが一般的なのですが
この【良し悪し(善悪)】と多くの人が
区別をつけられていないのが
【好き嫌い】なんです。

好き嫌いは自分の内側で完結する

【好き嫌い】はあくまでも単なる
好みの問題なのでわかりやすいのが
【食べ物】です。

私はカレーが好きという人が
カレーが嫌いな人と話をしても
「あぁ、あなたはカレーが嫌いなんだね」
といって終わるか、
わかりあえない残念さは
残るかもしれませんが言い争う
方向にはならないはずなんです。

なぜなら、単なる好みは
あくまで個人の趣向の話だから。

善悪は対象に変化を求める気持ちが働く

善悪は一部好みも加わり
それが相まって区別を難しくしていると
考えてはいますが

『自分が求める理想の世界を他人や
世の中へ変化するよう求める気持ち』

が働いています。

例えば先ほどの食に関してもそうですが

カレーの素晴らしさを知って
好きになって欲しい気持ちが強すぎると
こんな言葉が出てくるかもしれません。

カレーの良さを知らないなんて
人生の半分損してる

みたいな。

自他の好みの範疇を超えて
相手の嫌いを好きにさせようとする
それが【その人にとって良いんだ】に
なっています。

もちろんそういった気持ちが
人や世の中を動かすきっかけとして
働くことは良くあることです。
考え方が変わることだってあります。

しかし大切なことは

誰かにとっての良いは
誰かにとっての悪いでもあると言うこと

みんな違う存在だからこそ
何かの発想には表裏一体であることが
ほとんどでは無いでしょうか。

万人にOKをもらえるものなど
ほとんど存在しないからこそ
【すり合わせ】【交渉】という概念が
あるのではないかと考えます。

誤解の無いようお伝えすると
自分の内側に善悪の判断があるのは
対象としている物事・人が
変わるかは置いといて
自然なことですし、世の中を
シンプルに生きる材料として
持っているのは当然だと思います。

一方それを、他者や世の中に求めると
それとは違う善悪を持った人がいるという
至極当たり前のことを言っていますが
意外と自分の善悪を人に求めたがるのが
人情というものでございましてね。

求めて、同意して、変わってくれたら
自分的には喜びに変わるかもしれませんが
対立を生んでしまう場合も多く
そうなったら一転して生きづらくなる。

だからこそ
好みなのか、自分の中にある善悪の
判断基準なのか。

僕のカウンセリング勉強会や
cocoro salonでは
そういったことの細かい区別を日常から
取り組むことでコミュニケーションの
質が上がることと、自分自身が
生きるのが楽になるため
オススメしています✨

ただ、やらなくても僕は
悪いとは思いませんけどねw

*リンク先のCocoro Salonの日程が
更新されないままになっております💦

今月はこちらです▼


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?