その技術、取り扱いキケン
僕は一通りのSNSを使って
情報発信をしていますがSNSは
フォロワーさんの数が物言う世界だと
幾度となく感じています。
怒濤にアップされる情報の中で
やはり目にとまるかどうかは
自分の思いを伝えていくために
大切なことだと認識してはいます。
でも、やっぱ納得いかねぇ
そう思ったある記事へのアンサーが
今日の内容でもあるんですけどね🥺
心理職界隈で度々聞く言葉の中に
【手放す】があります。
執着を手放せば楽になるし
【本当の自分】でいられるっていう
内容で絶賛されてましてね。
あぁ、またしてもそれが
出来ない人たちが140文字で
置いてけぼりにされて
悲しい思いをするなぁと。
確かに【手放す】という方法は
今まで手放せないことで苦しみを
味わっていた時間分だけ
手放せたら楽にはなります。
【手放し】という技術そのものは
苦しみの渦中にいる人にとっては
取り組みたい技術ではあります。
【それができる段階の状態】であれば。
それが簡単にできりゃ苦労はない
この状態に関しての発信を140文字は
はしょりすぎなんです(´・ω・`)
手放したいけど手放せない人は
『手放したいけど、、、でも、、、』
この【、、、】に言葉に表せない
苦しいのになぜか居続ける
大切な想いが詰まっているんです。
手放せば楽になるのは
何となく理解できる。
でもそうさせない自分もいる。
それを【執着する自分】と
ラベリングされたら
あたかもそれが悪いことのように
感じてしまうから、あら不思議🙄
では、逆に【執着】ではなく
【守る】とか【大切】だったら?
手放すことが上手くいかない人は
この【守る・大切】の部分に
言語化は出来なくても感じているから
上手くいかない。
それを簡単に振り切って手放せって
ちょっと乱暴な気もしますよね😭
「手放さない私」の想いも大切に
だからこそ手放したくない自分に
優しく・丁寧に聞いてみる
『手放さないことで
【何を守っている】の?』と
『それを守ることで
【何を得ようとしている】の?』
他にも色々な聴き方はありますが
手放さない自分にはちゃんと
肯定的な理由があって
そうさせないということ。
あなたにとってあなたを守る
大切な自分であると言うこと
その前提で向き合ってみると
何か答えてくれるかもしれませんよ✨
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