クリスマス、遠足 、海苔巻き

クリスマスの不幸話はよく聞くものだ。

「サンタさんはうちには来なかった」とか
「希望のプレゼントは貰えなかった」とか

これもそんな話である。

クリスマスイブに父親に電話をかけた。
元気にしているか?から、父親が子供の頃のクリスマスについての話に。
クリスマスにパーティをするという風習がその当時にあったことが少し驚きだったが、当然か。とも思う。
キリストが生まれてもう2018年も経っているんだから、不思議はない。ちなみに父は65歳である。
私自身、クリスマスを楽しむような幼少期でもなかったので、ルーツを知る上で少し興味深い話だ。


私の父は離島の出身だった。
本土に上がることもほとんどない。
年中島を駆け回って過ごす。
5歳で母を亡くした後は、出稼ぎしている父親に代わって、大正時代のお祖母さんに育てられてきた。

お祖母さんは厳しかった!
勉強するな!働け!と、
難儀しても損はない。と。
子供だからなんていう甘さや優しさはこれっぽっちもなかったそうだ。

話が逸れてしまいましたが。

当時1番イケてるお弁当、またはご馳走。
それは海苔巻きだった。
今で言うところのインスタ映えのキャラ弁的なものであろう。

遠足やクリスマスの時には
離島の各家庭では海苔巻きが食卓に並んだ。
卵焼き、きゅうりにかんぴょう、調子が良ければ鰻、桜でんぶを散らして、一本に巻く。

華やかで美味しそうな海苔巻き。

大正のお祖母さんは作らない代物だったのか、
家が貧しかったのかわからないが、
父はなかなか食べさせてもらえなかったと言う。
自分はいつも大きな握り飯を2つ。

ある日、意を決してお祖母さんに言ってみた。

「クリスマスにみんなは海苔巻きを食べるんだって!いいなぁ。おいしそうだよ。」

するとお祖母さん

「うちは浄土真宗だからそんなのはせん!外国のことは関係なか!」

その日のお弁当も大きな握り飯だった。

父はその記憶のおかげで今でも、
お寿司屋さんに行くと海苔巻きを頼んでしまうそうだ。

私の釈然としないクリスマスの記憶の理由がなんだかわかった気がする。

65歳のおじいさんになっても、
子供の頃の事、両親やお祖母さんの事、負の記憶はしっかり覚えているものなのだ。
なんだか、かわいらしく思えてくる。

年末帰省したら優しくしてやろう。
そう思った。
海苔巻きを作る元気はないけど、おいしい弁当でも拵えて帰ろう。と。

温かいクリスマス。
寂しいクリスマス。
楽しいクリスマス。
悲しいクリスマス。

どんなことでも、記憶に残るのはやっぱり特別だ。
大正時代のお祖母さんに言葉を借りるなら
「難儀しても損はない」
冷たいものを知っていれば、温かいものの素晴らしさが倍増である。

優しい気持ちになったメリークリスマス。
年末年始も続けて温かくいたいものだ。

#クリスマス #クリスマスイブ #クリスマスの記憶
#海苔巻き #エッセイ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?