エヌ氏の苦悩

例年、冬場は忙しくないものなのに、どうしたことかこの冬は大忙しだ。
異星人の襲来が続いて休みの日も出勤せねばならず、年末年始を挟んで週末が3週連続でつぶれた。
「異星人の奴ら、寒いのは苦手だから冬はほとんど来ないはずだったんじゃないですかね?」
エヌ氏は先輩隊員に愚痴る。
「まあ、そう言われてたんだけどな。この10年であいつらも地球の気候に慣れてきたってわけなのかな。」
「マジかー。適応能力高いなー。」

エヌ氏は地球防衛軍の隊員。
不定期で地球に攻め込んでくる異星人をやっつけるのが仕事だ。
いや、やっつけるというのは正確ではない。
やっつけるのは業務委託しているウルトラさんだ。
ウルトラさんはやたらデカくてやたら強い、人間の形をした生き物だ。

10年前、最初の異星人襲来の時。
当時は地球防衛軍というものもなく、自衛隊が異星人と戦っていた。
抵抗むなしく、自衛隊がほぼ壊滅状態になった時、唐突にウルトラさんは現れた。
そして異星人を一撃で倒したのだった。
当時の首相はウルトラさんをこのまま手ぶらで帰すのもなんとなく悪いなって感じで、100万円を渡した。
それからというもの、たまーに異星人がやって来ると、どこからともなくウルトラさんも現れて異星人を倒し、首相がウルトラさんに100万円を渡す、というのが恒例の流れとなった。
初襲来の翌年、ウルトラさんの戦闘の補助をするという名目で地球防衛軍が結成された。
とは言え、ウルトラさんはだいたい一撃でやっつけてしまうので補助なんて必要ではない。
それでも形だけは一応やることにしようということだ。
先輩と飲みに行って、絶対に先輩が奢ってくれるってわかってるけど、お会計の時に一応財布を取り出して「いくらですか?」と聞くのが礼儀なのと同じだ。

異星人が襲来すると必ずウルトラさんがいいタイミングで現れるので、地球防衛軍の隊員の中では「異星人とウルトラさんはグル説」が囁かれている。
が、それを問いただしてウルトラさんがヘソを曲げて現れない回があってもダルいし、そもそも防衛軍の仕事的にはラクチンだし、世間からは「勇気ある」って尊敬されるし、ウルトラさんにあげてる100万円は税金だから個人的には別に痛くないし。
そう考えると例え疑惑があろうともそれは見ないフリして現状を維持する方が絶対に得なので隊員は誰も告発しないのだった。

戦うのはウルトラさんだけで、防衛軍はなんとなく戦闘機を飛ばしていればいいから仕事自体はラクチン。とは言え、異星人が襲来したら隊員は全員出勤なので、週末ばかりを狙われてしまうとせっかくのレジャーの計画が潰れてしまうわけで。
そういうわけでエヌ氏は少しイライラしているのだった。

それに加えて、エヌ氏のプライベートもバタバタしたものとなっていた。
今年還暦を迎えた父親に癌が見つかって昨年の12月に入院したのだ。
十二時間にも及ぶ大手術となったが成功。
術後の経過自体は順調なものの、今度は母親が看病疲れでダウンするという、あるあるなパターン。
ひとりっ子のエヌ氏はほぼ毎日両親のようすを見に病院と実家に寄ってから帰宅するというわりとハードな生活を強いられていたのだった。
追い討ちをかけるようにエヌ氏の苦難は続く。
年始に予定していた恋人とのスキー旅行を反故にしてしまったせいで、エヌ氏は恋人にフラれてしまったのであった。
精神的にも体力的にもまさにどん底。

年末から続く週末の異星人襲来は一月半ばになっても続き、成人の日も出勤となった。
その日は比較的早めに仕事が終わったので昼過ぎには退勤。
いつものように地球防衛軍前のバス停から駅行きのバスに乗ろうとしたが、エヌ氏がバス停についた時にちょうどバスが走り去ったところ。
エヌ氏はバスを追いかける気力もなく、駅まで歩くことにした。
「ついてないなー」呟きながらエヌ氏は歩く。
ついていない時というのは不運が重なるもので、駅に着いたエヌ氏が財布を出そうとズボンのポケットに手をやるがそこにはない。
慌てて上着のポケットやカバンの中を探すがどこにもない。
デスクに忘れてきたと気づいて、仕方なく今歩いてきた道を引き返す。

完全に疲れ切ってしまったエヌ氏は顔をあげる元気もなくとぼとぼとうつむいて歩く。
うつむいて歩いていたために、地面に大きくチョークで矢印が書かれていることに気づいた。
曲がり角になると矢印が現れる。
なんの矢印だろうとぼんやり思いながらなんとなく矢印を辿ってみる。
いくつかの矢印を辿っていくと、小学校が見えてきた。

ははーん、これはマラソン大会の道順を示す矢印だなとエヌ氏は合点した。
せっかくだから最後のゴールまで行ってやろうと歩を進める。

正門までもう少しというところでまた地面にチョークで書かれている。
今度は矢印ではない。

「ファイト」

その文字をしばらくじっと見つめたエヌ氏は、すっと顔を上げてまた歩き出した。

おしまい

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