最後のセミ


死んだセミが道路の隅や玄関開けたとこなんかに落ちてる。それは夏の風物詩ってやつでもあるんだが、その場面にでくわす頻度が今年は例年より多い気がしている。
道を歩いてて「あ、セミが死んでる」、お店から出てきて「あ、セミが死んでる」、信号待ちで「あ、セミが死んでる」。
死んでると思ってその横を通り過ぎようとしたら突然暴れ出す、いわゆる「セミファイナル」も二回ほど食らった。

死んだセミを例年よりもよく見かけるなあというのは僕の実感でしかないので、データとして本当のところはわからない。
本当のところを知りたいとは思わずに、「セミが死ぬ」ということについて考えてしまった。

セミの成虫は一週間の命であると昔から言われてきた。
儚さの象徴として扱われてきたし、あれだけギャンギャン鳴きまくるのも命の短さを嘆いているんだよと詩的に言う人もいた。
最近のネットの記事を見ると、実はすべてのセミが一週間で死ぬわけではなく、一ヶ月近く生きる個体もいるらしい。
それでもまあ「短い命」ということに変わりはない。

九月いっぱいで夏が終わるとして、夏の終わりギリギリに成虫になったセミがいたとして、そのセミが割と長生きで一ヶ月で死んだとして、そうすると11月の頭にはすべてのセミがこの世界にいないということになる。他の国のセミ事情がわからないので少なくとも日本では11月以降はセミがいないということになる。

その「最後のセミ」のことを考えたらゾクゾクした。
SFでよくある設定の人類滅亡系。
主人公以外の人類はみんな死んでしまって、主人公が最後の人類。その切なさ。
その気持ちを想像するといたたまれないんだが、そうは言ってもSF。
リアルではない。

だけど、セミ界ではそれが毎年起こっているのだ。
「アイツも、アイツも死んじまった……。俺が最後のセミ…。だがボチボチ俺にもお迎えが来るようだな。意識が…朦朧と…してきたぜ……。ハハッ!短いセミ生だったけど、悪くなかったぜ。最期にひと鳴きして潔く散ってやるぜ。ブバババッ!ギャースギャース!!!」

セミファイナルに驚く僕。


おしまい


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