孔雀明王

みちのくから不思議な霊力を送ってくる友がいる。彼が言うには、私は孔雀明王なのだそうだ。不動明王に代表されるように仏教における明王は、仏教に帰依しない民を憤怒の表情をもって教化する役割である。不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王が五大明王と呼ばれ、何れもヒンズー教の神でもある。伽藍の中で中心に坐す穏やかな姿の阿弥陀仏や如来に対して、恐ろしげな姿で脇を固めている仏典の守護神である。そんな明王の中で孔雀明王は、唯一穏やかな表情である。その孔雀に股がるもしくは座している姿は動物の縫いぐるみで遊んでいる童子の様でもあり、その気高い表情は他の武闘系明王とは全く異質な物を感じる。

みちのくからの波動以来、京都や奈良に行く時は孔雀明王を拝する様にしてきた。京都、奈良でもあまり多くの寺でみられないのであるが、京都美術館にある国宝孔雀明王像が横浜美術館で公開されているので見に行ってみた。この絵は横浜の豪商である原三渓のコレクションで井上馨から1万円で入手したという像である。

Wikiによると、「孔雀は害虫やコブラなどの毒蛇を食べることから孔雀明王は「人々の災厄や苦痛を取り除く功徳」があるとされ信仰の対象となった。後年になると孔雀明王は毒を持つ生物を食べる=人間の煩悩の象徴である三毒(貪り・嗔り・痴行)を喰らって仏道に成就せしめる功徳がある仏という解釈が一般的になり、魔を喰らうことから大護摩に際して除魔法に孔雀明王の真言を唱える宗派も多い。また雨を予知する能力があるとされ祈雨法(雨乞い)にも用いられた。」とある。

力でなく毒の吸収力をもって功徳するという事の様だ。毒を好んで食べようとは思わないが、よく敵を作らないですねとは言われる。又、何をしている訳ではないが人を動かしたり影響を与える事がある。人と人を繋げる触媒みたいな役割も好きで、その化学反応を見ているのが楽しい。なるほど、人の毒を甘露に変えるのが、もしかすると自分のミッションかもしれない。そう思って像を見ていると、その丸顔とちょび髭が自分に似ていると思えてきた。いやもちろんそこに至るのは修行、修行だと思ったが、暑さに負けて駅の反対の野毛方向に行ってしまい全く邪念だらけである。


文京区と日高市に2拠点居住中。