『スッキリ』生出演で言いそびれた〜”「がんばらなくても世界一」という事例をつくりたい。”
「田中宏和運動」を27年間続けています。
「田中宏和」という同姓同名の人を見つける。お会いする。時に集まる。
それだけのムーブメントであります。
1994年のプロ野球ドラフト会議で、
近鉄バファローズの第一回選択希望選手が、
「田中宏和・投手・桜井商業」だったというのが、すべてのはじまり。
え,自分?
オレ??
じゃない!
ビッグバンでした。
同じ名前というだけで、
「ドラフト一位」という他人の人生を生きている気分になれるのは愉快だと、
雷に打たれたがごとく感じたのです。
次に見つけた「田中宏和さん」は、
文藝春秋社の文芸誌『文學界』の書籍広告でした。
いつのまにか南方熊楠の研究書を出版していました。
クマグスファンとして我が事のごとくうれしかったのですが、
もちろん自分ではありません。
そして、なぜか毎年一人は自分でない「田中宏和さん」の情報を得、
そのエピソードを年賀状にしていました。
2002年の年末、たまたま『ほぼ日刊イトイ新聞』の1日編集長を任せてもらい、
それまでの同姓同名年賀状シリーズを世界に放流してみたら、
「田中宏和さん」情報で大漁となりました。
2003年に初めて「自分以外の田中宏和さん」と会って、言葉を交わしました。
同じ名前で何と呼び合えばいいのかわからないので、
その目の前の「田中宏和さん」は、
同じ渋谷区在住のご近所で、
渋谷駅近くでデザイン会社経営ということだったので、
「渋谷の田中宏和さん」(「渋谷さん」と呼ぶことにし)、
わたくしは「ほぼ幹事の田中宏和」(「ほぼ幹事」さんと呼ばれることに)なりました。
2008年には6人の田中宏和集会が実現し、
翌年の年賀状に「田中宏和V6」と記したところ、
3月の田中宏和集会の1週間前にTBS『クマグス』の番組スタッフから
メールで問い合わせが届き、
その取材VTRをもとにしたV6さんMCの深夜番組に出演して、
一気に田中宏和運動が知られるきっかけとなりました。
摩訶不思議です。
今年の6月には「渋谷の田中宏和さん」とともにレギュラーMCを務める、
渋谷のラジオ「渋谷の田中宏和」の担当番組で(そんなことになるとは18年前には想像すらできなかった)、
155人目となる札幌市在住の看護師の「動物王国の田中宏和さん」とリモートで初対面しました。
先週金曜日、GetNavi webというサイトに取材受けした記事が出ました。
インタビュアー兼ライターの松田義人さんは、
2009年に『田中宏和のうた』(作詞:わたくし田中宏和、作曲編曲:作曲の田中宏和、歌:田中宏和11人)をリリースした時に、
「うち(の所属タレントとして楽曲を)で預かる」と言ってもらったリリー・フランキーさんとの対談を編集していただいた方だったので、
安心してお話できました。
この記事がスマートニュースに配信されたようです。
今週月曜日に日本テレビの『スッキリ』のスタッフから連絡があり、
3日後に活動を紹介したいとのメールを受け、翌日に電話連絡してみたら、
「オープニングトークで、リモートでいいので出てもらえませんか?」とのお話し。
よくわからぬままに勢いで「あ、いいですよ」とお答えして、
9月9日の重陽の節句の『スッキリ』に生出演する運びとなりました。
TBS『クマグス』以来、テレビ番組は収録、生放送ともに何度も取り上げていただいていたのですが、
今回異例だったのは、「リモート」で「生放送」で、
しかも「事前に進行表や想定質問が無い」ということ。
朝の7時半にスタジオとのネット接続チェックをした後に、
担当ディレクターから電話がかかってきて「申し訳ないのですが、尺が短いので、加藤さんからの質問にできるだけコンパクトに答えてください」との手短で簡潔なご依頼を受けました。
『スッキリ』のメインMCの加藤浩次さんは、わたくしと同じ年生まれ。
「どんな質問、どんなツッコミにも、素早く、キレ良く答えるぞ」と覚悟を決めて、PCのディスプレイを前に8時を迎えました。
出演の1時間後くらいには、以下のまとめサイトができていましたから、
どこの世界にも仕事の早い人はいるものですね。
ことテレビ番組においては、これまでつくってきた田中宏和運動コンテンツでも、『田中宏和のうた』は効果的だなと再認識しました。
わたくしが思いついて15分くらいで書いた歌詞を、
「子どもでもおじいちゃんでも歌える校歌のような曲にしてください」と、
「作曲の田中宏和さん」に依頼したら、
さすがポケモン主題歌ダブルミリオンセラー、NHK『みんなのうた』も手掛けたプロフェッショナルの手により古びず歌いやすい楽曲になりました。
しかも、2010年当時、映像作家だった「映像の田中宏和さん」によって、
レコーディング風景を収録して、PVとして完パケ素材をつくってもらったのは、
田中宏和運動の資産として大きかったです。
今は別府の温泉ホテルに婿養子となられ、田中宏和ではない名前で活躍されています。
さて、『スッキリ』のリモート生出演で、MCの加藤さんから飛んできた質問。
”27年間も活動を続ける、その執念ってどこから生まれてくるんですか?”
「執念」と来るかぁ!
この強い言葉での大きな問いに一瞬たじろいでしまいましたが、
「同じ名前ってだけなんですけど、会うと一人一人違って面白いんですよね。小さいお子さんからお年寄りまで、親戚の集いみたいになっていて、血はつながっていないけど、名前だけでつながっている人のつながりがとても面白いんです。」と答えました。
自分では気づかなかったけど、「執念」と表現されたがゆえに、自分の回答の引き出しが開いた気がしました。
実は、ひとつあらかじめツッコミが入るかなと想定していたのが、”なぜ同じ名前の人にたくさん会うのが面白いんですか?”でした。
この回答に続けて言おうかと思ったのですが、残り時間を考えてやめました。
「ただ名前が一緒なだけで世界一になれたら愉快じゃないですか。
先日のオリンピックパラリンピックでは、アスリートが金メダルを獲ったり、世界記録を出すにための、途方もない努力や強い意志、命がけの集中力などなどを感じて心を動かされました。しかし、これは「努力をすれば結果が出る」「がんばったぶんだけ報われる」「成果主義」というような、今の世の中の風潮を助長することでもあるなと気づいたんです。
一方で、名前が同じというだけで「ただ人が集まっただけで世界一」、名前が同じというだけで当日ふらっと会場に行って「たいした努力もなくギネス世界記録」というファンタジーを現実にしてみたいんです。
「がんばらなくても世界一」という脱力した見本をつくってみたい。
自分で選んだわけではない、親から与えてもらった名前で、世界一。
どんな人も「世界で唯一の存在」になれるということの証明ができたらいいなと。
ただ生きていること。それだけの価値を認める社会でもあって欲しい。
今の社会の風通しをよくするメッセージが田中宏和運動から生み出せたらと考えているのです。」
こんな長い回答を考えていました。さすがにこの内容を伝えるには時間が足りなかったですね。ということで、忘れぬうちにここに遺しておきます。
MCの加藤浩次さんとの対話は楽しかったなと検索してみたら、出演前日にアップされていた古舘伊知郎さんによるMC加藤浩次論が東洋経済オンラインに出ていました。
「どんな相手に対してもツッコミながら合わせる」
まさに言い得て妙。本番前に読んでおけば良かったです。
ありがたいことに1週間限定で『スッキリ』の番組ホームページで「田中宏和(タナカヒロカズ)さん」を大募集していただいております。
ギネスの記録ガイドラインでは、同じ名前の表記は問わないので、田中浩和さんや田中博一さん他多数のタナカヒロカズさんも、勇気を出して「がんばらなくても世界一」になりませんか。
2022年の10月あたりに東京都渋谷区でギネス世界記録達成を目標にしたいと考えています。ま、1年後の状況がどうなっているか次第ではありますが、全国から集まる164人以上の田中宏和さんたちの三密状態で、タナカヒロカズさん世界一を現実にできたら。そう願っています。