見出し画像

お金がないのは、首がないのと一緒なんや

導入部分

今回WAIS-Ⅳを主治医から「是非に」と勧められて受検したことで、数値化された私の脳機能傾向。結果に関する所見がいくつかあるうち、自分自身でやっぱりなーと感じたのは、「言語理解(VCI)」の点数が突出して高いということ。
無作為抽出で100名受検したら、上から5人以内に入るくらい。

全然うれしくない。「言葉で表現することの得意さ」が、「コミュニケーションをとることの得意さ」に結びついていない人生を送ってきたからだ。なぜ、そうだったのかについても、このWAISの結果であらかたの仮説を立てることができた。
だが、これから書くのは、WAISの話ではない。

「女の一生」ギ・ド・モーパッサン作

私が中学校の内部進学が決定して、毎日塾や習い事漬けだった日々から少し解放された頃。母の次の興味関心は年子の弟の中学校受験に移り、少々退屈していた冬。

少年少女文学全集は全巻読んでしまったし、百科事典を第1巻から読み通すのも飽きてしまったので、父が配本で購入していた大人向けの世界文学全集に手を伸ばし、最初に読んだのが「女の一生」だった。(オイルショック後の昭和の話。当時は応接間の本棚に本を並べるのが流行っていたらしい。当然経費計上していただろう。)
その陰鬱なあらすじが、私の人生観に決定的な爪痕を残す本となるのを知らずに。

それまで、蔵書が豊富な母校の図書室や、市立中央図書館児童室の本棚から選び出して読んできた「少年少女世界文学全集」「少女名作シリーズ」は、クリスマスの日の行事や見たこともない名前も初めて聞くような食べ物、花や動物などのキラキラしい外国の文化に心がときめく幸せな話(たまに主人公が最後に死ぬ)ばかりだったのに、、この「女の一生」という話は、、、、

なんで、不幸なままなの?

読んでも読んでも主人公が幸せにならないし、本人が幸せになろうとする努力もしない。
ずっと泣いてばっかりで、その身の不幸を神父さんに愚痴ったり、根本的な解決方法を具体的に考えない。

主人公は、父にも嫁いだ夫にも所有物扱いされ、死ぬほどの痛みに耐えて後継の息子を出産したのに、夫には公然と浮気をされ、小さい頃から身近な乳姉妹にまで手を出されたあげく、世間体の悪い事故(犯罪)で先立たれ、経済的に困窮し、成長した息子には邪険にされる。なんじゃそら。こんな話が世界の文学のトップとして選ばれた小説としてまかりとおってる?!

今流行の朝ドラの「虎に翼」の主人公風に言うと

はて?

「なぜ?少年少女文学全集の主人公たちのように知恵と勇気で現状を打破しない?」と疑問に思いながら読み進める中で、はたと気がついた。
「この人、自分で、稼いでない?」「自由になるお金がないのか?」

女性は、子どものうちは父親に従い、結婚したら夫に従い、老いれば息子に従う——。そのような社会的風習が根強く残っていたのです。

小倉孝誠先生
慶應義塾大学文学部教授

そういえば、少年少女たちは子供だから、いざという時どこかから大人の救いの手が伸びて、背中を押してくれたりした。モーパッサンの描く主人公は大人だ。
ここで、通し読みしていた百科事典上の知識がパズルのピースのようにカチリと音を立てて、今読んでいる納得できない物語の背景にハマった。「女性の自立は、この時代に確立されていなかったのだ。」と。「女は手に職by母方の祖母」ってこういう意味か!
自分でお金が稼げないと、イヤな目に遭った時、逃げ出せないのか!
ここで、私はひとつ「大人の階段」をのぼったんだと思い出す。

自立を胸に生きてきた
これまでを振り返り今後を見据える時

無我夢中で生きてきて、気づくと経済的な自立も心許せる大事な友も理解のあるパートナーも、およそ人生に自分が大切にしたいと思ってきたものを手にすることができた。

今来し方行く末を思う時、「必ずしも少年少女文学全集的に、自分の知恵と勇気と工夫だけで解決していくことばかりが人生ではないな」と思う。
その場、背景、世界情勢、自分自身の心身状況、全てがいっぺんに動いていく中で、自力の及ぶ範囲は限定されることがある。

「世の中って、ねぇ、人が思うほどいいものでも悪いものでもありませんね」

乳姉妹かつメイド ロザリの言葉


不幸でい続けるのは比較的容易いが、幸せになるのには不断の努力と工夫と運が要る。
人が、一生を渡り切るなかで淡々と受け入れるしかない状況も、まま生じるものだということを
さらに大人になった私は知った。
それでもみっともなく足掻くことも、そのままぷくりと浮かびながらひと時流されていくことも、どちらも自由で、どちらも批判されるべきものではないのだということも。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?