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オーディション番組で優勝して所属した芸能事務所を直ぐ辞める事になった日の話

 その運命の日は高校の男子トイレの中にあった。

 相方の母親からメールが届いたのだ。息子が同級生を切りつけた為、事務所を辞めさせるつもりだ、と。当時の私は歯列矯正をしており、食後の歯磨きが必須であった。思春期の自意識により、昼食をほぼ噛まずに飲み込んだ後に、自分のクラスがある校舎から程遠く、昼休みには誰も訪れる事の無い体育館のトイレに籠り歯を磨くという馬鹿げた行為を毎日行っていたのである。

 私と相方はプロのお笑い芸人だった。オーディション番組に出場し、優勝し賞金を獲得して大手芸能事務所へ所属していた。主催の芸能事務所が地方支部を立ち上げるにあたり、第一期となる所属タレントを集めるべく行った大会であった。無所属で長らく芸人活動を行っていた者や、本気で売れて行こうと目指す者が必死で挑んでいた事を覚えている。そんな彼らを蹴落とし、優勝した。そしてプロの芸人として、ローカル番組のレギュラーを持ち、ネタ見せを行い、ライブに出演し、東京での番組出演に向け事務所が動いている中で起きた事件であった。
 個室トイレでメールを受け取った時、私は驚いた。だが落胆はしなかったし怒りに打ち震える事も無かった。携帯を片手に歯ブラシを咥えた私は、拳を強く握りしめ頭上に掲げたのである。歓喜の呻き声で歯磨き粉を飛び散らせながら。
 私は、事務所を辞めたかったのだ。

 私と相方は彼らを蹴落としたのではない。踏みにじったのだ。その夢と熱意を。そして、輝くべき将来と人生を。

 その当日か、翌日か、週末かもう忘れてしまったが、事務所へ行き今後の活動について相方と先輩芸人の方々、事務所のスタッフと共に話し合った。私と相方以外の誰もが怒っていた。しかし、その割にあっさりと終わった気もする。個人で続けるという話を一応出してくれたが断った。そして、事務所を辞めた。

 後日、テレビ局に謝罪に行った。何を話したかはもう覚えていない。ただひたすら俯き謝罪の言葉を述べていた。それは本心であった。迷惑を掛けたという自覚はあったし、大人達が怒るのも当然だと理解していた。同期の芸人やオーディション参加者達からも恨まれるだろうなとも思っていた。だが、謝罪を終えたその帰り道、相方と二人並んで自転車を漕ぎながら見た海に沈む真っ赤な夕日は、美しかった。その煌めきの反射の中で、私たちは笑っていた。ただ開放感だけがあった。もう誰にも怒られなくていい、ネタを作り続けなくていい、苦手なトークもしなくていい、大人たちとご飯に行かなくていい。もう誰からも期待されないし、努力する必要も無い。
 相方に別れの言葉を告げ、帰路についた。彼とはそれ以来会っていない。

 その運命のから十数年後、現在。私は途轍もなく後悔している。あの時、相方の母親を説得していたら、事務所やテレビ局に許してくれと頼んでいたら、一人でも続けていくと言っていれば、私の人生は大きく変わっていただろう。
 抑鬱に沈む休日の夜に、悲嘆に暮れずにはいられない。何故全くもって好きでもないし向いてもいない仕事をし、毎日疲れ切っているのか。社会の歯車として滅私奉公する日々で生きる意味を失い、思考する力も無くなっている。今更あの日々に戻れる筈も無いという恐怖と諦念が、悔恨の念を強くする。私はもう何者にもなれないのだ。

 芸人として過ごす日々、それは私にとって青春だった。つまり子供だったのだ。好きな事をやりながら、責任は負いたくないと思っていた。この環境は偶然が生んだもので、困窮すれば周りの大人達が助けてくれるだろうと思っていた。そう、思っていただけで、考えてはいなかったのだ。頭の悪い子供は、失ってからやっと自らの浅はかさに気が付いた。
 ネタ見せでの指摘を説教だと勘違いし、それでもライブに出演出来る事は当然だと思っていた。そんな恵まれた環境に居ながらもたった二年弱続けただけで、面倒になっていた。思っていた程特別扱いされず、注目されない事に拗ねていた。我儘で自己中心的、にもかかわらずコミュニケーションを取ろうともしない。それが私だった。相方の不祥事に対し軽薄に拳を掲げ、逃避のきっかけを思考停止で享受する。矮小で没個性の勘違いをした学生にすぎなかったのである。

 オーディション番組に出たのも自らの意思であれば、事務所を辞めたのも自らの意思だ。才能を信じ切る事が出来ず、努力も出来なかった。相方との出会いも、優勝したその日も、不祥事を知ったとその日も、全て運命だったのかもしれない。人生の岐路に立たされた日。そして己が下した決断。私の人生は運命の一日に呪われ続けるものとなった。

 と、書いたのがもう六年前で、流石にこれだけ時間が経てば折り合いをつける事が出来るだろうと思っていたが、そんな事はなかった。なるべく考えまいとしながらも、未だにあの日々を夢に見るし、現に大阪でイベントやライブに出演しコントを披露している。自らが主催のライブも行った。同人誌を発刊し、ミュージックビデオを撮り、劇団にも所属した。されど何者かになったという実感は無い。会社の後輩たちが子供を育て、家を建てている中で、私は何をやっているのだろうか。
 かつての日々に追憶を馳せたい訳では無い。立ち消えた未来を夢想したい訳では無い。ただ、肯定したいのだ。この人生を、あの日の選択を、労働の苦しみの中から逃れえぬ現状を。

 2023年3月26日、福岡でライブを行う。
 未練がましい男の哀れな悪足掻きだと嗤ってくれて構わない。ただ見届けて欲しい。夢を諦めた人間の生き様を。働き、賃金を獲て、ただ日々を生き延び生活する事だけが人生では無いと。一握の砂のような才能が、嘘では無かったと。

音楽×演劇×詩×お笑い複合ライブ「創作による労働への勝利宣言祭」

【日時】3/26(日)13時半開場,14時開演
【場所】福岡大名ライブハウス「秘密」
【出演】おちゃめインパクト,バカダミアン,ゆーだい,アカカゲ,ちー,ムーラン,何もない我が家,田中ジョヴァンニ
前売¥1,500 当日¥2,000+1drink

予約フォーム
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末尾にはなりますが、当時ご迷惑をおかけした方々へのお詫び申し上げます。

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