漫画の背景が描けない!問題 フィクションの嘘
漫画の背景を描くことが大嫌いでした。
なんで描けないのか分からないから嫌い!
パース教本や背景教本を見ても全く描けるようにならず苦痛でした。
なぜ描けないのか分からない……必要な絵にならない……何が悪いのか分からない……きっと私が絵が下手だからだ……だってみんな描けてるし……ていうかなんで描けるんだ……描けない私がおかしいのか……背景向いてないからなんとか誤魔化して描こう……いやでも納得できないものを描いているとどんどん背景を嫌いになってしまうんだけどどうしたらいいんだ……
そんな私がある文章を読んだら描けるようになりました。特殊事例かもですが、私が言葉に触れ理解できるようになったと言うことは他にも理解できるようになる人もいるのかも知れない、と思い記事にします。
私は長く漫画において背景イラスト素材や風景写真をトレースしても自分のイメージとズレがあり、しかしそのズレを上手く言語化できず何かが違うという表現にしかならないという状態でした。だから背景が描けなくて苦手なのです。
フィクションは上手な嘘
背景が描けるようになったきっかけの文章とは、映画監督の故今敏監督のブログです。
東京ゴッドファーザーズの制作日記でした。東京の路地裏にあるゴミ袋を大量に描写する映画だったのですが「いくら絵が上手いアニメーターでも、そこに何のゴミが入ってるか分からないとゴミ袋が描けない」という話が出てきたんです。
それまで「背景が描ける人=絵が上手い人」(=つまり自分は絵が下手なので背景が描けずゆえに背景が苦手である)という思い込みがあったのですが、いくら上手くてもそこに何があるか示されないと描くことができないという当たり前の話しを改めて知ることになります。
しかしじゃあゴミ袋の中身を決めてひとつひとつ個性のあるゴミ袋にしアニメーターに描かせればいいのかというと、そういう話でも無く、今監督は中身のゴミをテクスチャにしてゴミ袋を量産します。中身に何が入っているかをなんとなく分かっていれば絵的には嘘をついて良い、正直に一個一個ゴミ袋の中を描く労力はあの映画には求められてないのです。漫画やアニメは作り手のリソースが限られているのですから、コストをかけるところとかけない場所を工夫しなくてはいけません。嘘をついても大丈夫な部分はハリボテでも構わないという特撮的な思考。
それまで私は背景は物語上にある(はずのリアルな)背景をどう画面上に呼び出すか、パースに関しても嘘をついてはいけないと思い込んでいました。しかしその後パースにしろ影にしろその時で嘘をついて良いんだという柔らかさが出てきました。それからはいろいろな嘘がつけるようになりものすごく楽になり、背景が好きになってきました。
絵は一貫して人物も背景もあまり上手くありません。背景が得意とは口が裂けても言えませんが、楽しいという感覚さえつかめればなんとかなります。
人間の目と虚構
人間の目は画一的ではないので透視図法を守ろうとすると堅く違和感がある絵になってしまう、とイラストレーターであり背景グラフィッカーの吉田誠治さんが仰っていたのですが、私もそう思います。
人間の目は動画で情報を記憶し、脳の中でいろいろな画像を繋ぎ合わせているので西洋的透視図法やカメラの焦点を人間の目に置き換えるのは無理があるのです。
アニメーターの方はシーンに合わせて頭の中にある何種類もあるレンズを切り替えている方がいらっしゃいますが、それも上手な嘘であり画一的な表現をしようとすると漫画やアニメの魅力は損なわれてしまいます。きちんとカメラが動きパースがとれている3Dアニメよりも、2Dアニメが支持される理由は嘘の付き方に年季があるからかも知れません。
正確に見えることに人間は余り心地よさを感じないのです。
みんな才能があるのでは?
背景が苦手だ、という意識の中に「写真的に」「(特に一点)透視図法的に」正しいパースや正しい背景をがんばろうとして窮屈で違和感のある画面になり苦手になってしまうという過程があります。
室内で撮った写真を使おうとすると狭すぎておかしな画面になってしまうとか。おかしいと思うのに「パースを正しく」「写真をよく見て描きなさい」という呪いの言葉に縛られてしまうのです。
しかしフィクションの背景について自由さを理解できるようになると、壁が邪魔だったら壁を破壊し、遠くから望遠レンズで撮るような絵を描写していいし、天井を破壊し上空から空撮した絵を描いても良いと理解できるようになりました。邪魔だったら柱を一旦どかしたり、遠近感を出したいなと思えばカメラ越しに一回り大きな柱を描写することも全然いいのです。
背景が少し理解できるようになった時、本当に私は背景が苦手だったのかな?と考えました。フィクションの背景が理解できないから表現できなくて苦手であるが、表現したい背景が自分の中にある状態ですがそれは苦手でも嫌いでもなかったのかもしれないと思います。
人一倍こだわりがありそれを表現できないだけだったのではないかと。もしかしたら理想の背景にならないとかズレがあるという考え方ができる時点で才能がある人なのではないかと私は思います。
頭を柔らかくしてくれた資料
今敏監督やアニメーターの田中達之さん、イラストレーターの吉田誠治さん・ロマン・トマさんが考え方を自由に解放してくれました。