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腰が重くなるのは、まだ先がいい

ある日の23時45分。

私は途方に暮れていた。

あと15分で明日になり、明日には私はこの家から引っ越しをするのに、全く荷造りや掃除が終わっていないからだ。

部屋全体を見てみると、商品撮影のために使ったお皿が出しっぱなしになっているし、シンクにはまだ洗っていないコップが置いてある。細々とした雑貨や服がベッドに散らばっているし、掃除は手付かずのままだ。まだお風呂にも入っていないし、なんなら仕事もちょっと終わっていない。止めを刺すかのように、本が入った重い段ボールを動かしていたら壁に小指を擦ってしまい、ずるりと指の皮が捲れて血が出てしまった。

……無理かもしれない。

そんな思いが頭に浮かぶ。数時間前に「引っ越しの準備どう?」と母から電話があり「全く終わってません」と部屋の写真を撮影し送ったところ、“引っ越し前夜の荷造りの状態”の想像を遥かに超えてしまったのか、「これは……徹夜かもね」と優しく返ってきた。

数日前から荷造りを進めていたはずなのに、なぜこうなったのだろう。

途方に暮れすぎた人間はどのような行動を取るのか。

私の場合は、あろうことかパソコンに向かい、キーボードを叩き出すという暴挙に出てしまった。

引っ越し業者は昼過ぎに来る。奇跡的に昼の便での予約に「よくやった!」と自分を褒めたけれど、「無理かもしれない」というネガティブな気持ちと、これからこなさないといけないミッションが多すぎて、完全に私は逃げたいと思っていた。逃げ出したすぎて、現実逃避に今の気持ちを文章に綴り始めていた。

引っ越し前夜に?全く準備が終わっていないのに?やれよ?準備しろよ?ですよね。私もそう思います。一心不乱に叩いている場合じゃない。

今ならそう思うのだけれど、当時の私は本当に無理すぎて、書くことで気持ちを落ち着かせようとしていた。逃げ出したいときは、私は文章を綴るのだな、なんて自分の一面を知った日でもあった。


***


天井照明は外していたので、スタンドライトだけの薄暗くなった部屋で文章を書く。

「無理だわ」「小指いてえ」なんて、なんの解決もしない言葉を書いているうちに、だんだんと思考が整理されていく。

書き進めていてふと思ったのが、そういえば数年前に引っ越しをしたときは、こんなにも途方に暮れていなかったぞ?ということ。

荷造りもさっさとできたはずだし、引っ越し前夜に途方に暮れて文章を書いてはいなかった。なぜ数年ぶりの引越しで私はこんなにも苦戦しているのだろうか。

モノが増えたから?

以前住んでいたワンルームよりも多少家具は増えたかもしれないが、1Kなのでそこまで大きな変化はない。引越しに必要な手続きも特別なことはほとんどない。

ではなぜなのだろう。前回の引越しよりも格段にハードモードである。

時間がないのに、天井を見つめながら考える。なぜこんなにも一つ一つの腰が重いのだろう。

一つ思い浮かんだのが、年齢を重ねたから?

年齢なんて関係ないし、気にしたくないけれど、前回よりも疲れるし、テキパキと動けない自分がいる。数年前と比べてフットワークが重くなったからかもしれない……と感じてしまった。もちろんあくまで私の感覚だ。

そう考えると、フットワークの重さはコロナの影響も大きい。昔はもっとさまざまなことに気軽に挑戦していたように思う。この約三年間で行動に対してのハードルがぐんと上がっている気がするのだ。

引越しなんて「行動」の塊というか、ラスボスみたいなところがある。行動しなければ、私が動かなければ、終わる案件。誰かが何かをしてくれるわけではない。辛い。

この「行動」自体に対しても免疫が、ここ数年でみるみる低下していることを自覚した。

今でこんなに腰が重いのなら、数年後の私はどうなっているのだろう。もっと動くことに対して億劫になっているかもしれない。


***


少し話は逸れるが、私は10代の頃から「ミスド食べ放題がしたい」願望があった。ミスドに限らず、「アイス食べ放題」「ホールケーキ一人で食べたい」「シュークリーム飽きるまで食べる」など、食に関してやりたいことがたくさんあった。

大人になった今。いつでもミスド食べ放題ができるのに、私はもうミスドは3つほど食べたら満足する体になってしまった。悲しい。食欲全盛期の10〜20代前半に飽きるまでやっておけばよかった。

体の変化なので仕方のないことだけどさ。今回の引っ越しを経て、ミスドの食べ放題を思い出していた。

いつか、“できないこと”はやってくる。

ミスドに限らずに、軽やかな引っ越しも、どこかへ行くことも、食べることも、いつか「長距離移動はしんどいからもういいかな」と思ってしまうときが来るかもしれない。大好きなパンケーキを重く感じてしまうかもしれない。焼き菓子やパンの爆買いができなくなってしまうかもしれない。

今なら“できること”は、私の周りにたくさんある。

「さまざまなことへの可能性があるのに、行動の免疫が下がっているのはもったいなくない!?」と、キーボードを叩いていた手を止めて声に出す。

そもそも今回の引っ越しは楽しいことだし、しがらみもない私はどこへだって行けるのだ。貴重な時間をもっと楽しまねば。腰が重くてネガティブな気持ちになっているのはもったいない。

できることを自ら手放している感覚になり、引っ越し前夜に急に「気になることはどんどん挑戦しよう」とやる気が出てきた不思議。あれほど逃げ出すことを考えていたのに、急に気持ちが変化して笑ってしまう。10年後に「もっとああしておけばよかった」と思わないように、少しでも気になることはやったほうがいいよね?

ここまでの考えをメモしてパソコンを閉じ、お風呂に入るべくタオルとパジャマを抱える。徹夜覚悟でやったろうじゃないかと、心のハチマキを締め直した。

私はまだ、免疫力は弱めたくない。

腰が重くなるのは、まだまだ先がいい。


***


結局直前までバタバタしたものの、無事に引っ越しは終了。本当に(本当に)疲れました。

引っ越ししてしばらく経過し、すっかりと暮らしにも慣れてきた今日この頃。新しい家では色々と部屋の模様替えも楽しんでいきたい所存です。

そうそう、あれから気になることは挑戦しようをモットーに、秋の三連休に餃子を食べに宇都宮へ行ってきます。日帰りの弾丸ツアー!前から宇都宮で餃子をたくさん食べたい願望があったので、すごく楽しみ。

気になること、やってみたいこと、身につけたいことは、もっと気軽やっていきたいですね。(先日は友人と焼き菓子屋さん巡りをしてきました)

まだリハビリの段階ですが、行動の免疫を上げていく気持ちを忘れない。

最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪