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時間の魔法

最初に断っておくと、私は「丁寧な暮らし」には興味がない。「丁寧な暮らし」がどんなものかよく知らないけれど、字面からは私とほど遠いところにある気がする。

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低温調理器が嫌いだ。
過去最高レベルのおいしい豚肩ロースは低温調理器によるもの。鶏むね肉もローストしてないビーフもおいしかった。
それでも、私は低温調理器を好きになれない。

時間をかけることがおいしさの秘訣、とは思わない。時間と手間暇をかけるからおいしくなるわけじゃない。
そもそも、ぱぱっと料理でもおいしいものはおいしい。

今日、トマトソースを作った。
すごく久しぶりだったからなのか、以前使っていたのとは違うトマト缶を使ったからなのか、思ったほどおいしくなかった。
トマト缶にイタリア産と書かれていても、実は○○産が使われている…という映画を見たせいか(← 気のせいってこと)。最初、少し火が強すぎたせいか。
トマトソースがおいしくできないことなんて今までなかったから、正解を見つけられずにいる。

玉ねぎを切る。焦げないように、でもしっかりと炒める。トマト缶を加える。塩とバジルを加える。ごく弱火で煮詰める。
流しからコンロまで、ずっと目の前のものの様子をうかがっていた。
同じ厚みの薄切りになっているか。焦げないか。十分に炒まったか。トマト缶を投入するタイミングは今か。塩の量、バジルの量はこれでいいか。
混ぜ混ぜ、混ぜ混ぜ。
火の大きさはこれでいいか。もっと弱火がいいか。濃度はどうか。もっと煮詰めた方がいいか。酸っぱい、砂糖をほんの少し加えよう。

ずっと、ただひたすら目の前のもののことを考えていた。
どうしたらおいしくできあがるか。
できあがったら、なにに使おうか。
結局、おいしくはできなかったけれど、ある結論を得た。
料理のおいしさは、この目の前のものに向き合うことによるのではないか。

状態を観察し、ベストなタイミングを見計らい、逃したら挽回するタイミングをうかがう。
そんなふうに作り手がその場の精一杯を表現しようとしたから、おいしくできあがるように思う。
作りたがりの自己満足と言われればそれまで。

でも、だから素材のおいしさを引き出すようにセットして入れておくだけの低温調理器には魅力を感じないのだと思う。
作り手のおいしくするための努力が感じられないから。
入れておけばおいしい、だから入れておく。それも一理あるし、味付けは努力するわけだけれども。

商品を買うときにその作り手や売り手が好きだと欲しくなる。通うお店もそう。
漆琳堂のお椀、ろくろ舎のカップ、10YC、わおん書房、長尾と珈琲、バンカム・ツル、おちょキッチン、、
ものを買って、ものを飲んで食べてしているけれど、人に対してお金を払いたいと思うから買う、飲む、食べる。すべては、人。

それと同じ。
その人を感じられるごはんには、おいしい以上の価値がある。だから「ごちそうさま」が自然と口から出る。
もちろん、低温調理器によるものも、作った友人を感じられておいしいから「ごちそうさま」は自然発生した。特に人に出すときは、すごく考えて作ってるの見てるから。

結局は、失敗しがちな作りたがりの低温調理器への嫉妬にすぎないのかも。

ちなみに、トマトソースがおいしくないのは、たぶん缶詰そのものがおいしくないからだったと思われる。
夏になったら、畑で採れたトマトでリベンジだ!


ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす