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気持ちを話せる相手

 孤独って何だろう。さびしいってどういうことだろう。孤独やさびしさについて、ひとりで考えることはあるけれど、誰かに話すことはほとんどなかった。(話すと書くは別物)
 自分の気持ちに関する部分は誰にも話さない。質問させないようにするし、されても「どうかなぁ、そっちはどうなの?」と質問で答え、話さないようにしている。
 昨夜は、たしかに帰りは泥酔していたけれど、話していたときは全然まだまだ素面だった。なのに、聞かれるがままに答えた。

 昨日はお惣菜屋さんとして、月に2回開催されている日本酒のイベントに出店した。3月からどんどん客足が鈍くなり、4月に入ってからはまったくお惣菜が売れない。
 それでも出店しているのは、「お惣菜屋さん、やりませんか?」と声をかけてくれた主催者の恩に報いたいから。というより、そこで仲よくなった人たちが好きで、一緒にいるととても楽でいられるから。
 その人たちの何人かは、4月からは転勤や就職でここを離れてしまい、それに連れてこっちに残っている人も姿を見せなくなっている。昨夜はとうとうふたりきりでの打ち上げとなった。
 なか卯に入り、生ビールで乾杯。カレーや唐揚げ、ハイカラそばを注文し、「お腹いっぱい、どうして注文したんだろう」なんてことを言いながら飲む。

 友だちと初めてのふたり飲み。いつものバーでふたりで話しながら飲んだことはあるけれど、店主もいれば他の常連客もいる状況で、まるっきりのふたりは初めて。でも、別に緊張感はなく、だらだらとしたいつもの感じだった。
 友だちの子どもの話から、セックス、人付き合いへと広がっていった。
 友だちのセックスに関する話は私にはまったく未知の世界で、聞くたびに興奮する。変な意味ではなく。たぶん友だちの率直さが、私にとって何より心地よいのだと思う。どんなこともあけすけに、あっけらかんと話す。いやらしさは微塵もない。ちなみに、行為の内容ではなく、そこに至る経緯を聞いているだけ。
 友だちにとってセックスは人間関係の入口だ。コミュニケーションの最初の手段ともいえる。セックスがいいから付き合うのではなく、セックスがなくなっても付き合いたいと思う人と付き合い続けるのだそう。
「アキさんと同じです。ただ一緒にいたい、会いたいと思う人というだけで、別にセックスしなくなってもずっと友だちでいたい」
 ああ、ちなみに私はしていない。たぶん男友だちと同じ立ち位置なんだと思う。

「さびしいと思うことはないですか? 孤独を感じることはないの?」
 友だちの行動の理由を聞いていく中で、逆に質問された。濁すこともできたし、「言いたくない」と言うこともできた。
「ひとりでいて孤独は感じない。人と一緒にいるときの方が孤独を感じる。好きな人といるときに『さびしい』って思うくらいなら、ひとりでいた方がいい」
 友だちの率直さに、私もつられてしまったようだ。でも、この人なら言っても平気な気がした。
 私は知らないことを「知らない」と平気で言う。だって知らないんだもの。常識がないと言われても、恥ずかしげがないと言われても、知らないものは知らない。知ってるふりはしない。(たまにするけど)
 それと同じような感覚を、友だちに覚える。自分にとってセックスとは人間関係の入口、以上。誰がどう思おうと、世間一般と隔たりがあろうと、常識にそぐわなくても、自分にとってはそうなんだ。それを隠す必要、ある?

 結局、いつものバーで泥酔し、カウンターでぐっすり眠った。ときどき「起きて」と店主に突かれながら。
「アキさんは、楽です。『知らない』ってはっきり言ってくれるから」
 昨夜の最後の記憶。帰りがけに言われたけれど、何の話でそうなったのか覚えていない。でも、きっと共感できること、共有のものがあるのだと思う。
 そんな友だちも夏には引っ越すかもしれない。「このメンツが出会ったのは奇跡」と言っていたみんなが、それぞれ散り散りに進んでいく。
 置いていかれるのは嫌だけれど、でも出会えたこと、一緒にすごせたことがうれしい。だから会えたときは存分に話し、笑い、飲んで楽しもう。
 この人たちといるとき、私はちっともさびしくない。



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