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プロになる

 プロとは何だろう。いつも私に問いを与える人から、以前「プロとは何ですか?」と問われたことがある。何度か尋ねられ、今もまだ解は出ていない。

「クライアントの満足は最低限、プロなら驚かさなくてはならない」
https://note.com/tanakaaki_show10/n/n432ce9d21ee4

 私がフリーランスとして、プロとして尊敬してやまない人の言葉。
 身近にサイト制作、撮影、ライティングをフリーランスで行っている人がいる。私もそのうちのひとり。
 フリーランスだからプロなのかというと、そういうわけではない。フリーランスはあくまでフリーランス。プロとはまた別だ。プロと呼びたくないフリーランスを知っている。私もそのうちのひとりで、恥ずかしくてプロだとは名乗れない。
 会社員でもクライアントを満足させる以上の仕事をしている人はいる。その人もまたプロといえるのだろうか。
 プロとは何なのか。

 私にとって書くことは息をすること。口から出せる言葉には限界がある。ぱっと口に出す言葉で、自分の中にあるものを表現できない。手を動かすことで、ようやっと言葉になる。
 書くことで思考し、書きながら思考が形となっていく。書かなければ頭の中はケイオスで、整理されないまま放置すると腐ってしまう。思考が腐り、心も腐る。
 心のなかに溜まっていく澱は、文字となることで昇華される。書かないでいるとドロドロのヘドロが理性を飲み込んでしまう。
https://note.com/tanakaaki_show10/n/n5f04cd05fbf0

 私にとって書くことは仕事以前に自然な行為だ。息をするのと同じくらい、書かなくては生きていられない。だから書く。
 プロとは何かわからなくとも、書きたいことを書くだけではプロじゃないことくらいはわかる。書きたい書きたくないにかかわらず、クライアントが満足するものを書き上げること。それが文章を書くプロの最低限だ。
 でも書きたいと思っていないことを書き上げることの難しさよ。頭と心のおもむくまま綴っているnoteとは異なり、与えられたテーマで読者が完読するものを書くのは苦しい。
 いや、書き上げることはできないことではない。ただ心が空っぽになっていく。ネットの情報をかき集めたような記事、何のために書いているんだろう。
 そんな疑問を抱くと、仕事としての書くことからフェードアウトしていった。

 ほとんど書かなくなっていたのだが、どうしても書きたいことがあり、ノーギャラで書いた。
 偶然目にして参加した、関係人口創出の一環として冊子をつくるワークショップ。「この街にこの人あり」という人を紹介するプロジェクトなのだが、その「この人」に友だちを推選し、自ら取材した。友だちの社会的認知や社会的地位を向上させたい。その一心で書いた。
 実は原稿の締切前夜、その友だちが完成原稿を却下。朝まで寝ずに別の切り口で書き上げ、「まあまあ好き」と言ってもらった。
 最初の原稿は、私が書きたかったことを書いたもの。編集担当に「え、この人ってこんなことしてるの!?」と驚かれ、いい感じで進めていた。けれど完成稿を見た友だちからは、冊子のテーマに合っていないとダメ出しされた。
 結局、書き上げた原稿に鮮烈さは一切ない。私が書きたかったことではないけれど、冊子のテーマにはそこそこ合ったものになったと思う。

 キツイ経験だったが、再び仕事として書いてみようという気になった。そのタイミングで取材の仕事が回ってきた。
 1本目は取材自体、はっきり言って失敗。取材がうまくいかなかったから、なかなか書けなかった。それでも取材中にわくわくする瞬間が何度か訪れ、もっとこの取材先について知りたいと思った。
 週末は2本目の取材。この日のことをしばらくは忘れられないと思う。
 相手が取材慣れしていて、かつ仕事に対して熱量を持っていたので、予定を大幅に超える2時間半ものインタビューとなった。
 事前に用意した質問メモなんてすっ飛ばし、相手の話に聞き入る。合いの手を入れながら、存分に話してもらう。どうしても聞かねばならないことは話が一段落してから聞き、心的距離が近づいたところでさらに深堀りしていく。
 アドレナリンが放出され、軽く汗をかきながら顔が火照ってくる。録音しているからいいものの、メモをとる余裕もない。ただただ話を聞きたい。一言ももらさず、この人の話を聞きたい。

 私がフリーランスとして、プロとして尊敬してやまない撮影業をしている友だちが、以前こんなことを言った。「取材の仕事は言い値で受ける。撮影の本懐は知らないことを知れること。だから取材の仕事をしたい」
 いや、あなたは撮影自体を愛してるじゃないの。撮影しつづけること、それがあなたの望みでしょう。ずっとそう思っていたから、本懐について語ったときは聞き流していた。
 今やっとその意味がわかった。
 私が書くことをやめられないのは、いつか取材の仕事をしたいと思っているから。私はとにかく人の話を聞いていたい。知らないことも知れるし、何より話しているその人を知れる。人間を知りたいという私の欲望が満たされるとき。
 書くことがしたいんじゃない。書くという手段で、人の話を聞く。それが私の書くことの本懐。
 本懐を遂げた先に書くことがあり、書くことでクライアントを、取材を受けてくれた人を満足させる。それがプロとして、私がやるべき最低限のこと。

 4月になったら開業届を出そうと思う。開業届を出したからプロ、ではないけれど、ひとつ自分の覚悟を決めるため。
 1本でも多く取材をしたい。そのためには1本1本のクオリティが大事。話を聞いて終わりではない。次、また依頼がもらえるように、書く力を向上させなくては。
 目の前の1本の仕事に全力を注ぐこと。次の声をかけてもらえるよう、準備、努力を怠らないこと。私はそういうプロになる。



ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす