お金の話

お嬢さまではないけれどお嬢さま育ちなので、お金の話はとっても苦手。
「お勉強して」なんて、とてもではないけれど言えない。貸したお金を「返して」と言うのもはばかられる。
でも、お金のことをきちんとしておくのは大事だなと、つくづく思う。

シェアハウスで暮らしていると、お金のことがなあなあになりがち。(うちのシェアハウスだけ?)
調味料やラップ、ゴミ袋など、日常的にみんなで使っているものがなくなると、気づいた人が買ってくる。そして、なくなる前と同じように、みんなで使う。そしてそして、なくなるとまた、気づいた人が買ってくる。
だがしかし、ここでひとつ気になることが。
気づく人は大抵同じ人なのだ。大勢で暮らしていて、その中の1~3人が気づいて買ってくる。

もちろん、日々の買いもののついでに買ってくる1~3人もいれば、ネットでトイレットペーパーを箱買いしてくれる人もいる。
それを買ってくる人が気にしていないとしても、見ている私は気になる。

あるいは、「みんなでごはん食べよう」となったときは割り勘になりやすいけれど、「たくさんつくったから食べて」となったときには割り勘にならない。とか。
もちろん「おいしかった、ありがとう」とは言うけれど。え、誰も払わないの? 一食分、材料使わずに済んだのに? 一食分、浮いた、って感じ?

ちなみに、私はお支払いが欲しいときは「ちょうだい」と言うし、試作品で食べてみて欲しいとか、一緒に食べたくてつくったときとかには「ちょうだい」とは言わない。

かつて、みんなの食いがよくて自分はほとんど食べられなかったのに、「投げ銭ちょうだい」と言ったら何度もおかわりしていた人から送られた金額が200円で愕然としたことがある。もっと食べてない人が3倍くらい払ってくれたし、食べた分の材料費に足りないことくらい、自炊してるのだからわかるはずだし、にもかかわらず200円って。

誰かがつくったものを食べたら、材料費くらいの金額を送る。「え、いいのに」と言われても、私にはよくないのだ。払わないと気持ちが悪い。
それでも、自分も「Free 切干大根の炊いたん」とか「Free 里芋の炊いたん」とか置いておくし、お互いさまだから「ま、いっか」と払わないことも増えた。

私には見えないそれぞれの関係性があるから、払わなくてもいいのかもしれない。でも…。

ものやことに適正価格を払いたいと思う。お金がないにもかかわらず、安く買い叩くことはしたくない。
好意に甘えていると、いつか相手は「搾取されている」と感じるかもしれない。好意にも限界は訪れる。
好意に甘えていると、いつしか当たり前と受け取るようになるかもしれない。「ありがとう」の気持ちも言葉も忘れて、なんなら好意なのに「なんでしてくれないの?」となるかもしれない。

好意でも、お互いさまでも、してくれることに見合うだけのお返しは必要だ。友だちや家族なら、なおさらなおざりにしてはいけない。


こんなふうに書いているけれど、実は私はお金を借りても返すのを忘れることが多々ある。恥ずかしい。
言い訳すれば、お金だけでなく、借りたものに限らず、忘れものが多いのだ。
だから、払おうと思って払い忘れることもよくあったり、なかったり、あったりする。はず。

自戒の念を込めて。



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