シェルター

 安心できる場所を見つけた。めったにないから大事にしたい。でも一方で入り浸りたいとも思う。それがいいことではないとわかってるけれど、精神的にきついとき、どうしても浸かりきってしまいたくなる。
 この一週間、ほとほと疲れた。絶頂からどん底へ。っていうほどでもないけど。「そっか、そうなんだ」ということが二度もあって、その両方とも、実はたいしてショックではなかった。だって予想の範囲内だったから。
 ただ衝撃を受けなかった代わりに、じわじわと真綿で首を絞められるように、時間が経てば経つほど苦しさが増していく。そのせいで理性を欠いた行動をとり、ほかに迷惑というか、嫌な思いをさせてしまったように思う。いくつになっても年相応の配慮ができない自分が、ほとほと嫌になる。
 自分が嫌な思いをして、よくしてくれる人に嫌な思いをさせて、そんな自分が嫌になって、もうどん底というかドンツキというか、行き場が見つからない。気持ちの持っていきようがない。
 だから、安心できる場所へ逃げ込みたいと思ってしまう。

 今、安心できる場所は2か所あって、ひとつは友だちのところ、もうひとつは秘密基地。
 友だちは、唯一の友だちなので、大切にしたい。迷惑をかけたくないし、嫌な思いもさせたくない。似通った考え方をする一方、まったく異なる考え方もするので手探り状態。地雷がどこにあるのか、まだ見えてない。だから、安心できる半面、気をつかう。友だちにではなく、ふたりの関係に。
 いろんなことを話すけど、はたしてすべてを話せるかというとそうではない。先日「信頼できる人がいない」と告げた。それは、友だちも信頼していないと言ったも同然。友だちはそこには触れず、「信頼できるのは自分だけ」「誰かを信頼するのは、こっち側の勝手な思い込み」とつぶやいた。
 そんなふうに私を尊重してくれる友だちだから、長く友情が続くように努力しなくては。

 もうひとつの秘密基地は、もう五度訪れている。いや、正確には六回かな。
 初めて訪れたとき、というか会ったとき、なんともいえず落ち着いて、その印象が今まで続いている。あのときの対応と今と、全然変わらない。初対面でも、回を重ねても、変わらぬ態度と距離感。近すぎず、でも遠からず。馴れ馴れしくなく、でもよそよそしくもなく。
 初めて会ったとき、初めてとは思えないくらい自然に会話できた。たぶん30分くらい、話したのではなかろうか。そのときは立て込んでいる様子だったので、迷惑かもと私から退いた。迷惑がることなく、引き止めることなく。
 そのときのまま、今に至っている。初対面から数か月経って再会したのだが、「あ、ども」と。「覚えてますか?」と尋ねると「覚えてますよ」と答えたけれど、覚えていてもいなくても対応は同じだったろう。常にフラットに接し、あちこち寄り道しながら会話が広がっていく。
 実は得体が知れないと思っているのだが、だからこそ安心できるのだと、昨日気づいた。裏も表も底も、なにも見えず、私智が及ばない。だから裏読みできないし、できないものはやらない。裏読みしなくていい人といると、ほっとする

 私はたいてい、大切な人を自ら切ってしまう。やっとできた人生で一番信頼した人すら切り捨てた。
 今ある安心を、いつ自分が壊してしまうか不安でたまらない。安心してはいけない、そう自分で自分に罰を与えるのはなぜだろう。いや、それが私。子どもの頃から変わらぬ破滅志向。
 だから友だちにも、安心できる場所にも浸ってはいけないと自分を押しとどめる。破壊する衝動に駆られないため。大切な場所を失わないため。あったものがなくなったときの苦しさは、今の何倍にもなるとわかっているから。
 わかっていても、きっと足は向いてしまう。「いつか」の苦しさよりも今の苦しさを和らげる方を選ぶ。そうやって、いつだって大切なものをなくしてきて、だから私は今も苦しんでいるというのに。
 そりゃドンツキに行き当たっちゃうはずだわ。



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