「猫は生きている」(追記あり)

8/15 追記:子どもの頃に読んだ「猫は生きている」をずっと広島が舞台で、原爆被害の話だと間違えて記憶していました。本来、「猫を生きている」は東京大空襲についてのお話。それでも、読んだことも、読んで広島へ行って戦争を追体験したことも、広島へ行ってから「猫は生きている」を読むたびリアルに感じたことも私の実体験です。記憶違いに気づいた今も、ネコたちは列になって瀬戸内海が見える山の中にいると思っています。

我が母は高校の国語の教師であった。
実家を売り払うとき、悩みに悩んだけれどそのまま置き去りにした彼女の蔵書。薄紙に包まれた古文の全集、漢詩の本が大量に、私立探偵スペンサーやサラ・パレツキーやスー・グラフトンの女性探偵ものなど推理小説も山ほど、沢木耕太郎、井上ひさしなどなど。おそらく4~500冊はあったのではないだろうか。

売り払う前に住んでいた、最初の自宅も本でいっぱいだった。
リビング横の和室にある庭に面した窓の下には、子ども用の本が置かれていた。「人魚姫」をはじめとするいわさきちひろの絵本の数々、「八郎」「モチモチの木」などの斎藤隆介と滝平二郎のコンビによる絵本、「エルマーとりゅう」シリーズ、「ぼくは王さま」シリーズ。
そして「猫は生きている」。

私の両親は左翼的な人たちだ。
だから小さいときから戦争や政治は身近なものだった。
姉のために買った第二次世界大戦や原爆、ひめゆり隊についても子ども向けの本がたくさん置いてあった。
活字中毒でどれもこれも読んでしまう私は、置かれていた本を次々に読破。同じ本を何度も読むのに飽きて、ときに新しい本が欲しいとねだった。
そうして買ってきてくれた本のうちの一冊が「猫は生きている」だ。

最初はネコが出てくる本だとしか思っていなかった。
今でも覚えている、挿絵。
怖いというより、初めて知る人の姿に驚いた。
べろりとむけた皮膚って、皮膚の下はどうなってるの? 皮膚がむけても大丈夫なの? なんでネコは生き延びれたの? 私もここにいたらきっと死んでるだろうなぁ。でもこんなふうに苦しいのは嫌だなぁ。

いわさきちひろや滝平二郎の整った絵とは違う。
むき出しの命や火の熱さを感じる絵。
子どもながらに強烈だったらしく、定期的に読み返していた。

小学2年生のとき、毎夏の家族旅行で広島へ行った。
その旅行で覚えているのは、石に張り付いた人間の影と歪んだアルマイトのお弁当箱。
広島でどんなホテル泊まったのか、なにを食べたのか、それ以外にどこを見て回ったのか、一切覚えていない。

広島から戻って以降、本の世界がリアルになった。
読むたびに、川が目の前で流れ、振り返るとおばけのような人たちがずるずる皮膚を引きずりながら歩いている。
ネコたちを助けなくては! 本の中にいる私の心の声が聞こえる。

75年間、影は石に張り付いたまま。お弁当箱もそのまま残っている。
ネコたちは生き延びられたのだろうか。
ネコたちも後遺症に苦しんだのだろうか。



広島へ行った4年後、小学6年生のときの夏休み、新聞記事を見て作文を書くという宿題が出された。
夏休みの宿題はほぼ提出しないのだが、この作文は自分の意志で書いて出した。どうしても書かずにはいられなかった。

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=25979

1983年8月、中曽根康弘首相は広島市の原爆養護ホームを訪問した際、「病は気から。根性さえしっかりしていれば病気は逃げる」と発言。
私はこれを「原爆症なんて病気はない。手当もらうために、しんどいふりしてるのはわかってる。もうそろそろ給付は打ち切るから、病気のふりはやめろ」と言っていると感じた。

許せないと思った。広島と縁もゆかりもないのに。
でも私は体験したのだ。
追体験という体験を。
ネコを見ている日常がぱっと消え去る一瞬。人間とは思えない姿に変わった人たち。ここがどこかわからぬ場所にひとりでいる心もとなさ。
間違いなく、私は広島にいた。



我が母には、複雑な感情を抱いている。
だけど、本を与えてくれたことには感謝しかない。
(おかげで私は中曽根康弘のような人間にはならずにすんだ)


ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす