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波乱を好み、刺激を求める

 なにも起こらない平凡で穏やかな日常が続けばいいのに。変化などなく、晴れやかなことも特別なこともない、映えない毎日。そんな日々をすごしたい。
 そう望んでいる。間違いなく。
 でも。

 いつだって私は「ここではないどこかへ行きたい」と思い続けてきた。
 場所だけじゃない。
 県内随一の進学校で、東大京大へ進む生徒も多い高校だった。特別じゃなくとも平凡に勉強していれば、最終的に進学した法政大学(中退したけど)レベルなら受かっただろう。毎日宿題と1~2時間復習をし、テスト前にもきちんと準備をしてすごしていたら、520人中500番なんてことにはならなかった。
 なのに私ときたら、高校3年間プラス卒業後3年もぶらぶらしたあげく、母に「もう受験はさせない」と言い渡され、ラストイヤーでようやっと合格。なんという綱渡り。

 そう、いつだって私は石橋を叩いて叩いて叩き壊して、綱渡りをする。橋があるのに。叩いて強度を確かめたなら、渡ればいいのに。叩き壊す必要などないのに。
 まるで綱渡りをするために、橋を叩き壊しているかのよう。
 それでいて「波乱のない、穏やかな人生を歩みたい」などと言う。
 私の人生は、それほどドラマティックではないけれど、バーのマスターに「そんな話、聞いたことない」と言われるくらいのあばさけ度。(※ あばさける=ふざける)
「まっとうな人生を歩みたい」
「普通の暮らしがしたい」
「穏やかな日常がいい」
 望んでいるはずなのに、そうでない時間をすごしてきたのは、自分が綱渡りを欲しているからかもしれない。

 自分が破滅志向であると自覚している。そして、家主と私が似ている点のひとつが破滅志向であることだと思っている。私より賢い家主は、破滅しそうでしないポイントを見極めて楽しんでいるような感じもするが。彼に比べると、私はより破滅を求めているかもしれない。
 中学校を卒業するときには「将来はホームレス」と書いた。子どもの頃から、自分の行く末に破滅が待っていることに気づいていたのだろう。
 私は、失敗する方を故意に選んできたように思う。
 失敗するとわかってて、スリルを味わいたくて危険な方を選ぶ。10回に1回くらいは成功して、その成功のうまみが忘れられず、橋を叩き壊す。スリル イズ 麻薬。MDMAやコカインよりも強烈な快感。だから私はクスリに手を出さずにいられるのかもしれない。(いや、試したことないから想像だけど。いや本当に。もし手を出してたら、私はすでに死んでいる)

 穏やかで平凡な日常を送りたければ、私はこのままここに暮らすだろう。別にどこかへ行かずとも、私はここでタナカアキとして生きていけるのだから。
 もしここを出て、よそへ行くことにしたなら、私はやっぱり波乱を好むということ。綱渡りに失敗し、「ああ、こんなことなら」と後悔する日が来ると思いながら生きていく。
 変化が欲しいわけでも、特別な出来事が起きて欲しいわけでもない。
 私は破滅を待っているのだ。
 そして、一方で私の生存本能は破滅を避けるために、いつもと同じ日常をすごしたいとささやき続けている。

 晴れた気持ちのいい休日に、行きつけのカフェで談笑しながら、私はそんなことを思った。

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