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足りないもの

都会は苦手。人が多いから。
でも、都会に住みたくなるときもある。

都会には芸術がある。
身近に美術館があって、映画館もたくさんあって、お芝居やダンスの公演も、図書館や学校へ行くくらいの感覚で行くことができる。

東京に住んでいた遠い昔、東京サンシャインボーイズの休眠前のラスト公演(「リア玉」じゃないよ)のチケットが手に入らず、始発で当日券を目指して行ったっけ。
ベジャールの「Ballet for Life」も、第1回フジロックも、メタリカも、大竹しのぶ氏(作品忘れた)も、東京にいたから行けた、見れた。

福井に戻ってからも金沢21世紀美術館には何度か足を運んだ。
前職でよかったことのひとつが、展覧会紹介コーナーを担当したこと。おかげでいろんな作家を知った。

人の感情を虫で表現する、川越ゆりえ氏。
別な大型展示を見に行ったとき、小さな小部屋で開催されていた「弱虫標本」に夢中になった。


漆塗りの人型造形作品を作る、青木千絵氏。
まだ見たことがなく、一度は見に行きたいと思っている。


私の中では、絵画も彫刻も、お芝居も、音楽も、ダンスも、映画も芸術。
芸術は、なくても困らないもの。生活するのに必要ない。
そういう意味では、小説も、短歌も、マンガも、料理もそう。
生きるために栄養をとるだけであれば、調理でいい。栄養を最大限摂取できるようにするだけでよく、おいしくする必要はない。見た目よく盛り付ける必要もない。
お芝居や映画、小説から想像をふくらませる必要も、音楽を聞いて泣いたり、叫んだりする必要もない。

芸術は空白を埋めるもの。否、空白を生み出すもの。

空白やすき間がないと息苦しい。
ぱんぱんに詰まった日常に風を通す空白。それが芸術だと思う。
だから、なくても困らないけれど、あると日常の質が変わる。薄い色合いだった毎日が、濃く色づいたり、陰影がついたり、ささいなことを感じ取れるようになったり。目に映るものはいつもと変わらないけれど、感じ方が変わる。

田舎には刺激がないと言うけれど、刺激を芸術と私は捉える。
新しいファッション、スタイリッシュな人、日々更新される風景。それは刺激とは言わない、私は。(注意力を散漫にさせるものとしか思わない)
新しくても古くても、今まで出会ったことのない空白と出会いたい。
脳の中にぽっとできた空き地。言葉で説明したいけれど、感情しか浮かばない。その感情もなんとなくしか表現できない。
その空き地を外から、内から探検して回る。ああ、なんて刺激的!

最近、空き地がない。
空白を作りに出かけたい。
都会は嫌いだけど。都会がうらやましい。


ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす