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一期三会(by 生活芸人・田中佑典さん)

 今日はよい出会いがあった。
 その人は、1年くらい前、シェアハウスに大勢を率いてやって来た。大勢は外国人でほとんど言葉が通じない。そして外国人なので、私たちの常識が通用しない。でも別に悪い人たちじゃなく、ただ習慣や考え方が異なるだけ。
 2週間くらいばたばたとして、みな帰っていったのだが、帰る直前にその人はあいさつに来た。
「いろいろとご迷惑をおかけしました。すみませんでした」
 早朝に入浴したいとドアチャイムを鳴らしたとき、怒鳴りつけたことがあった。それ以外にも引率者として騒がしかったことも気になっていたのかもしれない。そういう諸々を最後に精算しようとしたことで、その人の株は私の中でぐんと上がった。

 その人と、行きつけのカフェで再会したのだ。

 今朝の私はどん底で、8時に目が覚めたのに12時を回ってもお布団から出られなかった。
 昨夜のシェアハウスの飲み会に久しぶりに参加したら、やりたいことやきらきらした希望、前向きな話ばかりが耳に入ってきた。明るい未来を語る人たちの中に自分の居場所はなく、こっそりと帰宅。暗い気持ちのままお布団に入り、目覚めても気持ちは晴れない。不安と焦燥感と絶望と、妬みと嫉みと僻みと、負の二重らせんにがんじがらめになった状態。
 それでも、いつまでもお布団の中に隠れているわけにはいかない。月曜にはアルバイト先へ出社しなくてはならず、そのために立ち直らなくては。
 意を決してお布団から抜け出し、おあげさんを甘く炊いてきつねうどんをつくった。大好きなものを食べれば元気になるはず。
 食後はパソコンを開き、思考を整理するように書き始める。出てくるのは批判と自己憐憫の言葉ばかり。書いていると余計に気が滅入ってくる。
「コーヒー飲みに行こう」。

 雨の中、家を飛び出し、なじみのカフェに向かう。雨の日だし、きっと空いてるはず。が、駐車場は満杯。500mほど離れたところにとめ、ずぶ濡れになりながら入口へ。その時点で来たことを後悔していた。
 中へ入ると、その人がいた。あいさつをすると、思い出してくれた。そこはそれで終わり。明日はうちのシェアハウスに泊まることになり、でも私には関係ないことと思って聞き流した。
 閉店後、少し店主夫妻と常連さんとの会話を楽しんだのだが、今日は友だちと話がしたい気分。カフェを出ると、友だちのカフェへと向かった。
 昨日も午後中一緒にいたし、迷惑かもしれない。そう思いながら戸を開けると、誰もいない。はて。かすかに声のする方を見ると、2階への階段下に靴がある。
 しばらくして下りてきた友だちは意外なことを言った。
「微住の田中さんが来たの」
「……、え?」
 またしばらくすると、その人が下りてきた。
「あ、タナカさん」
「あ、田中さん」

 それから1時間くらい、3人でおしゃべり。
 その人はキャッチーなパフォーマンスと言葉で、派手めな活動をしている。だが、目の前のその人はとても地味で穏やかで、理路整然と話す。
 一見派手で、思いつきで行動してそうな感じだが、実はとても論理的かつ計画的。キャッチーな言葉や行動にもきちんとその人なりの意味付けがあり、それを自分の言葉で平易に語る。立ち寄る場所で、何度となく同じ質問を受けてきてるだろうに、嫌がらずに丁寧に答えてくれる。
「私、田中さん、好きです。また会えて、こうして話ができてよかった」
「一期三会を提唱してるんですけど、一度じゃなく二度三度と回を重ねることって大事なんですよね」
 人と会うのを苦手とする私にとっては耳が痛い言葉。

 その人が去った後、友だちに愚痴った。
「こうして話をしたことで得たものは大きいけど、そもそも人に会いたいと思わないんだもん。人と出会うの、苦手なんだもん。でも出会わないと話すことはないし、困る」
「一対一ならいいんだけど。大勢で、となると無理ー」
 でも最初から一対一で出会うことはめったにない。飲み会のような大勢が一堂に会する場所で出会い、どこかで一対一で再会し話す。前半部分が、私も友だちも苦手とするところ。うう。

 この出会いが、沈没した私が復活した理由。自分が苦手と思う人ときちんと話して、話した結果、言葉が通じた。そして、軽んじることなく対応してくれたこと、一対一の関係を結んでくれたこと、あとは新しい発見がいくつもあったこと。その人によって私の心が満たされた気がする。
 また会えるかわからない。いや、明日、うちに泊まるんだった(笑)その次、五度目の再会があってもなくても、つながりがあろうがなかろうが、今日という思い出があればいい。
 先への希望がなくても、前向きに生きてなくても、私は幸せだ。

  

  
 

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