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与えられた課題

 2020年6月1日の下書きnoteにただ一言、こうあった。

モリから与えられた課題「ずっと好きで追い続けているものはなに?」

 あのときすでにモリは私に何かを伝えたかったのか。真意はもう知るよしもない。でも今、私はこの問いに直面している。もっと早く真剣に向き合えばよかった。

 先日、いつものバーで、いつもいる常連客と話した。その人は全国紙の記者で、2年くらい前から知り合いだ。一橋大の法学部出身、専門は憲法。能楽のサークルに所属していた。ときどきバー店内で謡ったり、動いてみせたりしてくれるのだが、なんとも本物っぽい。
 本業も当然ちゃんとしていて、福井生まれ育ちの私よりも福井に詳しく、行った場所も格段に多い。運転下手なのに。もう少し稼げるようになったら、電子版を契約して全記事完読し、記事について話したいと思っている。
 うちの家主ともつながっていて、シェアハウスに何回か来たこともある。以前行ったクラファンでは、厳しく問い詰められた。でも、わからないからおしえてと言うとあれこれ言ってくれる。この人もまた、わかりにくい優しさの持ち主だ。

 この前の夜はカウンターの左右に人が固まっていたので、私は真ん中に陣取り、本を読み始めた。バーでワインを飲みながら読書。我ながらコミュ障っぽい。
 左の島にいた人たちが帰り、記者ひとりになると声をかけてきた。「何、読んでるの?」「ギリシャ神話。再読したくなって買ったの」
 そこから、すーさん劇場が始まった。(すーさん=記者)
 ギリシャ神話とは、いろんな人がそれぞれに集めたものなので、バージョンによって中身が異なること。イリアス・オッデュセイアでは、トロイ戦争の始まりと終わりが書かれてないこと。ギリシャ神話なら、神統記がおすすめ。などなど。酔っててこれ以上は覚えてない。
 ひゃー、この人、なんでこんなこと知ってるん!? 私はただ読もうと思っただけなのに。人はこんなに背景を知った上で本を読むのか。そりゃ、もっと本を読むのが楽しくなるし、読みたくなるわな。

 話は西洋の古典から日本の古典へ。
「日本三大仇討って知ってる?」「えーとえーとえーと、吉良上野介!」「残りは?」「はて?」
 そこへ乱入してきた店主が「名前だけ知ってる曽我兄弟!」「んーっと、 鍵屋の辻!」と正解をかっさらい、ひとりガッツポーズを決める。なんでみんななんでも知ってるの? 私にはなんのことやらちんぷんかんぷん。
 そこから、すーさんの専門知識が爆発した。
 日本の古典なら平家物語がおすすめ。古文が苦手でも、大体わかる。古事記は最初は神話だったけど、途中から天皇が神様の血脈だという話に変わること。あと、これとこれとこれもおもしろいから。あれとこれとあれはこういう話。もちろん、曽我兄弟と鍵屋の辻についての解説も。
 情報量が多すぎて忘れてしまったが、とにかくAmazonのカートに「100分de名著 平家物語」が入っていた。

 さらに能の話、歌舞伎の話へつながって、たぶん1時間以上ふたりで話していた。もうもうなぜ録音しておかなかった?というくらい、覚えていない。もったいないことをしたなぁ。
「こんなにおもしろいんだもん、本を書くとか、紙面で連載するとかしなよ」と言うと、「これはあくまで趣味だから。プロはもっとすごいから」と謙遜する。逆に、趣味でこれなら、専門としていたらどうなっていたことか。
「いやもう、すーさんがこんなにすごいって知らなかった。いろんな人に聞いてもらいたい。聞かせたい。趣味でこんなに深く広く知ってるって、すごいよ!」。酔っ払いが低い語彙力でほめまくると、「知ってることだから話せるだけ。知らないことは話せない。僕が知らないことで、アキさんが知ってること、あるでしょ。それ、おしえて」と言う。
 回らないというか、空回りしまくりの頭で考えた結果、「テニスのことなら話せる」と答えた。「えっとね、股関節を折りたたむんだよ」と言うと、すーさんは頭の上に見えない大きな「?」が。そこに通りかかった店主、「アキさんはいつも言葉が、、」とため息をつく。

「大切なのは股関節。きゅっと股関節をたたんで、そのまま頭の高さは変えずに回転してラケット振り出して打つの」と動きをつけて説明する。「股関節をたたむことで軸が安定する。それを中心に回転するけど、そのとき伸び上がりやすい。でも、伸び上がると打点がズレちゃうから、絶対に頭の高さは変えない」「あとは肩甲骨を引き寄せて、ひねりをつくるんだよ」
 たぶん言葉は足りてなかったと思うが、こんなことを話した。
 自分でも驚くくらい、覚えている。サーブ、ボレー、ストローク、ステップ、ボールとの距離のとり方、待っているときの立ち位置。いくらでも説明できる。たぶん技術は追いつかなかったけれど、知識は地方のスクールのコーチくらいはある。実際、子ども教室のコーチだったし。

 硬式テニスはもともと10歳から家族で始めて、高校1年の8月までテニス部員だった。成績が落ちてやめてしまったけれど。
 東京から戻ってすることがなく、32歳くらいで再開。14年くらい続けた。その間、お金も時間もすべてテニスに注ぎ込んだ。毎年シューズを2足買い替え、ラケットも2年に1回買い替える。ガット(ストリング)は毎月、打感が気に入ってる3000円くらいのものや、ときに1万円弱のナチュラルに張り替える。シーズン中は毎週のように試合に出て、練習は最大で週に11回。毎日かつ、朝と夜やることもあった。
 音楽聞いたり、映画見たり、ゲームしたり、本を読んだりしたけれど、私の生活の中心にあったのは間違いなくテニスで、テニスしかない人生を送っていた。

 すーさんも、インローさんも、るきさんも、野田さんも、小林さんも、清水くんも、私の周囲には語れることを持っている人が何人もいる。建築だったり、トンネルだったり、小説だったり、台湾、音楽、映画、哲学、車、バイク、写真、あれもこれもいろいろ。
 この前のインローさんとるきさんと飲んだ夜も、私の知らない話がいっぱいだった。世の中は当然のことながら私が知らない作家がいて、聞いたこともない本でいっぱい。その一部をみんながおしえてくれる。おしえられるくらい、みんな知っている。たぶん、好きだから知ってるのだ。

言葉で伝えることができなかったら理解してないのと一緒。言葉で伝えられてはじめて、自分が理解しているってことだから。

 これは以前取材させてもらった人の言葉。これと同じことをバーの店主もいつも言う。「伝えることが自分の学びになる」とも。
 ただ「好き」とだけならいくらでも言える。人に伝えられるくらい、好きなものを理解できてるか。伝えられるものはあるか。
 それがきっとモリの言う「ずっと好きで追い続けているもの」なんだと思う。かつて追い続けたものはある。10代の頃の映画、20代の頃のRHCP、べジャール・バレエ・ローザンヌであり、20〜30代の競馬、30〜40代のテニス。
 伝わるかどうかは別にして、言葉で表現できるくらいには好きでずっと追い続けていた。13歳で初めて映画を見てから、手持ちのお金は全部映画に突っ込んだ。RHCPのショーを見にアメリカへ、BBLの公演を見に全国各地、そしてヨーロッパへと追いかけた。競馬は宅配で日刊スポーツと週刊ギャロップをとり、北海道へ引退馬に会いに行き、とうとう一口馬主にまでなった。テニスは言わずもがな。そういえば、WWF(WWEの前身)が好きで毎週2番組見てたし、ビデオ買ったし、レッスルマニア見に行こうとしてたこともあるな。

 でも、今、追い続けているものはない。お惣菜さえ、違う。
 一体、私は何をしてるんだろう。毎日、残された時間を無為にすごしているだけか。その時間を「好きで追い続けているもの」に突っ込みたい。そのくらい、情熱を傾けるものが欲しい。
 だって、楽しいもの。生きるのが楽しくなるもの。つらいとき、悲しいときも、夢中になれることがあれば復活できる。ないから、今は回復するのに時間がかかるし、きっかけをつかみにくい。
 あ、ひとつ浮かんだ。この約1年、好きで好きで仕方ないもの。いや、ちょっと待て、好きかどうかはともかく、ほかにも追い続けているものはある。
 それは「人間」。人間を知りたい。その欲求は、たぶん子どもの頃からずっと持ち続けている。人間を知りたくて、人間がきらいで、だから馬やネコを愛でるけれど、それでも人間への興味はとどまるところを知らない。
 そっか、私に足りてないのは、深堀りする能力だ。
 浅く広く、「知ってる」「好き」と言えるくらいにいろんなものに関心をいだいているけれど、そのことについて誰かに伝えられるくらいに知っている、好きで追い続けているわけではない。
 それは「人間」も「哲学」もそう。どうしても知りたいくせに表面をなでるくらいのことしかしていない。あ、お惣菜も。

 みんなみたいになれない自分をどうしよう、と書き始めたけれど、書いているうちに自分で問題点と解決策を見つけられた。やっぱり私には話すより、書く方が向いている。
 私は広く浅く、みんなは広く深く。みんなみたいになれたらいいけど、それは難しい。でも、範囲を広げるのを少し待って、手持ちのものを1センチ深く掘ってみる。そうしたら、もっと知りたくなるかもしれない。細く長く追い続けたくなるかもしれない。
 そんなふうに、ちょっとだけやってみよう。人間も、哲学も、お惣菜も、この1年好きでたまらないものも。
 いつか誰かに「えー、なんでそんなに知ってるんですかー」って言われたうれしいけど、言われなくてもきっと自分が満足してるはず。忘れなければ。



ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす