楽しくてさびしいお正月

 お正月も私にとってはただの日だけど、今年のお正月はお正月らしいお正月だった。
 大晦日から4日まで、2日を除いて毎晩、シェアハウス住民で一緒にごはんを食べ、大いに飲んだ。作ったり、買ったりしたおせち、住民の出身地のお雑煮、大掃除で出た賞味期限切れの食材、飲み残しの焼酎やジン。毎日、毎日、食べる食べる、飲む飲む。
 昨日は出稼ぎから戻った住民もいて、楽しい夜だった。

 住民たちは「お正月っぽくない」と言うけれど、私にとっては、みんなで集まってごはんを食べること自体がお正月っぽく感じられる。ま、みんなはしょっちゅう集まって食べてるから、いつもと同じなんだよね。参加率の悪い私だけが特別に感じてるだけで。
 クリスマスも誕生日もお正月も、別に特別な感慨はないし、それっぽさを感じたいとも思わない。ただ、たまにみんなで楽しい夜をすごせれば、それで十分。たまに、ね。

 でも、楽しい夜は嫌い。というか、怖い。特に、人がいる楽しさは、本当はいらない。
 だって、楽しい時間はいつか終わるから。終わったときのさびしさ、人が去ったときのさびしさが嫌いだ。
 楽しければ楽しいほど、さびしさは大きく感じられる。好きであれば好きであるほど、さびしさは長引く。
 いつだって、なににでも終わりはくる。なんで終わっちゃうんだろう。なんでいなくなっちゃうんだろう。

 思い出があれば生きられる。
 でも思い出があるってことは、別れがあったということ。楽しかった時間が終わったということ。
 数々のさびしさが、この先の私を支えてくれる。わかっているけれど。
 でも、楽しい時間も好きな人もいらない。だって、さびしさの原因だから。もう手にしてしまっているから、さびしさから逃げられないけど。

 戻った住人とみんなと楽しい夜をすごしながら、いつも私はさびしさを感じている。



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