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2021年12月31日に思うこと

私にとって大晦日、元旦は普通の日と同じ。昨日、今日、明日に連なる日常のうちの1日にすぎない。だらだらした性格上、区切りをつけることができないからというのもあり、誕生日同様、1日をまたいだといって特に何が変わるわけでもないし、いつもと変わらないケの日の方が私にとって大切だから特別なハレの日を意識したくないと思っているからでもある。という前置きをした上で、1年ぽいものを振り返ってみる。

 たぶん私の一生の課題は「家族」と「自分」。あくまでもどこまでも自己中心的。
 その課題の象徴が、先週判明した父親の死だ。親兄弟親戚友だちすべてと縁を切り、行方をくらまして3年。追手に居場所を突き止められ戦うしかないと、届いた封筒を開けると約1年前に父が死んだことが記されていた。
 これで残りは外国にいる姉だけ。行方をくらますより前、4年近く音信不通だ。これは私から絶ったのではなく、向こうから連絡が途切れた。だからもう私にはいわゆる”家族”はいない。

 3年前、実家を売り払い、その際に父に関する手続きのすべてを手放し、誰にも行方を告げず逃げた。紆余曲折の末に行き着いたのは、鯖江のシェアハウス。今はここが私の「家」だ。
 ここに暮らすようになって、幸せだと感じるときが増えた。年齢が半分くらいの人たちの中ですごすのは、楽しいことばかりではない。「なんで?」と思うことは多々あるし、なじめないこともたくさんある。でもやりたくないことには加わらず、自分のわがままを通して住んでいる。
 そんな協調性のない私を、ここの人たちはそのままで置いといてくれる。それがとてもありがたい。誰も私を否定しないし、肯定もしない。ただ「私がそこにいる」ことを、フライパンやテーブルがそこにあることと同じように認識している。
 私が欲しいのは肯定ではない。ただ「そこにいる」ことを特別に思わないでいてくれること。

 人生に意味などない。人は死んでないから生きている。以上。
 それが私の人生観。ただ死ぬその瞬間まで生きるだけ。自分が生まれてきた意味、生きている意味について考えない。意味付けがなくても生きている事実は変わらない。
 私にとって大切なのは「そこにいる」こと。「いていい」ということではない。生えてる雑草や石ころみたいに、意味もなく「そこにいる」。それが、今どきの言葉で言うと、尊い。私がいて、あなたがいて、あの人がいて、この人がいる。誰もが自分を主張せずとも、そこにいる。ただそこにいる。だけ。それが生きているということではないだろうか。
 今このシェアハウスで、私はそうやって暮らしている。たぶん最初の頃は料理をしたり、流し台をきれいにしたり、なんやかやと自分が存在を主張していた。けれど、そうしなくてもいられることがわかってきて、どんどん幸せになっていった。
 何も求められない。何もしなくてもいい。何をしてもいい。私が誰であれ、ここにいられる。理由も意味もなく存在していい。

 行方をくらます前の生活において、私は私の役割を求められた。娘だから、近くに住んでいるから、妹だから。やって当たり前、やるから存在価値がある。
 私は親の世話をするために存在し、世話をするだけの意味で家族だった。
 だから私は姿を消した。これ以上、何もしなくても「そこにいる」ことをよしとできない場所にいたら、私は誰かのためだけの、何かのためだけの存在になってしまう。それでは「そこにいる」ことを価値だとしている自分自身を否定することになる。
 今このシェアハウスでは「そこにいる」ことをよしとしてくれる。理由も役割も求められず、ただ存在している。だから私はここにいると幸せなのだ。

 私に役割を求めた”家族”に、ずっと時間と心と頭を搾取されてると感じてきた。
 大切な人だから手を貸す。やりたいと自発的に動く。それが思いやりで、互いに思いやれる人たちを家族と呼ぶのだと思っている。
 母が入院したとき、私は東京へ通うことを決めた。週の半分は東京で大学へ行ったり、バイトをしたりする。週の半分は福井で母の世話をする。当時インフォームドコンセントという考えはまだなく、自分が死ぬ病だと知らない母は反対した。でも私の「放っておきたくない」という気持ちをくんで通うことを受け入れてくれた。
 母の容態はだんだんと悪化し、病院に泊まり込むことも増えたため大学は休学。そんな私を気づかい、母は周囲に私への感謝を言っていたという。
 自分が死にゆく中で母はずっと私を思いやってくれた。私に娘としての役割を求めることなく、病気になったことへの八つ当たりをすることなく、お財布を管理する私を疑うことなく。
 その姿が私の「家族」の定義であり、父と姉はその定義に反する。だからふたりは私の「家族」ではない。

 今のシェアハウスの住民たちは、互いを思いやりながら暮らしている。たまにぶつかることもあるけれど、基本否定しないし、役割を求めたりもしない。(たまに私自身が求めてしまうことあるけれど)
「私はここにいる!」「私は、私は」と主張せずとも、私は存在できる。空気だとしても存在していられる。というか、空気でいい。
 そういう場所、人たちだから、私にとってここは「実家」であり、「家族」だ。
 今年3月、鳥取砂丘へ行ったとき、はっきりとそう思った。

 2021年は「家族」の年だった。今の自分の「家族」に気づき、その「家族」の中でも特別な人たちと別れ、最後に昔の”家族”に居場所を突き止められた。
 そして2022年、やっと本当に”家族”と縁を切れる。1月中に遺産相続に関する手続きを完了すれば、また平穏な日常が戻ってくる。それから私もここを出て「家族」に「いってきます」を言う。本当はすでに旅立っているはずだったけれど、いてよかった。ここにいたから、”家族”からの追撃を耐えることができた。
 それはこの「家族」だけではなく、友だちの支えもあった。昨日も遺産相続に関する書類の一部を友だちのところで開封。一緒にいてくれて、やんわりと話を聞いてくて、愚痴をこぼさせてくれた。そういう場所があるから「家」以外でも安心していられる。キツイときにすごせる場所、話せる相手ができたのも、ここで暮らすようになったから。(ここについてはまた改めて書きたい) 

 今年も年越しは「家族」とともに「実家」ですごす。去年とは異なるメンツだが、いずれも「家族」に違いない。今日も明日も幸せだ。たとえ何も特別なことをせずとも、ここにいるだけで幸せなのだ。



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