「呪われた部分」ジョルジュ•バタイユ

•どんな本か?


過剰したエネルギーの使い道は、有用性のある生産行為に使う事はではなく、無意味な消費行為(蕩尽)に使うべきである。なぜなら、エネルギーを成長に注ぎ、頭打ちになった時に、溢れたエネルギーに人間は耐えられず、破壊的な行為をしてしまうから。その無意味な消費は、歴史のデータから、生贄•ポトラッチ的な消費を挙げられている。


•感想


現実感の離れた本の為、「エネルギー」という単語から、実生活上の自分に当てはめて考える事にする。

自分は、エネルギーが沸騰する程の器が無いと感じている。むしろ、エネルギーが不足している状態に目が向く。休日は、眠りに深くつき昼過ぎに起きる事や、起きても部屋から出なかったり、マイナスの考えで楽しみが薄れていったりする日がある。

その時に、この本の文中に出てくる、「太陽はエネルギーの最大の贈与者である」を見かけてから、軽く散歩して日に浴びる。今迄、何もしていない日に、例えばハーゲンダッツの様な褒美の食事を摂る事に、罪悪感を感じてしまう事もあったが、そもそも「エネルギー」が枯渇しているので、甘えであっても、自分が贅沢であると感じる事をやってしまえばいいのでは無いかと思った。なぜなら、成長に向ける「エネルギー」が枯渇しているから。

自分は「エネルギー」が溜まった時に、本当は成長に注いだ方が良いんだけど、何かしら、浪費をして無駄にしている。バタイユ的には、無駄な事をした方がいいんだけど、超過エネルギー迄いかないし、最近は、いい人生を送りたいので、出来る事や楽しい事を増やしていきたいなと思う。

めちゃ健康的だ!


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