「TOKYO2020+1」仕切り直すなら良いものをひとつでもプラスしよう

さて、いよいよ五輪の延期が現実味を帯びてきた。
と、書いてたらニュース速報が飛び込んできた。ほぼ決まりのようですね。

昨今の状況を考えるともうこれはギリギリの判断でやむ無し。
とはいえ各方面への影響は小さくない。(中止よりマシだけど)

つまり「TOKYO2020」は「TOKYO2021」になるわけだけど
印刷物やらグッズやら、そのまんまでいくのか、作り直すのか。
これから(予測していたとはいえ)各方面てんやわんやな状況になるでしょう。

「TOKYO2020+1」に

延期により、正式名称がTOKYO2021になった場合、印刷物とか2020に「1」のシール貼って訂正とかするのだろうと思うのですが

いっそTOKYO2020+1 と「+1」をつけたらどうだろうか
4年に一度の開催を延期するのは五輪史上例がない。
これまでの準備段階でも、エンブレムやスタジアム等々、なにかと「仕切り直し」が多かったこともあり「呪われた五輪」などと言われてしまっている始末だが、このまま「やらなきゃよかったイベント」として歴史に残してしまうのは本当にもったいない。

仕切り直せることをプラスに考えて、やり直しだからこそ、元々のものになにかひとつ良い要素を「プラス」して、すこしでも良いものにできないか。

2002年のサッカーW杯の時に大先輩が「一生で1回あるかないかの”電車で行けるW杯"だぞ」といっていたのを思い出した。

一生に一度かも知れない「電車で行ける五輪」。
何かと醒めた目で見がちになってしまっていたこの五輪を、奇しくも出来てしまった一年の「猶予」の間にもう一度、何かできることはないかを考えたい。


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