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自閉スペクトラム症を努力で”治す”

お借りした画像はヒガンバナ科だそうですが、一蓮托生と言う言葉が最近気になっています。
悪いことも一緒に引き受けると言う意味で、家庭内感染が防げない今、夫と私は一蓮托生だと言うふうに強く思っている(割り切っている諦めているそうでないと生活できない)のですが、もともとの仏教用語ではあの世に行って同じ蓮の花の上に座ると言う意味があるそうです。それもいいかなと思います遅かれ早かれ。

さて、24時間テレビを途中まで拝見していて、自閉症スペクトラムの男の子が、聴覚過敏を克服すると言う場面があってさすがに傷つきました。

感覚の過敏さや鈍磨(というか知覚や認知全般)と言うのは、人それぞれほんとに違いがあることで、多様なものだと私は思うんですよね。だからこそ”スペクトラム”と言う名称がつけられています。克服するものではないと思うんですね。障害者やマイノリティーが、努力をして健常者に近づければいいと言う価値観にはさすがに賛成できません。メディアが負う責任はどうなっているんだろう。

それは障害者運動の中で否定されてきているものなのではないでしょうか?なぜ再生産するの?

自閉スペクトラム症だと診断された時にお母様がショックを受けると言うのは一定程度理解できますが、自閉症スペクトラムで生きている人間もたくさんいるし特に秀でた才能がない障害者だってたくさんいます。当たり前。

辛いことが多かったので、感動ポルノでも社会的なアヘンでもいいから、合法で健康を害さないものを欲していたのでテレビをつけたのですが、辛くなって消しました。

感覚の過敏さ(多様さ)が、素人判断の暴露療法風のもので、解決されるとは聞いたことがありません。あったらぜひ教えて欲しいです。救える命がたくさんあると思います。

そもそもいわゆる発達障害はいわゆる病気ではないので、完治とか寛解とかそうした定義が当てはまりません。しなければならないものでもありません。

医学的にも科学的にも間違っているし、ひどいなぁと思いました。今ある差別や偏見を上塗りしていてほんとに辛かった。

もともとそんな番組なんだから見なければいいと言われればそれまでなので、私個人はもう見ません。

でもメディアには責任があると思います。

私が匿名でもこんなことを自由に書けるのもあとどのくらいかなと思います。

障害者は努力をして健常者に近づくべきである。

このところ、優生思想があまりに露骨になってきていて、戦後からたった76年で歴史は繰り返されるのだろうかと暗澹たる気持ちになります。

2021/08/22

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