『ハランクルク 帝国の盾と異教の町』後編

最新2018年10月19日更新
「35 旅の再開」 ──追加、第2話完結。
※前半の無料パート以降の閲覧には課金が必要になります。

【はじめに】

 「ハランクルク、それは多脚歩行万能ビークル。人々の働く力であり、そして戦う力」
 このおはなしは痛快活劇メカアクション小説の第2話、後編になります。
 ぜひ前編からお読みください。
(前編は無料で公開されています)
https://note.mu/tanaka_kei/n/nd6d875c31fcf?magazine_key=mbbc0dfc49016

 また、未読の方は第1話『帝国の盾と辺境領の姫』から読まれると、より楽しめるかと思います。
 この後編は冒頭部のみ無料、すべて読むのには課金をお願いしています(400円)。


【幕間 とある会話】
 幌を張って日差しを遮った荷台は薄暗く、蒸し暑い。
 血と膿と排泄物の混じった臭気は、換気扇くらいでは消すことはできないようで、深呼吸をすると胃の中のものを戻しそうになる。
「聞いてもいいか」
 男の言葉に女は答えなかったが、彼はそのうなじを見つめながら続けた。
「どうして助けたんだ? ろくな野郎じゃないってことは、あんたがいちばんよく知ってるだろう」
 長い髪をまとめ上げて、むき出しになった白いうなじは、暗い荷台でひどく目立って見えた。汗ばんだ白い肌は、それだけでどんな男でも不安定な気分にさせる魔力を放っている……そんな気がした。
「生きてたって誰もよろこばない。いや、死んだと聞いたら、よろこぶ奴の方が多いんじゃないのか? まさかあんた、この男のことを……」
「ばかね」
 荷台に寝かされているもうひとりの男のことをずっと見ていた女が、ようやく彼の方を見た。
 どきりとするほど美しい。
 この美しい女が、どんな荒くれのハランクルク乗りも顔負けの操縦技術の持ち主なのだとはにわかには信じがたい。
 だがあの〈帝国の盾〉とまともにやりあって、生きていたのは彼女ひとりだ。そのことが目の前の美女の技量を証明していた。
 いや。
 生きていたのはもうひとり、ふたり。
 ひとりは質問した彼自身。だが、彼は遠距離で撃ち合いをしただけだ。もし盾の間合いで戦っていたら、命はなかったろうという自覚はある。
 そしてもうひとりは……。
 かろうじて命をとどめておくための機械につながれて、荷台でかすかな呼吸を繰り返している。左半身は、鎖骨の下くらいから先がすっかり失われている。つまりは、まともに残っているのは首と右手くらいのものだということだ。機械の助けを借りているとはいえ「よくまあ生きていられるものだ」と思わずにはいられない。恐るべき生命力だった。揺れる荷台に充満する悪臭は、この男が源なのだ。
 女は「ばかね」ともう一度繰り返した。
「この男が死んだら、姫の捕縛失敗の責任を取らされるのは次席の指揮官である私よ?」
「いっそ逃げりゃいいじゃねえか。帝国軍じゃあるまいし、教団の勢力は帝国じゅうに及んでるわけじゃない。逃げたって……」
「冗談じゃないわ!」
 女は語気鋭く言い返す。
「こんなことくらいで、信仰を捨てられるものですか。私は神の教えに生きるのよ。もし作戦失敗の責任を取らされるとしたって、信仰は捨てないわ」
「……信心深いんだな」
「異教徒みたいなこと言わないで。あなただって信徒でしょ。信仰のためならなんだってするわ。それが神の意志だというなら、教団のどんな命令にだって実行する。それが信徒というものよ。そうでしょ」
「ま、まあ……そうだがさ。けど、こいつはあんたをいいようにしてきたろう。あれは別に教義とは関係ない、こいつ個人の趣味だ。スーベクもホギも言ってたぜ。女なら耐えられないってな。あの強力猿みたいなふたりがだぞ? その男をなぜこうまでして助ける?」
「あんなこと。なんでもないわ」
 女はにんまりと笑った。
 妖艶な、艶めかしい笑み。しかし彼はなぜか背筋に寒いものが走るのを感じた。
「信仰のためならなんでもするって言ったでしょ。私がいまの地位までのぼり詰めるまでに、どんなことをしてきたか想像できる?」
 女は姿勢をずらして、彼の方に身体を寄せてきた。
「男は女を守り導くもの、という教義を都合のいいように解釈する男は彼ひとりじゃないわ」
 女は乗衣の胸元を開いていく。厚ぼったい乗衣に押し込まれていた乳房が弾けるようにまろび出てきた。
「知りたい? 彼らが味わってきたこと……」
 女のささやきに、ケナンバムはごくりと喉を鳴らした。


【12 ふたりの少女】
「では修理が終わるまでは動けませんね」
 味わっていた川蛇の衣焼きを飲み込んでからケイミレライは言った。口に食べ物が入ったままでしゃべったりしないのは彼女の育ちの良さだ。
「すまないな」
 すでに食事を終えていたナミカゼは、飲みかけの茶を卓に戻した。
 宿に戻ったナミカゼをケイミレライが誘っての食事だった。ふたりはクセドを出て以来、まともな食事を摂っていなかったし、ナミカゼにしてみれば宿の部屋でふたりきりで時間をすごすことを思えば、ほかの客もいるだろう店での外食は願ったり叶ったりでもあった。
 宿からそう遠くない場所のこじんまりした食堂は、しかしそんなナミカゼの思惑を裏切るように、ふたりのほかに一組客がいるだけで、やはりこの町全体にひとが少ないらしいことを改めて感じさせた。
 ちなみにこの店を見つけたのはナミカゼだ。結局ケイミレライには隣の肉屋とこの店の違いがわからなかったのだ。
 ナミカゼの答えに彼女はかぶりを振る。
「いいえ。修理なんですから仕方がありません。ただ……今後のことを考えると、もう1機ハランクルクが欲しいですね。なにをするにもおじさまの機体頼りでは限界があるでしょうから」
「たしかにそうかもしれないな」
 再びナミカゼが茶を口元に運ぶ。
「トルゼットさんのところで、手に入らないでしょうか、そうでなくともここはメードなのですし……」
 言いかけた言葉が不意に途切れたのを見て、ナミカゼはケイミレライを見返した。そしてその視線の先を追って、彼女が店の窓から見える人物を見ていることに気づいた。
 もの問いたげなナミカゼの視線に、ケイミレライは「多分、知りびとです」と曖昧な答え方をした。そして席を立って、店の出口へ向かう。

(きれいな女性だ)
 レーフはこちらへ近づいてくる女性を圧倒される思いで見つめた。
 彼女はスモージと、エッシベッシの計画の実行を目前に控えて、久々にふたりの時間を過ごしていたところだった。といってもその時間に対してよろこびや胸の高鳴りを感じているのは自分だけだ、というのもレーフにはわかってはいる。だからこそその時間を大事に過ごしたかったのだが……。
 普段通り過ぎるだけの食堂の前。裕福という言葉とは縁遠い生活を送っているレーフたちリガ教徒の子どもたちはめったに食堂を利用することはないのだが、今日に限ってスモージがその前で不意に足を止めたのだ。
「スモージ?」
 頭ひとつ彼女より大きい少年の目が、店の窓を……その内側を見ている。
 店に入ろうとしているというのでないのはすぐに分かったが、だったら、食堂の中に知り合いがいるのだろうか。コムギィを除けば、レーフにそんな……食堂で食事をとるような知り合いの心当たりはない。
 だが、案に相違して、店の扉を開けてその女性が現れたのだった。
 女性、といってもレーフから見れば年上らしく見えるというだけで、たぶんまだ少女といえる年齢だろう。ただ、すらりと細身の身体はレーフよりもずっと(そして多分スモージよりもわずかに)背が高く、女らしい曲線と、なによりハランクルクの乗衣を大きく張り詰めさせた胸のふくらみが、レーフから見て「大人の女性」を感じさせずにはおかなかったのだ。
 そしてその彼女を見つめたきり、自分のことなど忘れてしまったかのようなスモージの態度がレーフの心をざわつかせた。
「だれ?」
 少なくともレーフの知るスモージの知り合いにはこんな女性はいない。
「ええと……ちょっとした知り合い」
 女性もやはりスモージのことをじっと探るような目で見ていたが、すぐに笑顔を浮かべてふたりの近くまでやってきた。
「顔の腫れ、だいぶひいたみたいですね」
「あ、ああ。……うん」
「だから最初あなたかどうかわからなくて。ごめんなさい」
「い、いいよ。……で、なに?」
「さっきのお礼を言おうと思って。ちゃんと言っていなかったでしょう?」
「そんなの。いらないよ」
 いつもよりぶっきらぼうな感じのスモージの態度。それがまたレーフには気に入らない。
 女は食い下がった。
「そうはいかないわ。まだ名前もきいていなかったんだもの。私はケイミレライ。さっきはほんとうにありがとう助かったわ」
「ね。このひと誰。スモージ」
 背後から少年の袖をつかむレーフに、ケイミレライはにっこり微笑みかけた。その笑顔に思わず惹きつけられそうになった自分を感じて、いっそう彼女の中に敗北感が募る。
「さっき、彼……スモージくんには、危ないところを助けてもらったの。宿も探してもらって。私、ケイミレライと言います」
「あ、あたし、レーフ……です」
「こんにちはレーフさん。ねえ、ふたりとも、もしこのあと時間があるなら、お茶でもごちそうさせてもらえないかしら。さっきのお礼をさせて欲しいの」
「え……」
「いらないって言ったろ!」
 レーフがスモージの表情を確認するよりはやく、少年はケイミレライに言い返していた。
「でも、それじゃ私の気持ちが……」
「俺はそんなことのためにやったんじゃないんだ! いくぞレーフ」
 断ち切るように言うと、スモージはレーフの手をつかんでさっさと歩き出す。
「あ、あの……ごめんなさい……っ」
 レーフは引っぱられながら、ケイミレライに向かって頭を下げた。どんどん女性の姿が小さくなっていく。
「ねえ……いいの?」
「…………なにがだよ」
(ほんとはあたしがいなかったら、あの女性といっしょにお茶してたんでしょ)
 内心の言葉をレーフは口にできなかった。
「……なんでもないけど」
 スモージは歩く速度をゆるめないまま、しばらく経って言った。
「俺たち、やることいっぱいあるだろ」
 それが本心を包み隠すための言い訳なのだと、レーフにはすぐわかってしまった。
 なんだかとても悲しくなってくる。こういうことがときどきあるのだ。自分でもどうしようもない自分の心の動きだった。

 席に戻ってきたケイミレライはすっかり消沈していた。
「私、なにかいけないことをしたでしょうか? お礼を言いたかっただけなのに」
「さあ……」
 と答えかけてナミカゼは言い直す。
「男だからな。格好をつけたいときもあるさ」
 ケイミレライはナミカゼの顔をまじまじと見返し、
「……わかりません」
 と首を振った。
「ところでおじさま」
「うん?」
「そのお茶……ウィシマはお嫌いなんですか?」
「いや……そんなことはないが」
「そうですか」
「……そんなに不味そうに飲んでいたか?」
「ええ。とっても」
 素直にうなずくケイミレライに、ナミカゼは茶碗を置いて、確かめるように顔を撫でた。
「そんなことはない。そんなことはないんだが……」

【13 ハランクルク工場の少年たち】
 時間は少し遡る。
 ナミカゼとケイミレライが、力素管の手配でメードを巡っていた頃、川べりの工場群のはずれ、ハランクルクの残骸の集積所には、いつものように少年たちが集まってきていた。
 ただ今日の彼らの顔には、いつも以上の緊張感がみなぎっているところが、普段と少し違っていた。
 街道でキャラバンを襲撃するという危険な行為を繰り返してきていても、自分たちが住む町中でハランクルクを奪うというのは、彼らにしても緊張を強いられる行為なのだ。だが、それ以上に少年たちを興奮させていたのは、今日のハランクルク奪取を最後に、町を離れる決意をしていたことだった。
「今夜決行だ」
 興奮を抑えきれない表情でエッシベッシが仲間たちに告げた。
「積み出しのときは警備隊も出てきているが、今夜なら邪魔されずにハランクルクを手に入れられる」
「今夜の張り番はシーグレさんだしな。話せば協力してくれるだろうし」
 スモージは同じリガ教徒の名前を出した。メードで悪名を轟かせている警備隊にもリガ教は浸透しつつあり、そのうちのひとりが、今夜エッシベッシたちが狙うハランクルク工場の守衛を担当しているのだった。
 エッシベッシはうなずいて話を続けた。
「工場の搬出口から〈巨象〉を直接中に入れて、ハランクルクを積み込んでいく。工場の中なら起重機もあるし、簡単に積み込めるだろう。で、積めるだけ積んだら、そのまま最短距離で町を出る」
「最短距離って……町の真ん中を通るってこと?」
 レーフが聞き返した。工場から町を出る最短の道は、市街地を突っ切ることなのだ。しかし通常、完成したハランクルクの運び出しは工場群の北側のはずれにある倉庫から行われ、そのままメードの外周に沿うようなかたちで延びる幅広の道路を使う。大所帯のキャラバンが使うのだから、そのほうがいいのだが、単純に距離だけ言えば、町から街道に通じる出口までは遠回りになる。エッシベッシはそれを使わないと言っているのだ。
「できるだけ見つからないように急ぎたいし、万一警備隊に追われても、町の中の道なら狭いから、取り囲まれる心配をしなくて済む」
「確かに〈巨象〉を通したら、いっぱいいっぱいだろうからな」
 エーミットがうなずいた。
「町の外まで出れば、警備隊も追ってはこないだろう」
「ああ、あいつら、町の中では偉そうにしてるくせに、外ではなにが起こっても知らん顔だからな。町を出たらこっちのもんだ」
「でもよう。万が一見つかったらどうすんだよ。それに逆に言えば、町の外と違って、警備隊がいるってことだぞ? ボドゴーダの手下がわんさといるのに、こっちはたった6人なんだからな」
 引きつった顔のカトシオの指摘に答えたのはエッシベッシだった。
「大丈夫だ、任せておけ。そのためにも、最短距離で町を出るんだ。そしてスドノウレに行く」
「そうだぜ。こんなところで失敗するかどうか心配してどうするんだよ。俺たちはスドノウレで槍になるんだからな!」
 スモージが拳を突き出す。エッシベッシも笑みを浮かべる。
「そうだ。俺たちの信仰をみせるときだ。ボドゴーダみたいな異教徒に邪魔はさせない! エーミット、〈巨象〉の手配はできてるんだよな」
「ん、2機準備してる。俺とレーフで乗る」
「俺とスモージが見張りをするから、ミミジオたちは積み込みを頼む」
「おれも! おれも見張りできるよ! 警備隊の奴らがきたらやっつけてやるよ!」
 ミミジオが飛び跳ねそうな勢いで手を挙げる。が、エッシベッシは首を振った。
「……そういうんだから見張りは任せられないんだよ。いいから俺の言うことを聞け。積み込みだって人数が必要なんだから。ちゃんと役割を果たせ」
「……わかったよ」
 尊敬するエッシベッシの命令には結局逆らえないミミジオだ。そんなふたりを見ながら、カトシオはまだ納得いっていない様子だった。
「なあ、エッシベッシ、ほんとうにやるのかよ? コムギィにも内緒で」
「まだ言ってるのか? どうしても嫌なら抜けてもいいんだぞ?」
「そ、そんなこと言ってねえだろ! やるよっ。どっちにしろ、俺が抜けたら手が足りねえだろうが。ミミジオとレーフとエーミットだけで〈巨象〉2機分のハランクルクの積み込みができるわけねえだろ」
「ああ。起重機の扱いはお前が一番得意だからな。あてにしている」
「…………わかったよ」
「よし。じゃあ行動開始だ」
 エッシベッシの宣言で、少年たちは活動を開始した。積み込みのための〈巨象〉スゥサや、ほかのハランクルクを、すぐに工場に乗り込ませられるように移動させたり、やることはいくらもあるのだ。
 足早に歩き出す少年たちの中で、レーフだけはスモージの方を見つめたままで、すぐに動き出そうとはしなかった。その視線に少年の方も気づいた。
「心配なのか、レーフ」
 気軽な調子の少年に、レーフは少し苛立って言い返す。
「あたりまえでしょ。カトシオが言ったとおり、町中でハランクルクを奪うなんて……警備隊がいるのよ。キャラバンを襲うのより危ないんじゃないの?」
 少女の心配に、スモージはあくまで楽天的だった。
「いままでだって危ないことはいっぱいしてきたろ? なんだよ、いまさら。……なあに大丈夫だって。弱い者いじめしかできない警備隊なんかどってことないさ。それに、万一のときは俺に任せておけ。俺のハランクルクには、ゴシやソウブのよりもたくさん火薬と油を積み込んであるからな。いざとなったら、警備隊のハランクルクの10機や20機、まとめて吹き飛ばしてやるって!」
 今度こそレーフは声を荒らげていた。
「…………それがっ、心配なのよっ。スモージはすぐ突っ込んでいくから!」
「そ、そんなことないって。なに怒ってんだよ……」
 普段はおとなしい少女の剣幕に気圧されて、しどろもどろになるスモージに、さらにレーフは詰め寄った。
「だったら約束して。絶対死なないって」
「レーフ、おまえ、なにを……」
「約束して。スドノウレに行くんでしょ? スドノウレで〈信仰の槍〉になるんでしょ?」
「わかった。わかったよ。約束する」
 うなずくスモージに、レーフはまだなにか言いたげだったが、結局唇まで出かかった言葉を飲み込んで、彼に背を向け歩いて行ってしまった。

 そして夜。
 いくらハランクルク生産で知られるメードとはいえ、〈巨象〉クラスのハランクルクを2台も移動させるとなれば、人の目も気になるというものだが、このところめっきり人の行き来も減った市街地のおかげで、どうやら騒ぎになることもなく少年たちは狙った工場のすぐ近くまでハランクルクを集めることができた。12号工場。コムギィからの情報によれば次にキャラバンに引き渡すハランクルクを組み立てている工場だ。
 つまり、工場内には組み立てが完了したハランクルクがたくさんあるということだ。
「警備隊の1機にも遭わないなんてな」
 エーミットが広い〈巨象〉の操縦席で身体を伸ばしてつぶやいた。普通サイズのハランクルクの操縦席ではいかにも窮屈そうな彼も、宿の二人部屋ほどもあるこの操縦席ではゆったりとできている。隣の席でエッシベッシがうなずいた。
「それだけ奴らが腐ってるってことさ。町の連中に悪さするときだけだよ、奴らが働くのは」
 本来自分のハランクルクで見張りを担当するはずだが、長い時間を過ごすには快適なこちらの操縦席にやってきていたのだった。より高い位置にある〈巨象〉の操縦席の方が周囲を見回しやすい、という理由もある。
「だな。……そろそろいいんじゃないか」
 エーミットが身体を前に乗り出して言った。
 夜の帳の下、工場は薄暗い常夜灯の中にぼんやりと浮かび上がっている。
 夕方の終業時間のあと、人の出入りは途絶えたきりだ。
「よし。じゃあ始めるか。まず俺が行く。合図したらこいつを持ってきてくれ」
「わかってる」
 エーミットの答えを聞かずに、エッシベッシは〈巨象〉の操縦席を滑り降りていく。そして自分のハランクルクに乗り込んで、守衛の詰め所に向かっていった。
 近づいてきたハランクルクに、守衛のシーグレは小銃を構えて飛び出してきた。
「誰だ! なんの用……なんだエッシベッシじゃないか。どうしたんだよ、こんな時間に」
 知り合いとわかって、制服姿の中年男はほっとした顔で銃を下ろす。
「やあシーグレさん。ちょっと入り口を開けてもらおうと思って」
「入口って、ここのか? なんで……ま、まさかお前ら……ここのハランクルクを狙ってんのか?」
 このシーグレも、エッシベッシら少年たちがやっている「仕事」について知っているひとりなのだ。目を剥く守衛にエッシベッシは笑顔で答えた。
「シーグレさんだって、上の方から言われてること知ってるだろ? ハランクルクが要るんだよ」
「だからってここから……キャラバンから奪うって話だったろ?」
「そんなんじゃおっつかないから言ってるんだ。コムギィさんに言われたんだ、もっともっとハランクルクを取ってこいって。キャラバンからじゃ、手に入らない時だってあるだろ。こっちだって命張ってんだからさ。ここなら、ハランクルクを持って行こうとしても撃ち返してくるやつはいないだろ」
「いや、でも警備隊がいるだろ」
「どこに?」
 エッシベッシの答えにシーグレはうっと言葉に詰まった。警備隊と言うなら、まさにいまの自分自身がそうなのだが、ここでその任務に忠実に少年に銃を向ければ、同じ教団員を撃つことになるどころか、教団からの命令に背くことになるとわかったからだ。
 エッシベッシは安心させるように肩をすくめてみせた。
「なに、俺たちの用事はすぐ終わるから。ボドゴーダには盗賊に襲われたって言えばいいだろ? まさかシーグレさんは異教徒の味方なんかしないよな」
「わ……わかった。わかったよ。開ければいいんだろ? 開けてやるから、急いで終わらせろよ」
「助かるよ。シーグレさん」
 エッシベッシはハランクルクの腕を振った。その合図に仲間たちが集まってくる。
「本気なんだな、エッシベッシ」
「当たり前だろ。さ、シーグレさん、手ぇ出してよ」
 シーグレが工場の入り口を開いたのを確認して、エッシベッシが操縦席から降りてくる。その背後から〈巨象〉が近づいてきた。
「お前ら、あんなものまで持ちだして……手ってなんだ」
「万一ボドゴーダになにか言われても、言い訳できるようにしておいた方がいいだろ?」
「あ、ああ、そういうことか。俺は脅されて、縛られてなにもできなかったって言えばいいわけだな」
「そういうこと。悪いけど、しばらくここにいてよ」
 守衛詰め所に押しこんだシーグレの両手両足を縛り上げると、エッシベッシは再びハランクルクに乗り込んだ。
「カトシオ、俺とスモージはここで見張りに立つから、あとは頼むぞ。目一杯積み込んでくれ」
 レーフのもう1機の〈巨象〉につづいて工場内に入っていくカトシオのはランクルにエッシベッシは声をかけた。
「わかってるよ。とっとと終わらせて、さっさと逃げださないとな」
 工場内でハランクルクの積み込みをする手はずになっているエーミット、レーフ、カトシオ、ミミジオの4人の乗機が工場内に入っていったところで、スモージの機体がエッシベッシのところにやってきた。
「なんかどきどきするなあ」
 操縦席から声をかけてくるスモージに、エッシベッシは「大声を出すな」と注意しかけたが、そのくらいのことで見つかる距離に警備隊がいれば、先に彼らが乗ったハランクルクが見えているはずだと思い直した。
「まあ……そうだな。いつもと違うからかな」
 言われてみれば、キャラバンを襲撃するときよりも緊張している気がすると彼も気づいた。仲間が次々と命を落とすようなキャラバン襲撃より、まだ今回の工場襲撃のほうがよほど安全なはずなのに。
「すっかり慣れっこになってたのかな。最初の頃はもっと……」
 少年は追憶に埋没しかけた自分の意識を無理やり現実に引き戻した。
(俺は、スドノウレにレーフたちを連れて行くんだ)
「スモージ、灯りは消しとけ。こっちから知らせて回る必要はない」
 そう指示して自分も機体の探照灯を消した。あたりに彼らが来る前の常夜灯だけの薄暗さが戻ってくる。
「はやくスドノウレに行って、戦争で戦いたいな!」
 夜の闇の中で影絵のように浮かび上がっているハランクルクからスモージの声が聴こえる。
「そうだな。今夜でこんな盗賊の真似事はおしまいだ。スドノウレに行って俺たちもリガの神様のために異教徒と戦うんだ」
 奇妙なほど高鳴る胸の鼓動を抑えるのに苦労しながら、エッシベッシはつぶやいたのだった。

【14 ボドゴーダの警備隊】
 静かな緊張感に満ちた時間が破られたのは、2時間ばかりあとのことだ。
 最初に見えたのは複数の照明だった。何機かのハランクルクが近づいてきていた。
「エッシベッシ!」
 スモージの声。
「わかってる。静かにしてろ。様子を見るんだ」
 やがてハランクルクたちの駆動音や足音がはっきり聞こえてくるようになると、ハランクルクの姿も見分けられるようになってきた。逆光の中、常夜灯の光に白く浮かび上がっているのは、白と濃い青の2色で塗られた警備隊のハランクルクだった。
「くそ。見つかったのか」
 操縦桿を握る手に思わず力がこもるが、しかし警備隊のハランクルクはまるで酔っ払っているかのようによたよたと方向の定まらない歩き方をして、一向に工場の方に近づいてくる様子がない。
 真っ暗ではないにせよ、夜の闇の中では何機のハランクルクがいるのかはっきりしない。しかし3機以上はいそうだった。
 エッシベッシは「このままやり過ごすぞ」という意味を込めてハランクルクの手を、スモージが見えるように動かした。合図に気づいたかどうかはわからないが、スモージの機体も動く気配はない。
 油断なく様子を見ていると、すぐに警備隊がどうしてこんな場所にやってきたのか、理由がわかった。
 ハランクルクの手に誰か人間が握られている。
「やつら……また……!」
 叫びかける声を慌ててひそめる。
 警備隊のハランクルクの一団が工場帰りの女性工員たちをいきなりさらっていったのは、数カ月前のことだ。さらわれた8人の女子工員は、警備隊員たちによって輪姦された。これまでも同様のできごとはあったのだが、そのときは人数といい、なにかの犯罪捜査にかこつけることさえしない乱暴なやりくちといい、これまでになかっためちゃくちゃさだった。
 常軌を逸した警備隊の行為に、さすがに怒った工員仲間や家族が、警備隊本部にハランクルクで乗り込んでいったのだが、警備隊長ボドゴーダは、これを町の治安を乱す暴力行為とみなして鎮圧を命じた。なにしろ先頭に立って女子工員をさらっていたのがボドゴーダだったのだから、交渉も訴えも最初から不可能だったのだ。小銃程度の武装しかしていなかった工員たちは、大型機関銃や噴進弾で武装している警備隊のハランクルクにかなうはずもなく、あっさりと撃退されてしまった。
 そして事件はこれだけでは終わらなかった。この被害者の当然の反抗に激怒したボドゴーダは、その日1日、この抵抗に協力した(と彼がみなした)人々を共犯者として捕らえ、この全員を「死刑」にしたのだった。
 死刑は、彼がさらって陵辱をくわえた女子工員までもがその対象とされ、「犯人」全員が、彼ら自身の家に閉じ込められたまま火をかけられ焼き殺されたのだった。
 エッシベッシたちがこの事件を知ったのは翌日の事だった。彼らはキャラバン襲撃のために、町から遠く離れていたのだった。そのとき50ダーリ以上も離れていた彼らにも、町からあがる煙は見えた。
 それまでコムギィを始め、教団の上層部から誘われていた巡礼に、ひとびとが積極的に参加するようになったのはこの事件のあとのことだ。リガ教に帰依するひともぐっと増えた。住み慣れた町だ。たとえ神の教えであっても、簡単には離れたくないと思うのが人情だ。だが、警備隊の、そしてそれを後押ししているとしか思えない市長の仕打ちが、町のひとたちに最後の決心をさせたのだった。
 スモージの姉も巡礼に旅だったのだという。
 巡礼自体もしかし、決してまるきり安全だったというわけではない。町を勝手に抜け出すところを警備隊に見つかれば、罪に問われることになるからだ。むろん、その結果がどんなことになるかは、火に焼かれた工員たちの運命を見ればわかることだ。
 だがそれでも街を離れる者は増えていったし、実際には警備隊としてはまったくなにもしていないに等しいメードの警備隊の「仕事ぶり」のおかげで、多くの巡礼者は特段の邪魔をされることもなく町を離れることができたのだったが。
 それでもなお、町には何千人ものひとが残っている。
 エッシベッシたちのように、教団のための仕事をするため残っているのは特別な例だったろうが、リガ教に帰依しなかった者、帰依してもやはり巡礼にまでは踏み出せなかった者、ただただ無関係な者がメードには住んでいる。
 だから、ボドゴーダ率いる盗賊団……メード警備隊は、獲物にことかくことはないのだった。今夜もそんなひとりが警備隊の牙にかかったに違いない。
 細い悲鳴ともすすり泣きともつかない声が聞こえてくる。
 警備隊のハランクルクにつかまれているひとの声だ。
 事件以来、さすがに多少はおとなしくしていた警備隊の連中が性懲りもなくまた同じような悪事を働こうとしているのだ。
 終業後の工場近くなら通りかかる人間も少ないと考えたのだろうか。
「くそ……異教徒の悪魔どもめ……!」
 エッシベッシは歯噛みした。助けにいってやりたい気持ちはやまやまだが、いまは騒ぎを起こしたくない。しかし、放っておけば、この前の事件のような悲惨なことがまた起きてしまうだろう。
 エッシベッシがどうするか悩んでいる間に、隣で待機していたスモージのハランクルクが機体を立ち上がらせている。
「ちょ……待て! どうするつもりだ!」
「決まってるだろ!」
 思わずかけた声にスモージが叫び返す。
「ばか、見つかる! 声をおさえろ! ただ突っ込んでいくつもりかっ」
「じゃあどうしろっていうんだよっ」
 いったん機体の動きを止めたスモージだが、いまにも飛び出して行きそうだ。だが、そんなことをすれば今回の計画が水泡に帰してしまう。
「助けないで見捨てるのかよ!」
 声を抑えたスモージの叫び。
(くそ。どうする。俺だって見捨てたいわけじゃないんだ……っ)
 また悲鳴が聞こえてきた。たぶん被害者はひとりではないだろう。
「くそっ!」
 エッシベッシは計器盤を叩いた。そしてスモージに指示を出す。
「中に行って、あと5分で積み込みを終わらせるように言ってこい! ……で、お前が戻ってきたら、ふたりで奴らをやる。いいな!」
「お、おう……っ。わかった!」
 スモージが操縦席から飛び出して行く。
 また悲鳴が聞こえてきた。
 カトシオたちは文句を言うだろうが、指示には従ってくれるだろう。スモージなら目の前で起きようとしていることをちゃんと説明できるだろうし、たとえ運び出せるハランクルクの数が減ったとしても、警備隊の連中をやっつけることに賛成してくれるはずだ。
 エッシベッシももちろんだが、仲間の誰もが警備隊に対しては十分すぎるほどの怒りを感じていたのだから。
「もっと早くにこうしていればよかったんだ」
 警備隊、ひいては市長とコムギィが裏でつながっているとは知らないエッシベッシはひとりつぶやいた。また悲鳴が聞こえてくる。長い待ち時間になりそうだった。


【15 少年たちの攻撃】
 なんでもするから助けて。
 という男女に、ボドゴーダは「武器を持っていないか確認できたら許してやろう」と言って、ふたりが服を脱いで裸になったところで、男の方を撃ち殺した。
「こんな時間に裸でうろつくとは、町の秩序を乱す危険行為だ。危険分子は即座に処罰せねばならん」
 恋人だか夫だかを殺されて絶叫する女に、うそぶくボドゴーダの言葉が聞こえていたとは思えないが、太った警備隊長は自分の台詞がよほど気に入ったと見えて、びくびくと断末魔の痙攣をしている男のそばでしばらく笑っていた。
「いやあ今日もよく働いた。ここからは労働のあとのお楽しみの時間だ」
 隊長の宣言に男たちの歓声があがる。
 ボドゴーダは叫び声も涸れた女に近づいていく。
「いつも町の治安を守っている警備隊のために、おまえにも協力してもらわんとな。それが帝国市民のつとめというやつだ」
 自分を待ち受けている運命を知った女がかすれた叫びをあげる。
「けだものっ! 悪魔! 神罰を受けるがいい!」
 女の叫びにまた隊員たちから歓声があがった。
「こいつリガ教徒かよ」
「反帝国ってやつか? うへえおっかねえ」
「ほんとに犯罪者じゃねえか」
「じゃあ、犯っちまっても問題はねえか」
「なにもなくたってやることはやるんだろうが」
 下卑た男たちの言葉に打ちのめされたかのように、女はがっくりとうなだれてその場に膝をついている。
「おい、押さえとけ」
 ボドゴーダの命令に、警備隊員たちはハランクルクから降りて女に手を伸ばした。
(あーあ。あのふたり、運がなかったよなあ)
 カーネリはハランクルクの操縦席から、同僚たちによって地面に押さえつけられる女の裸身を眺めながら、小瓶に詰めた酒を飲んだ。
 こんなふうに酔ったまま、警備隊の勤務時間を過ごすようになったのはいつくらいからだったろう。
 帝国軍が駐留していた頃は、そんなことはなかった。
 ボドゴーダはまだ隊長どころか、警備隊と無関係だったし、警備隊の規模も市長の身辺護衛程度の仕事しかしない、ずっと小規模の集団だった。
 すべては帝国軍がこの町を引き上げてからだ。
 帝国軍という枷がはずれてから、急速にこの町は……そして警備隊は変わった。
 市長のゴリ押しでボドゴーダが警備隊長になってから、警備隊は、あっという間に盗賊団と変わらぬ集団になってしまった。
 そんな集団の一員である自分に呆れる気持ちもある。
 だが、だからといって自分から警備隊をやめよう、とかかつての姿に戻そう、などとは思わない。
 そんなことをすれば、次に目の前で頭を砕かれて死んでいる男になるのは自分だとカーネリにはわかっているからだ。
(おれひとりじゃあどうにもならない)
 醜い下半身を晒して、ボドゴーダが女に挑みかかっている。ああやって、全員の相手をさせられるのだろう。嫌な光景だ。酒でも飲まなきゃやってられない。
 だが、そんなふうに思いながらも、自分の番がやってくれば、ためらうことなく女にのしかかっていくだろうカーネリなのだった。
(まったく、帝国軍さえいなくならなきゃ……)
 彼の物思いは途中で永遠に中断させられた。
 犯される女をはやし立てる警備隊員たちは、最初その音に気づかなかった。全員が酒か、もっと危険な薬に酔っていたからでもあるし、ハランクルクを起動したままで、駆動鋼がうなりをあげていたからでもある。
 だから頭を撃ちぬかれたカーネリの身体が、操縦席から地面に落下したのにも、同僚たちは誰も気づかなかった。
 銃撃に気づいたのは、さらにふたりが、いきなり殴り飛ばされたみたいに、地面に倒れた時だった。
「なんだっ、なんだっ!」
 ひきつった顔でボドゴーダが叫んでいる間に、さらに3人が撃ち倒されて、その場の警備隊員は5人になっていた。
「ちくしょう、襲撃だ! ハランクルクに……」
 立ち上がった警備隊員の身体に血の花が咲いて、背中から地面に倒れた。

「くそっ、どうして当たらないんだっ」
 スモージは照門から目を離して、這うように逃げ出す警備隊員を見た。
 狙っているはずなのに当たらない。
 だが、きちんと訓練を受けたわけでもない少年の射撃である。動かない的ならともかく、逃げ出す人間に向けて、しかも女に当たらないように狙うとなれば、簡単に命中させられるものではないのだ。逆にいえば7人を撃ち倒すまで、女を傷つけずに済んだことの方が奇跡的と言えたろう。
 操縦席から身を乗り出して再び小銃を構えなおしている間に、残った警備隊員たちはハランクルクにたどり着いてしまっていた。スモージはひとりを狙ってさらに数発撃ったが、ハランクルクの機体が邪魔をして命中させることはできなかった。
「ええいっ、逃がしちゃだめなのに!」
 エッシベッシから言われたのは、ここで警備隊員を全員倒してしまうこと。
 ひとりでも残せば、応援を呼ばれる。
 そうなれば多勢に無勢、とくに荷物を満載した〈巨象〉は不利になる。
 なんとしてもここで警備隊員を全滅させて、自分たちが町を出る時間を稼がなければいけないのだ。
「当たれっ、当たれっ!」
 しかしもう小銃弾では、ハランクルクの外装に小さな穴を開けるだけで、撃破することなど思いもよらない。さらにそうしてひとりの警備隊員にかまけているあいだに、別のハランクルクが動き始めた。
 それにスモージが気づいたときには、ハランクルクは鈍重な動作で、機関銃を装備した腕を彼の方へと向けてきているところだった。
「しまった……!」
 慌ててスモージが操縦桿に手を伸ばしたが、間に合うはずもない。銃撃を覚悟した瞬間、警備隊のハランクルクの機体に火花が散った。
「……エッシベッシ!」
 スモージの銃撃の間に反対側から回りこんでいたエッシベッシのハランクルクからの銃撃だ。エッシベッシの機体には、大型の機関銃が積んである。
 小銃とは比べ物にならないその威力は、警備隊のハランクルクの外装板を撃ちぬいて、中の操縦者を打ち倒した。
 操縦席付近を穴だらけにされたハランクルクが、ふらふらとよろめいて地面に倒れる。
 だが、1機倒しても、まだそれで終わりではない。スモージが操縦者を倒し損ねたハランクルクが踵を返して逃げ出そうとしていた。さらにもう1機が降着姿勢から機体を起こそうとしている。動作が鈍重なのは、操縦者が酒でも飲んでいるからだろう。
「酔っ払いめ!」
 スモージは自分の機体を突進させた。エッシベッシの機体と違い、スモージの機体には彼自身が使う小銃以上の武装はない。向こうの機体が腕の機関銃を使う前に、組み打ちで叩き伏せなければ。
「く……重いっ!」
 しかし、スモージの意志に対して、ハランクルクの動作がついてこない。機体が重いのだ。レーフに話したように、大量の火薬と油を荷台に積み込んでいる分機体重量が増してしまっているのである。
 それでも相手の動きがさらに鈍かったのが幸いして、スモージは警備隊機の腕の下をかいくぐるようにして、機体を体当りさせることに成功した。
 猛烈な衝撃に操縦席から弾き飛ばされそうになりながら、さらに機体を前進させる。2機のハランクルクはもんどりうって、地面に転がった。
 その結果ちょうど真上を向く格好になった警備隊機の腕の機関銃が虚しく火線を夜の闇に打ち上げていく。
「おとなしく……してろ……っ!」
 壊れるのも構わず、スモージはハランクルクの腕を警備隊機の操縦席に突き出す。
 一撃、二撃。
 三撃目に操縦席の枠がひしゃげて、中の警備隊員ごと操縦席を押しつぶした。
「こいつっ、こいつっ! こいつめっ!」
 それでもなおしばらくスモージは腕を警備隊機に叩き込み続け、やがてまだ1機残っていたはずだと気づいて、機体を引き起こした。
 慌てて周囲を見回すと、エッシベッシのハランクルクがこちらに近づいてくるところだった。
「エッシベッシ!」
 操縦席のエッシベッシが軽く手を振ってみせる。さらに目探しすると10カイほど離れたところに穴だらけになった警備隊機が擱座していた。どうやらこの場にいた警備隊員は全部やっつけたらしい。
 ほっとして座席によりかかろうとする彼にエッシベッシが声をかける。
「急げスモージ!」
 そうだった、とスモージは再び操縦桿をつかみ直す。
 急いでレーフたちと合流して、町を出るのだ。
 むしろ大変なのはこれからなのだった。

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……っ」
 涙と鼻水とよだれで顔中ぐしゃぐしゃにしながら、下半身裸の男が夜の路地を走って行く。
 街灯のひとつもない路地裏は、足元を見通すこともできず、男は何度も転びながら、そのたびに甲高い悲鳴をあげて、それでもなお走って行く。
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうっ」
 男はメード警備隊隊長ボドゴーダだった。
 スモージとエッシベッシは見逃していたのだ。
 ハランクルクに乗り込もうともせず、ただ命惜しさに、恐怖にかられてその場から逃げ出した男のことを。
 警備隊の全隊員に招集がかけれたのはこの4クリクほどあとのことだ。


【16 少年たちは荒野を目指す】
 工場を出たエッシベッシたちは、町の東のはずれを目指して、ハランクルクを走らせていた。
 8本脚で巨体を支える2機の〈巨象〉、そしてエッシベッシやスモージが乗る俗に一般機と呼ばれるサイズのハランクルクが3機の計5機。〈巨象〉はレーフとエーミットが操縦を、そして一般機の3機はスモージ、エッシベッシ、カトシオが操縦している。最年少のミミジオはレーフの〈巨象〉に便乗していた。
「もっと速く走れねえのかよっ。町を出るまでに10年かかるぞ!」
 先頭を走るハランクルクからカトシオが操縦席から背後を振り返り、いかにも鈍重な〈巨象〉の足取りに苛立った声をあげる。
 だが、新品のハランクルクを満載し、機体幅ぎりぎりの町中の路地を進んでいる〈巨象〉がこれ以上の速度を出すのが難しいのは彼にもわかってはいるのだ。それでも彼が焦っているのは、追手の存在だった。
「くそっ、エッシベッシまでスモージみたいに突っ込んでいきやがって。なにもこんなときに警備隊に突っかかることはないだろうに……っ」
 警備隊員たちに襲われている女を助けるため、という理由が、エッシベッシや、とくにスモージにとって唯一の正しい答えだったろうことは、これもカトシオにはわかっていることではある。そして自分がその場にいたとしても、結局はエッシベッシの決断に従っただろうということも(ではもしひとりだったら? そのことについて、彼はあえて考えないようにしていた)。だから今の状況が決して仲間のせいではないこともわかっている。すべては賊と化した警備隊が悪いのだ。
 だが、あまりにもタイミングがよくない。
 なにもこんなときに。
 カトシオとしては、警備隊の餌食にされた女をうらみたい気分だ。なにもこんなときに、夜の町をうろうろしなくてもいいだろうに!
 カトシオは落ち着かない気持ちで何度も周囲を見回した。いつ警備隊のハランクルクが路地から飛び出してくるかわからない。
「ほんとうっ、急いでくれよっ!」
 町の東の出口、街道まではまだだいぶかかりそうだった。

 そんなカトシオの心配は、しかしすぐ後ろを走るレーフたちにはそれほど共有されていないようだった。
「カトシオ、なにか言ってるみたいだけど。わかる? ミミジオ……って危ないわよ」
 操縦席の窓から大きく身を乗り出している少年のベルトにレーフは慌てて手を伸ばした。
「ああ、エーミットのハランクルクが邪魔で、エッシベッシ兄ちゃんのハランクルク、見えないや」
「見えるわけないでしょ。ちゃんとついてきてるわよ。いいから、ちゃんと席についてなさい。落ちたらどうすんの」
 ぐいとミミジオを引き戻す。
「なにすんだよ、レーフ。ああ、俺もハランクルクに乗って戦いたかったなあ」
 頬をふくらませたミミジオは、拳を何度か宙に繰り出して、殴る真似をした。
「ハランクルクの数が足りないんだから、しょうがないでしょ」
「あんなに積んでるじゃない。1機くらい俺が乗ったって……」
「あれはまだ組み立てたばっかりで力素管入れてないんだから動かないわよ。だいたいミミジオ、ペダルに足とどかないじゃない」
 レーフの容赦無い指摘に少年はううとうめいた。
「俺だって、もうちょっとだけ背が高くなったら、エッシベッシにいちゃんみたいに異教徒どもをばんばんやっつけられるんだ。ほんとだからな!」
「はいはい……」
 ミミジオだって、レーフたちと一緒に何度もキャラバン襲撃に参加しているのだ。銃弾一発当たれば死んでしまうかもしれない恐怖も、仲間の死も、みんな経験しているはずなのに、どうしてこう能天気でいられるのか。子供だからだろうか?
 多分違う。
 レーフは思った。気楽に火薬を満載したハランクルクで自爆することを口にするスモージも同じようなものだ。
「だから男って……」
「なにか言った?」
「なんにも! いいからおとなしく座って、周りを見張ってなさい。いつ警備隊の連中が追いかけてくるかわかんないんだから」
 それにしても……とレーフは思う。
 少年たちは町を出さえすればもう大丈夫、と言っていたけれどもほんとうだろうか。
 町の外で(レーフたちに)襲われるキャラバンに対して、警備隊がこれまでなにもしてこなかったのは間違いない。けれど今回は事情が違う。町中の工場から直接ハランクルクを盗み出したことはこれまでにないのだから。
 もし警備隊が町の外まで追いかけてきたら……?
 しかもスモージたちは、襲われていた女を助けるためとはいえ、警備隊員を何人も殺してしまった直後なのだ。
 レーフは胸の中に湧いてくる不安をあえて無視した。
「あたしはスモージと一緒にスドノウレに行くんだから……」

 操縦席から周囲を見回していたスモージは機体をエッシベッシの方に近づけた。
「なんか、妙じゃないか。エッシベッシ」
 走るハランクルクの騒音の中、声を張るスモージに、エッシベッシも声を張り替えす。
「なにがだよ?」
「なんか町全体がざわざわしてるっていうか……警備隊の連中、追ってきたのかな?」
「まさか。あそこにいた奴はみんなやっつけたろ。そんなすぐに追ってこられるわけがない」
「だけどさ、おかしいんだよ。夜ってこんなんじゃなかったと思うんだ」
 エッシベッシには、スモージの言っていることが抽象的すぎて理解できなかった。だが、それでも少し考えこんで答える。
「お前がそう言うんなら、そうかもな。俺がいちばん後ろにつこう」
 そう言ってエッシベッシは自分の機体の速度を少しゆるめた。
「待てよ、警備隊と戦うなら俺も……」
 言いかけるスモージに、エッシベッシは操縦席から手を振ってみせた。
「お前のハランクルクには武器がないだろ」
 そう言われてはスモージは返す言葉がない。操縦席脇に機関銃を据えつけたエッシベッシ機と違ってスモージの機体にはハランクルクを相手にするような武器は積んでいないのだ。しかもさっきの戦いで、右腕は肘から先が壊れて動かなくなっている。操縦席の中に置いてある小銃でも戦えないことはないだろうが、ハランクルク相手、それも腕に機関銃を装備した警備隊のハランクルク相手では、不利もいいところだ。ここはエッシベッシに従うしかない。
 最後尾につくエッシベッシを見送って、スモージはあらためて流れていく夜の町を見つめた。
「……やっぱり警備隊が動き出してるのか?」
 夜の空気が妙にざわついている。


【17 ボドゴーダの逆襲】
 結論から言えばスモージの勘はあたっていた。
 たったひとり、襲撃から逃げおおせたボドゴーダは、警備隊本部に駆け込むとすぐさま全警備隊員に招集をかけ、自ら手勢を集めて襲撃者……つまりエッシベッシたちを追撃することを命じていたからだ。
 といっても、その命令一下、すべての警備隊員と彼らのハランクルクが一斉に動き出した……というわけではない。
 警備隊のハランクルクのうち通信機を装備していたのはごく一部だったし、ましてひとりひとりに無線機が支給されているわけでもない、非番で自宅に戻っている隊員たちを呼び出すには、直接自宅にまで行くしかなかったのだ。
 実を言えば町全体に警報を鳴らすことで隊員を呼び出す方法もあったのだが、これは結局使われなかった。
 自分を襲った「賊」を逃さぬように、警備隊の出動はできるだけ隠密におこなうべしとボドゴーダが命じたからだ。だが、そもそもメードの警備隊は警報が鳴ったら、出動どころか我先にと逃げ出しかねないことを隊員の誰もが知っていた。
 徒党を組んでいれば、どこまでも凶暴で居丈高になる警備隊も、孤立してしまえば野犬以下の存在だということを、当の警備隊員自身がいちばんよく知っている。そんな彼らが、町全体を揺り起こすような警報を聞いたら、本部に駆けつけるより先に身を隠す場所を探そうとするのは、(おそらくボドゴーダも含めて)想像に難くなかったのだ。
 そんなわけで、たまたま本部にいた(そして例によって酒や別のもので泥酔状態だった)隊員たちがかき集められ、ようやく服を着たボドゴーダに率いられてどたどたと出動していくまでに5クリク以上かかったのだし、さらにボドゴーダたちが、襲撃現場に辿り着いた頃になっても、警備隊員の招集はまだ半分も終わっていなかったのだった。
「くそうっ、どこへ逃げたんだ! 賊どもめ!」
 顔を真赤にして腕を振り回す上司に、部下たちは内心「賊がいつまでも同じ所にいるものか」とあざ笑っていたが、一応「町から出る経路を封鎖したほうがいいのでは」と教えてやるくらいの親切心は持ち合わせていた。
「そ、そうだ。それだ! 奴らを町から逃すな! ここからいちばん近い街道への出口は……」
 そこへ周辺を見まわっていた隊員が血相を変えて戻ってきた。
「隊長! 大変です! 工場が、工場が……っ!」
 いったんは「工場などしったことか」と報告に戻ってきた隊員をハランクルクで踏み潰しかけたボドゴーダだが、夜営の詰め所で警備隊員が縛られていたこと、そして工場内で出荷を待つばかりだった組み立て済みのハランクルクがごっそり盗まれていることを知ると、彼の怒りは頂点に達した。
 すぐさま、積み出し経路である北側の道へ部下を引き連れ飛び出していく。だが、むろん北の積み出し用道路で「賊」に出会えるはずもない。
 逃げられたかと勘違いして、さらに怒り狂ったボドゴーダのところに、招集された非番隊員から、市街を東へ向かって進む大型ハランクルクの情報が入ってきたのは、不幸なことに北側道路の封鎖が空振りに終わって戻ってきたボドゴーダが怒りに任せて縛られたままのシーグレを、工場前の詰め所ごとハランクルクの機関銃で粉砕したあとのことだった。
「やつら、町の中へ逃げ込んだのか! そんなに遠くへ行けるはずがないと思っていたぞ。追え、追えっ! 皆殺しにしろ!」
 かわいそうなシーグレのいた詰め所の残骸には一瞥もくれることなく、ボドゴーダはハランクルクを市街地へと突進させた。

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