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死について考える【97日目】

人に尽くすというのもまた人生であろう。

むしろ、その生き方の方が正しいのかもしれない。

自分のために、すべてを進めていくのではなく、人のために動く。このコロナで、予防する人やマスクする人が増えたことだろうが、周りがそれだけやっていても、予防しない人もいる。これは論文で発表されていた内容だが、何やら、予防していない人は認知能力が低く、また自己中心的な、ナルシストだということだ。100%これが正しいというわけではないが、また、これを見ただけでは伝言ゲームになりかねないが、論文にはそうあるらしいと。

自己中心的な人はある意味自己愛が強く、ナルシストなのだろう。ナルシストなりたくないなと思う反面、自分は自己中心的でないという確証はない。むしろ、自己中心的な方であろう。また自己愛も強いとみえた。なぜそう思うのか。他人のために、家族のために、会社のために、先輩のために、後輩のために、地球のために、という考えがあまりなかったりする。もちろんあることにはあるが、自分の有意なことを優先してしまう。

仕事も、やりたくないものはさくっと終わらせるようにするし、そもそも、やりたいくない場合は転職などする。友人もかなり切り捨ててきた。家族のために尽力しているかと言われるとそういうことはない。他人への思いやりはなく、電車で席を譲るのもかったるい。そういうめんどくさがりな人間なのだ、私は。めんどうで片付けるのはあまりよくないが、端的に表すならば、そうなのだ。そして、そのめんどうというのが一番の原因なのかもしれない。いや、一番かどうかはわからないが。

自分が思った通りにならないと憤慨するものだ。内心では。それは自己愛の象徴でもあるだろう。私の中では。私は私のために今勉学をし、仕事をしているだろう。これは自己中心的といってもいいだろう。世間一般の自己中心よりは弱い印象かもしれないが、他人のためにという考えがない時点で、自己中心なのだろう。また、自己愛も強い。自分を疲れさせたくないから、自分を傷つけたくないから、そういった理由で、他人に仕事を押し付けるような人間だ。ナルシスト、は世間では鏡を見ているような、そんな印象を持っているかもしれないが、この私の振る舞いも、十分ナルシストと言っても過言ではない。

死ぬまで、そうやって自分ばかりに気を取られて、他人のために働かないと、死ぬ間際になって困るのは自分であろう。そういう自己中心的な人を助けようとは思わないはずだからだ。死に近づけば近づくほど、そうやって他人の力が必要となる。介護なのかわからないが。その時に、力を貸してくれるというのは、こちらが力を貸した相手だけだろう。もちろん、お金で雇えばいいのかもしれないが。それもどうかと思う。

他人へ優しくすることは、結局は、自分へ帰ってくるのだ。他人へ優しくしなかった分も自分へ帰ってくるというわけだ。自分へ帰ってくるならば、優しくする他ないだろう。人に尽くす人生もまた悪くないのだ。

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