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中山康樹「超ジャズ入門」読書感想文

いかに街では、音楽に囲まれていたことか。

逮捕されてから真っ先に気がつくのは、・・・たくさん気づくけど、ひとつには音楽がある。

無限のようにして耳から入ってきていた音楽が、逮捕されてからは断ち切られて、1日ごとに少しずつ忘れていく感覚が続いていく。

受刑者にもなると、音楽など聴きたくなくなる。
聴きたい、という感情がなくなる。

檻の中では、余計な感情をなくして生きたほうが気が楽だと知るし、仮に聴けたところで楽しむなんてことができない。

その年の慰問にはブラスバンドがきたが、正直いって聴きたくはなかった。

後がキツイ。
生の音楽など耳にすると娑婆っ気が出てしまう。

とにかく、15名ほどのブラスバンドの一団が刑務所に来た。

作業服の受刑者たちは「いっちにぃ~」という号令で、足音をたてて行進して、講堂まで集まる。

あとは、背筋を伸ばして、手は足の付け根に置いて、真っ直ぐ前を向いて座って無言のまま対面するのみ。

いかにも真面目そうな指揮者が手を振り挙げて、オーソドックスな、たぶんクラシックな楽曲が演奏された。

とたんに、となりに座る757番の上田君が「おお・・・」と体勢も口も動かさずに小さく呻っている。

浴びせられてる音の圧感に驚いている。
それは自分も同じだった。

3年ぶりの大音量なのだから、体への衝撃がけっこうある。
「おお・・・」と口を動かさずに呻り返した。
わずかに感情が放たれたようだった。

そんなことがあってから、すぐに借りた本。
入門とあったので借りてみた。


ビル・エバンスとは

なじみもなければ、予備知識もないジャズ。
読んでみたけど、知っているジャズミュージシャンといえば、ビル・エバンスくらい。

読書録に余談を書かせるのは、あのブラスバンド。
わずかに感情が放たれたから。

とにかくも、歌舞伎町の「うな鉄」の裏手にバーがあった。
そこがいつもビル・エバンスだった。

騒がしい未開発地域の通りを抜けて、木造ボロ屋の狭い階段を2階に上がると、年季のはいった正統派の静かなバーになっているというギャップが心地いい。

スコッチと葉巻とフルーツしかない。
葉巻は、コイーバとモンテクリストがあって、ロングを1時間近くふかして、グレンリベットなどをロックでダブルでやって6000円くらいか。

普段は歌舞伎町をバカにしている銀座のホステスだって「いいバーね」なんて店内を見渡してしみじみしていたから、立地と建物はともかく、店内の雰囲気はおすすめに値すると思われる。

それでいて、バカラのグラス。
女性連れのときは、これがいい。

極薄だから、乾杯でグラスを合わせることを躊躇する女性がほとんど。

だから目でやる。
目だけで乾杯する。
このグラスではそうするんだよとサラリと教えて、強制見つめ合いプレイに持ち込む。

ブサイクな男こそが、ビル・エバンスとバカラのグラスで歌舞伎町で乾杯すべき。

この乾杯を真剣に顔圧を込めてグイッとして、女性に照れが浮かばないほうが少ない。

もしかしたら、それは照れではなくて、ただの失笑かもしれないけど、細かいことはすっ飛ばす。

その照れは、受身に転化される。
こうなれば、もう、主導権は握れたようなもの。


新書|272ページ|2001年発刊|集英社

折りをみて体を褒めて、以外とイヤな顔するわけでもなく、口角に1ミリほどでも笑みを浮かべたとすれば、あともう少しいける。

体に自信がある女性は熱い。
体に自信があるからこそ脱げる。

でも、女性の体を褒めるってのは、ものすごく気をつけなければならない。

「胸のうねりが抜群にキュートだよね」といった程度の、言ってることがよくわからないけど褒めていると伝わるくらい。

ともかく、隠れた部分を褒める。
隠れている部分こそが、褒めどころになる。
見える部分の、髪やメイクや服や小物には触れないでおく。

目に見えなくても、勉強の成績がどうしたとか、仕事でいい評価を得ただのとか、当人の努力が含まれる行いを褒めるのも、できるだけ平坦にしておく。

不用意になんでも褒めてしまうと、ささやかな満足が耳を制御するのか、こっちの話が入らなくなってしまう。

これは自分しか褒めることができないだろう・・・というほどの隠れている部分を感覚で探って見つけて褒めてみる。

だから体を褒めてみるのは、ひとつの手。
褒めるときにはニヤついてはいけないし、おだてるのではなくて真剣に目を覗き込んで、ゆっくりと声のトーンは低めにして言わなければならない。

我々は、女性というものに対して・・・。

余談が過ぎた。
正直な気持ちを書いたので仕方ない。
要は、ビル・エバンスとは、そういうときのジャズである。

やはり、ブラスバンドで娑婆っ気が出たようである。
あとがキツくなるのは目に見えている。

その点、読書だけは万能だった。
逃げ場にもなるし、現実逃避になる。

感情の発揮も限定されて、ある程度はコントロールできる。
楽しみにもなるし、情報と触れる場にもなる。

とにもかくにも「超ジャズ入門」の読書感想である。

内容のまとめと感想

著者の中山康樹(やすき)は、ジャズ雑誌の元編集長。
ジャズのプロ。

同業者を、容赦なく切り捨てていく。

レコード業界のCD発表の手法がジャズファンを裏切っている、ジャズ評論家がむやみに混乱させている、音楽雑誌には読むに値する文章が載ってない・・・と、ジャズを取り巻く現状を批判していく。
彼らは、無責任とも無反省とも小気味いい。

てっきりジャズの歴史が書いてあるのかと思っていたけど、そんなことには触れてない。

ジャズの歴史など知る必要がない、と言い切っている。
音響にこだわる必要もない、とも言い切っている。

超CDコレクション術とは?

ジャズをCDで聴く方法や、CDショップでの購入方法が解説されている。

「何年まえの本だろ?」と気になって、発刊の年をたしかめると2001年。

前時代の聴き方になるが、なにかのヒントにはなるので途中で読むのをやめるのは拙速だ。

ともかく、著者は「超CDコレクション術」を伝授する。

まずはCDを100枚コレクションをする。
1度にコレクションするのではない。
月に3枚づつ購入すれば、3年ほどで100枚になる。

100枚揃った時点で、2回目を聴いてないCD、ピンとこないCD、それらを10枚か20枚ほどピックアップ。

ピックアップしたCDは、ディスクユニオンで売る。
同時に月に3枚ペースで購入していく。

それらを繰り返して、常に100枚を超えないようにして、コレクションの味わいを充実させていく。

ジャズ初心者を混乱させてるもの

では、初心者は、なにを基準にCDを選べばいいのか?

その前に、著者は「ジャズとは何か?」と逆に問うてくる。
そうして「マイスル・デイビスとブルーノートにほかならない」と断じる。

はたしてマイルス以外の誰が、その歩みと音楽的変換において、ジャズそのものの歴史を体現しうるでしょう。
同様に、ブルーノート以上に、ジャズの豊かな表情多彩な音楽性、そしてジャズの黄金時代を見事なまでに記録したレーベルがあるのでしょうか・・・と著者は訴える。

著者によると、ジャズミュージシャンにはアルバムが多い。

ジャズが持つ即興性という特徴により、ライブで1日か2日でのレコーディングが通常。

やりっぱなし、使いっぱなしがジャズアルバムの実体。
これが、ジャズ初心者のCD選びを混乱させている。

だけど、マイルス・デイビスと、ブルーノートの創立者アルフレッド・ライオンはちがった。

「商品意識」を取り入れた。

作品として永遠に残るアルバムを制作してファンに届けようとした・・・と著者は2人の偉業を称える。

ジャズCDのベスト100枚とは?

以上のことから、ジャズ初心者がコレクションするCD100枚は、マイルス・デイビスの50枚とブルーノートの50枚だと説く。

マイルス・デイビスが「なにをやったか」ではなく、マイルスにしか「できなかったこと」はなんだったか。

ブルーノートもまた、ブルーノートにしかできなかったことをやったがゆえに「ブルーノート」たりえた・・・と、ジャズのプロの著者には説得力がある。

押しつけがましくはなく、偏りも感じさせない。
そういうものなのか、とうなずいてしまう。

巻末には、著者がセレクトしたマイルス・デイビスの50枚とブルーノートの50枚が紹介される。
アルバムのタイトルとジャケットも掲載されている。

さらに著者は、そのうちの3曲を取り上げている。
その3曲を聴き比べると、ジャズについてなにかが見えてくるのではないのでしょうか・・・と強くおすすめして終わりとなる。

ジャズを聴いてみようかという気にもなる。
初心者にはいいかもしれない。

ジャズをCDで聴きたいときには、この本に掲載されている100枚は参考にしたい。

慰問のときに

真面目そうな指揮者は、4曲ほど演奏した。

再度、指揮者が手を振ると、ブラスバンドは意表をつくようにしてDA PUMPの「U.S.A.」を演奏した。

受刑者とはいっても、それが少し前に大流行していたのは知っている。

指揮者は反対側を向いた。
受刑者に手拍子を促した。

こんなときであっても、受刑者は勝手に動いてはいけない、とまでは指揮者はわかってないようだった。

誰一人として手拍子はしない。
それでも指揮者は、一生懸命に手拍子を促し続ける。

代わりに、ほとんどの受刑者が立会の刑務官を見た。
刑務官同士が目で確め合って「よし!やれぃ!」という声がかかった。

いっせいに皆が手拍子を打った。

手拍子のまま、サビでは「カァーモンッ、ベイビイィッ、アメリカァァ!!」と大声で歌う。

それが楽しかったこと!
指揮者もブラスバンドの団員も楽しそう!

なにしろ、逮捕から含めれば3年ぶりに音楽に触れた、・・・触れたというより自ら音楽を発したのだ。

楽しいの域を超えている。
音感の全てが強烈で、頭から体の芯がじーんとして痺れて、くらくらと酔っ払った感じ。

今でも小さな手拍子で「カァーモンッ、ベイビイィッ、アメリカァァ!!」と小さく歌うだけでも、くらくらきそうな感覚が体に残っている。

指揮者とブラスバンドの方々、今さらにはなりますが、お礼をいわせてください。

ありがとうございました。
すごくよかったです。

どのくらいよかったかって?

そうですね、仮にですが、もし今後「死ぬまえに1曲えらべ!」という状況に陥ったとしたら、迷わずにあのときの「U.S.A.」を選びます。

手拍子を打って歌って果てます。
そのくらい心に残ってます。

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