大岡昇平『野火』読書感想文
読書をしているうちに大岡昇平を知る。
あちこちの本の巻末の解説に “ ケンカ大岡 ” の異名が登場してくる。
海音寺潮五郎には「史実を曲げている」と突っかかり論争になったとか。
井上靖は「フィクションが過ぎる」と突っかかられて、気の毒なことに論争になったとか。
松本清張にも。
ほっとけばいいのに「推測が浅い」と突っかかり論争になったらしい。
めんどくさそうな人、という印象があった。
それほどに言うのだったら、さぞかし史実に忠実で、フィクションも過ぎなくて、推測も深い小説を書くのだろうなとも思っていた。
この『野火』は太平洋戦争のフィリピン戦を描いている。
大岡昇平も、35歳のときにフィリピン戦を経験している。
ちなみに太平洋戦争では、軍民合わせて310万人の日本人が死亡しており、うち47万人がフィリピン戦だというから激戦だったのがうかがえる。
読んでみると、暗めのネチネチしている文章のタッチが好みに感じた。
ところが、後半の3分の1弱は正直いってよくわからない。
とくにラストの1行は、どういうこと?
「なんじゃこりゃぁ!」と本を放り投げたくなるほど。
1回目に読んだ感想は、そんなようなものだった。
ネタバレあらすじ
フィリピンのルソン島で
その年に徴兵された田村は、補充兵として敗勢のフィリピン戦線に送られる。
ルソン島に上陸するとき、アメリカ軍の飛行機の攻撃を受けて、あっさりと兵力は半減。
重火器は全て海に沈んだ。
それでも部隊は、アメリカ軍に占領された飛行場を奪還するために進む。
先行していた主力とぶつかったのは、山を超えている途中。
アメリカ軍の迫撃砲の弾幕に、これ以上は進むのは不可能だと全軍は引き返してきたのだ。
合流した日本軍は、山の麓の森に分散して宿営して、次の攻撃の時期を待つ。
やっていることは食料確保だけ。
フィリピン人の住民の畑に押しかけて、芋、トウモロコシ、バナナを集めてくる。
が、田村は、患っていた肺病が再発。
血を吐いて、食料調達にいけない。
役に立たない兵隊を飼っておく余裕はねえと、病院へいけ、と分隊長には命じられた。
田村は森の中を歩き、民家を転用しただけの野戦病院に行くが、3日の入院で外に出された。
入院の日数が決まるのは、怪我や病気の重度よりも、食料をどれだけ持ってきたかだった。
周辺の草むらには、同じように部隊からも病院からも追い出されれた10人ほどが座り込んで、死を待つ様相だった。
その日も1人が死んで、その辺に転がっていた。
田村は仕方がなく分隊に戻る。
が、分隊長に張り倒される。
頑張って入院しろ、できなければ手榴弾で自決しろ、それが最後のご奉公だ、と言い捨てられただけだった。
見かねた給与係の曹長からは、芋6本が支給された。
国から保証された命の限度が芋6本分。
その正確さに、受け取る田村の手は震えた。
もう1度、病院に向かったのは、それでどうするでもないが、同類の者たちと会うためだった。
森の中を歩く。
木々の間から見える空には煙が見えた。
あちこちから上がっている。
フィリピン人の住民が、畑で草木を焼いているのか。
歩哨の目で見ると、それらの野火は何かの合図にも見えなくもなかった。
・・・ 最初から悲惨な話が続くけど、太平洋戦争の戦記モノでは、日本軍のお粗末さは基本セットのようなもの。
それなりの敬意を差し引いても、これじゃあ勝てるわけないな、という再確認しかない。
ただ描写されている。
批判も込められてないし、かといって鼓舞もないし、美化もない、自説も解説もない。
田村のあきらめの境地は伝わってくるが、それ以外の激しい感情は見当たらない。
現場のリアルが続く。
森に見えた十字架
病院に引き返した田村は、同類の者たちと草むらで寝る。
目を覚ましたのは砲声だった。
あの野火の煙は、日本兵がいるという目印だったのか。
着弾は宿営地に集中。
日本軍は散り散りになって逃げる。
1人で森の中に逃げた田村は、3日ほどさまよう。
このまま死ぬのかと座り込むと、丘陵が女の体に見えた。
そうしていると鶏の鳴き声が聞こえて、住民に放棄された畑と小屋を見つける。
畑に残されていた芋をガツガツ食べて、数日が過ぎると、近くに海があるのに気がつく。
海際から周辺を眺める。
すると数キロぐらい離れた木々の間に十字架が見えた。
あれは、教会の十字架にちがいない。
少年のころに興味を持った十字架だった。
信仰というよりも異国への興味で、少しは聖書も読んでみたし、ロマンチックな教義にも惹かれもした。
ただ大人になってから身につけた教養は、すべての神を否定するものだった。
敵となる村でもあったが、2日後になって行ってみようと思ったのは妙な夢を見たから。
教会で聖者として葬儀されていたという夢。
死が迫る孤独の中で十字架を見たからだと思われたが、これもなにかの縁かもしれない。
海沿いの小さな村だった。
警戒はしたが、住民は避難したらしく誰もいない。
教会の入り口には、日本兵の死体がいくつか転がっていた。
略奪をした挙句に、住民に襲撃されて殺されたとわかる死体だった。
薄汚れた教会の中には、やはり薄汚れたキリスト像。
隣接するトタン屋根の牧師の家を物色すると、塩の袋を見つける。
喜んで雑嚢に詰めていると、海のほうから女性の声がする。
見ると、男女が乗るボートが近づいてきていて、女が歌っていた。
何かを取りに戻ったらしい。
田村は家の奥に隠れてたが、フィリピン人女性に見つかり、大きな悲鳴が上がった。
あわてて発砲しただけで殺すつもりはなかったが、まぐれのようにして銃弾は胸に命中。
男のほうは逃げた。
田村も逃げるようにして村を離れる。
初めての殺人に悩んだ田村は、銃を川に投げ入れた。
・・・ この田村が1人で森を歩くときには、アメリカ軍の戦闘機が飛び砲撃音も続いている。
そのわりには、えらく静かに描かれている。
このあとしばらくして、遠藤周作の『沈黙』を読んだのだけど、場面が似ているなと思い出した。
とはいっても『野火』が1954年(昭和29年)の先の発刊で、『沈黙』が1981年(昭和56年)の後の発刊となるけど。
それに、似ているといっても、マネしているというわけでもない。
静かな森の中、孤独にさまよい歩く、迫る死、ちらほら出てくるキリスト、というシチュエーションが重なる。
とにかく『沈黙』を読んだから、また『野火』を2回目に読んでいる。
あのラストの1行は、どういうことなのか。
少しはわかるのかも。
そんな期待の読書となっている。
パロンポン岬への集結命令
田村は小屋に戻ったが、そこには3名の日本兵がいた。
パロンポン岬に集結する命令が出ているとも知る。
そこに来る船に乗り隣のセブ島に退いて体勢を整えると、それをいう古参兵の伍長は頼もしい。
一同に加えてもらうために、村で入手した塩を分配した。
4人は、森の中を歩く日本兵の一団に合流した。
車道を歩くと、アメリカ軍の戦闘機に機銃掃射されるから森の中となる。
田村は、もうすぐ日本軍の飛行隊がくる、そこから落下傘部隊が降下してくる、と思っていた。
ところが伍長は、そんなものは来るわけがないという。
同行していた1人は、すでに分配した塩は伍長に取り上げられていて、一つまみの塩のお礼としてこっそりと教えてくれた。
古参兵は戦場というものを知っている。
伍長も兵舎では優しいが、戦場となると冷たい。
お前も気をつけろ、と。
進むにつれて、その言の意味が見えてきた。
俺が生き延びるようにしてやる、何とかしてやる、と新兵から食料を取り上げる。
衰弱して倒れている者からは荷物や靴を奪う。
奪った銃を田村は渡された。
銃が荷物になると手放す者も多かったが、敗軍の古参兵は決して手放さない。
敵と戦うためではない。
周りの人間を支配するために銃が必要だからだった。
湿地帯の国道を越えてから
見晴らしがいい湿原に着いた。
湿原の手前の木々には、多くの日本兵が身を潜めていた。
大きな沼でもある湿原だったが、パロンポン岬へはここを直進するのが近道となる。
一帯の真ん中には、土手で高められて堤防の造りをした国道が一直線に横切っている。
すでに交通の要所はアメリカ軍におさえられているので、その国道も戦車やトラックが絶えることなく行き来している。
森の中の日本兵の気配を感じるのか。
ときおり威嚇のために「うえぃ」とふざけたように銃撃をしている。
「くそう、ヤツら、太りやがって…」とつぶやく者がいた。
国道を超えた向こうは草原になっているという。
そのまた向こうに見える森の上には、以前に日本軍が名づけた “ 歓喜岬 ” がかすんで見えた。
夜になる。
皆は静かに湿原を渡りはじめた。
真っ暗闇のなかを太ももまで泥につかりながら進むが、誰1人として声を出さないので、どうなっているのかもわからない。
土手の草を掴んで上り、白く浮かぶ国道を身を伏せて渡るときには、蟻のようにうごめく多くの日本兵の姿が見えた。
下ると、やはり草原だった。
再び我々となった集団は草原を進んだが、正面から金属音と金属音がして、いくつものライトがついた。
巨人たちの目のようだった。
誰かが「戦車!」と叫んだ。
アメリカ軍が待ち伏せしていたのだ。
ライトに照らされた草原には、びっしりと日本兵が伏していた。
機銃掃射がはじまり、あちこちから様々な声が上がった。
立ち上がって突撃する者もいたが、秒でやられている。
田村は転がり、土手の側溝に1時間ほど隠れて、国道を超えて湿地も渡る。
銃を捨てた分だけ、行きよりは楽に森に戻れた。
夜が明けると森には砲撃が加えられて、木々は倒れて地面には穴があき、腕や足が飛散して、生き物で動いているのはハエだけになった。
夕日の丘の上で
森の中の残りの日本兵は、大きく迂回してパロンポン岬に向かうために進む。
すでに軍隊ではない。
無力な群れとしか言いようがない。
武器もなく食料もない。
国道を走るアメリカ軍のトラックに投降しようと、褌を白旗にして上げる日本兵もいた。
が、撃たれていた。
再び1人になった田村は、草を生のまま食べ、山ヒルを食べるが、あの塩のおかげで体力が持ったようだ。
このころから、転がっている死体のどれもに尻の肉がなくなっていた。
どうしてなのか、塩も尽きた田村は推測する力を失っていたし、それを食べたいとも思っていた。
生きている人間にもすれ違ったが、お互いに調べるように体を見回す目つきも理解できた。
雨が上がる。
夕日が赤い。
おそらく、その夕日を見るために丘に登った。
丘の上には座り込んでいる将校がいた。
衰弱して気が狂っていた。
帰りたい、戦争をよしてくれ、南無阿弥陀仏、と口走っている。
田村は隣に座り、1日を過ごす。
食べるためには死んだ直後がいいから、動けない人間を探していたのだ。
将校は息絶える直前に、正気に戻ったようにして「腹がすいているのか、かわいそうに、死んだら食べてもいいよ」と言い残した。
まずは、草むらにその体を引きずった。
誰からも見られないように。
服を脱がすと、肉は指ほどのヒルが張り付いていて、血を吸って大きくなっている。
それを指でつまんで食べた。
口にした人間の血には、罪の意識を感じなかった。
ヒルを刃物に変えるだけだ。
やることは同じだ。
本人もいいと言ったのだ。
いくつも言い訳が出てきてから短刀を抜く。
もう1度、誰にも見られてないのを確かめた。
今までそれを躊躇させていたのは、決して理性ある判断ではなくて、誰かに見られているような気がしていたからだった。
肉を切り取ろうとしたとき。
その右手を、左手が押さえた。
どうしても動かないのだ。
外部からの力を感じたのは、そのときがはじめてだった。
松永との再会
その場を離れてから数日後。
河原を歩く田村は衰弱で倒れる。
朦朧としていると「田村じゃないか」と声がする。
松永だった。
あの病院の外で一緒だった。
松永は干し肉を食べさせてくれた。
質問の目には、猿の肉だと言い切ってもいる。
肉はうまかった。
松永は、屋根がある寝場所を森の中に作っているという。
そこにもう1人、これも病院の外から一緒の安田もいるという。
病人同士で助け合っているのではなくて、気弱で孤独に耐えられない若い松永のほうが、言われるがままにコキ使われている立場になる。
干し肉を分けてくれたのは親切ではなくて、そんな安田から離れて、できることなら一緒にアメリカ軍に投降するつもりなのは話しぶりから知れた。
安田は怪我した足を引きずっていたが、今まで松永を従えて生き残らせていたのは、腹に巻いているタバコの葉だった。
食べるものがないときにタバコなんてと思うが、多くの兵士が、最後の1本の芋はタバコと交換することを古参兵の安田は知っていた。
森の中の寝場所に連れられていく。
食料を管理する安田は、思いきり迷惑そうな顔をした。
もっと猿を狩るのに人手が必要だと松永は話して、田村の同居と食料の分配は許されて、数日後には体力は回復した。
その日。
干し肉が少なくなってきたと安田は言い、猿を狩りに松永は出かけた。
まだ早いと安田は止めたが、田村は手伝うと追いかけた。
途中で銃声がした。
木の陰には、河原に銃口を向けている松永がいた。
もう1発の銃声。
弾が外れて逃げていくのは、ヨレヨレの日本兵だった。
そうだろうな、と田村は驚かない。
猿など見たことがなかったのだ。
河原の一角には、人間の肢体が散乱しているのも目にした。
食用に向いている部分だけが切り落とされて、残りが捨てられて腐っていた。
あれは猿なんだ、お前も食べたじゃないか、と弁明する松永には変化がおきた。
気弱だったのが一転して、安田に言いくるめられた、あの野郎は許せないと憤っている。
あいつを殺して食料を奪って、一緒にアメリカ軍の基地に向かおうとまくしたてる。
その勢いのまま森の中に戻ってからは、安田は撃たれた。
すぐに手足は切り落とされたが、怖ろしいのは、こうなると予想していたことだった。
まだあたたかい桜色の肉塊に、田村は吐いた。
それからの田村の行動は、自らの意思ではない。
外部から勝手に動かされた。
怒りがあることも、吐くことも出来るならば、もう人間ではない。
天使だ。
神の怒りを代行しなければならない。
田村は銃を奪い、松永に向けた。
ここで記憶が途切れる。
手記は書かれた
私はそれを、東京の郊外にある精神病院の一室で書いた。
6年が経っている。
どういう経緯なのか?
松永は撃ったらしい。
そこから記憶がないまま、1人でフィリピン人ゲリラに捕えられているからだ。
アメリカ軍の野戦病院で気がついたときには、捕えられたときに後頭部を殴打されたから記憶喪失になった、と説明された。
捕虜の病院では、拒食になったり、肉にお礼をいったり、右手を左手が押さえたりという奇行が目立つ。
終戦の翌年に帰国してからは妻と再会したが、奇行は続いて、1年前に精神病院に連れてこられた。
病室からは森の緑が見える。
ルソン島の丘にも似ていた。
家も売り離婚もしたが、もっと早くここにくればよかったとも思う。
誰にも話してないルソンでの出来事を書いたのは、医者の勧めだった。
書いた文から精神の状態がわかるという。
それを読んだ若い医者は、まるで小説みたいだと評した。
また “ メシアコンプレックス ” だと診断した。
罪悪感のあまりに、キリストを思い浮かべるのだという。
私は反感がありながらも、神の怒りの代行というのも、そのときは思ってもなかったが書いているうちにそうなったと答えた。
・・・ この小題は『狂人日記』となっており、ここからラストまでは、ああだのこうだのネチネチとよくわからない。
小題からいって、わからなくていいのかもしれない。
いや、1度目はそういう感想だったけど、2回目に読んでみると、うっすらと「そういうものなのかな…」とは思う。
続くラストの小題の『再び野火に』も意味が見出せない部分も多いけど、何度も読み直してみて、おおよそ下記のあらすじが書けた。
これが書けだけでも、2回目に読んでよかった。
ラスト
医者と話したのが刺激となって推測に繋がった。
人食い人種の松永を撃った森の中は、フィリピン人ゲリラは来ない山となる。
捕まった場所までは離れている。
とすると、私からその場所に向かったのだ。
なんのため?
松永を撃ってからの私は、おそらく野火を目にした。
野火の下には人がいる。
銃を手放さなかった私は、愚かな人間どもに、なお神の怒りの代行をしようとしていたのではないか。
それらを推測をしているうちに、耳の底には、あるいは心の底には、太鼓の連続音に似た低音を聞くように思った。
太鼓の連続音は、夕食のときも続く。
ベッドに入ってからも連続音は続いて、ついに記憶がない期間を映像として思い出すことができた。
野火は、盛り上がる穀物の殻を焼いていた。
炎も映像として覚えている。
そしてやはり、野火の下には人がいた。
逃げる人たちに銃を撃ったが当たらない。
今度は、彼らは素早く近づいてくるので、再び銃を構えている。
この直後に、後頭部に打撃を感じている。
思い出した。
地面に倒れてからの意識の中に、私が殺した人、フィリピン人の女性と、安田と松永が近づいてきた。
笑っていた。
恐ろしい死者の笑いであった。
死者が笑っていたのは、私が食べなかったからである。
殺しはしたけど、自分の意思で食べなかった。
でも、引っかかる。
太鼓の連続音だ。
なぜ、銃を持ち、あの連続音に似た不安と恐怖に充たされながら野火に向かったのか。
愚かな人間どもへの神の怒りの代行であれば、充たされかたがそうではないはず。
もしかすると。
私は、人間どもを懲しめるつもりでいながら、実は彼らが食べたかったのかもしれなかった。
・・・ ラストの8行は、どう読解しても、形だけの仏教徒の自分には浅くなると思うので抜粋にする。
ラスト8行の抜粋
もし私が私の傲慢によって、罪に堕ちようとした丁度その時、あの不明の襲撃者によって、私の後頭部が打たれたのであるならば…
もし神が私を愛したため、予めその打撃を用意し給うたならば…
もし打ったのが、あの夕陽の見える丘で、飢えた私に自分の肉を薦めた巨人であるならば…
もし、彼がキリストの変身であるならば…
もし彼が真に、私1人のために、この比島の山野まで遣わされたのであるならば…
神に栄えあれ。