瀬戸内晴美「女の海」読書感想文
瀬戸内晴美を読まなければ。
のちの瀬戸内寂聴の『いのち』を読み終えて思った。
それを著す95歳の瀬戸内寂聴は、体の不調で書くこともできなくなりつつある。
ラストには自嘲する。
今まで400冊以上書いたがベストセラーがない。
もう片目が見えなくなっているし、ペンを持つ指も曲がっている。
それでも断筆することなく未練がましく書いていると、3ページほどとりとめもない。
が、最後の一文だけは力強い。
あの世から生まれ変わっても、私はまた小説家でありたい。それも女の。
ここを読むまで、女性作家が好きではなかった。
しかし、瀬戸内寂聴から女性作家を読み進めてみようとエネルギーをもらった。
2冊目の『蜜と毒』
次に手にしたのは『蜜と毒』。
1973年(昭和48年)に週刊誌に連載された小説。
51歳の瀬戸内晴美は書きはじめた。
この『蜜と毒』は、平たくいえば、男女のすったんだが描かれる。
28歳の若い未亡人が18歳の男と交際する。
彼女はなにかと世話をやいて可愛いがり、男のほうとしても初めての相手なので、10年経っても関係は続いている。
しかし10年も経つと男は社会人の大人となる。
同年代の女性とも交際が不意にはじまる。
だからといって、男としては、年上の彼女とは別れるつもりはない。
付き合っていて心地いい。
男はどうしようと悩むばかりだったが、子供ができたと打ち明けられた年上の彼女は、楽しかったままでの別れを言ってきかせる。
が、彼女は直後にあっさりとガス自殺をする。
というあらすじ。
この『蜜と毒』の連載中に得度。
法名が “ 瀬戸内寂聴 ” となる。
巻末の年譜をみると、これ以降は、仏だのブッダだの説法だのといった、それ系の著作も増えている。
次に読んだのが、15年ほど遡った著作の『女の海』となる。
3冊目の『女の海』
この本も官本室にあった。
1959年(昭和34年)から1年ほど新聞に連載された小説。
36歳の瀬戸内晴美の初めての長編とある。
長編メロドラマというのか。
多くの男女が出会っていくが、展開が出来すぎていて、最初に読んだときには陳腐に感じてしまった。
題名には “ 海 ” とあるが、実際の海は登場しない。
女がウヨウヨと漂うイメージはある。
というか、熟女がいっぱい登場する。
ふざけているわけではないが『熟女の海』と改題してもいい。
結婚率が99%のこの時代に、家庭を持たずに仕事する女性と、その性愛が描かれている。
性愛といっても過激さは投入されてない。
ハッとするような一文もない。
記憶に残る文言もないまま。
登場人物には特定のモデルはいないと巻末の解説にはあったけど、自分は36歳の瀬戸内を重ねあわせて読んだ。
おもしろさは、そこにあったのかもしれない。
あと、瀬戸内と敬称略になっているのは失礼きまわりない。
それは自覚している。
しかし、1人の人間としての彼女を見れているような読書にもなっているから、そのほうが気持ちがしっくりくる。
だから、以降も失礼ながらも敬称略の瀬戸内とする。
それはそれとして、これよりも10年前。
26歳の瀬戸内は、夫と子供を捨てて家を出ている。
児童向けの文筆業で生活の糧を得て、8年かかって小説の新人賞をとる。
が、受賞後の1作目として書いた『花芯』は酷評だった。
それから5年間、文芸雑誌からの依頼がなくなったとも解説には書かれている。
瀬戸内は、この酷評が相当に悔しいらしい。
「子宮作家」「エロに媚びた」「ただのポルノ」とさんざんだったと、後年の各書でぶちまけている。
となると次に読むのは問題作の『花芯』だ。
すでに “ 読書ノート ” に記入してある題名を丸で囲った。
瀬戸内初期3部作に注目
読書には出会いがある。
巻末の解説では、瀬戸内は何人の女性作家を出会わせた。
熱く称えながら。
1950年(昭和25年)に女性参政権が布かれて、女性は解放されて自由に目覚めた。
が、それまでどれほどの青踏の女性が闘ってきたことか、血を流してきたことかとひたむきだ。
福田英子、菅野須賀子、平塚らいてう。
伊藤野枝、田村俊子。
山田美妙、黒岩涙香、木村曙。
“ 平塚らいてう ” の名前しか知らない。
教科書にあって変わった名前だから覚えた、という不真面目だった態度に軽い反省がある。
“ 田村俊子 ” は出会いだ。
瀬戸内は、この『女の海』を書きはじめた同月に『田村俊子』も書きはじめて1冊の本にしている。
となると以下は、瀬戸内初期3部作といってもいいのでは。
『花芯』- 1958年(昭和33年)発刊
『女の海』- 1959年(昭和34年)連載
『田村俊子』- 1960年(昭和35年)連載
初期作品が好きな自分は外せない。
これも読書ノートに記入して覚えた。
ヘンリック・イプセンも知る
それから、イプセンも『人形の家』も、その主人公の “ ノラ ” も出会いだ。
1892年に発表された戯曲とのこと。
“ ノラ ” は、人形みたいな妻から自我に目覚めて、夫を捨てて家を飛び出すという話らしい。
解説での瀬戸内は、少女のころから “ ノラ ” に注目していたと明かす。
“ ノラ ” が家を飛び出したところで『人形の家』は終わるが、その後の物語をひそかに書いたともある。
この『女の海』では、この “ ノラ ” が引き合いに出される。戦後は、多くの “ ノラ ” な女たちが誕生した。
家庭と夫を捨て、収入を得て、自由恋愛を標榜する。
細かなことはともかく、1人の作家と1冊と “ ノラ ” を読書ノートに記入。
まあでも、戯曲ってよくわからないから読むのは後回しか。
あともう1冊の再会がある。
本文中の登場人物のセリフからは『ロリータ』がベストセラーになっているとあった。
これは読売新聞の『名著100』で紹介されていた。
当時は欧米では発禁となったが、今では古典となっているという。
これも、すでに読書ノートにある題名を丸で囲った。
昭和の猥褻の基準を知る
1958年(昭和33年)に『花芯』は発表され酷評。
1959年(昭和34年)に『ロリータ』の日本語版が出版され賛否両論に。
この流れはもしや。
アレではないのか。
気になって、読書ノートをめくって “ 伊藤整 ” を探してみる。
やはりそうだ。
1957年(昭和32年)に『チャタレー裁判』が結審している。
伊藤整が翻訳して出版された『チャタレー夫人の恋人』が、猥褻文書頒布容疑で警察に摘発された事件だ。
これには有罪判決が下されている。
どれだけ『チャタレー夫人の恋人』は過激なんだと読書ノートに題名を記入したのを覚えている。
すると、五木寛之は、性描写ではなくて視点が騒がれたと書いている。
読書界の雄・立花隆は、いうほど性描写は過激ではないと書いている。
この時代は、夫人の性を発表すること自体が罪となった、となにかで読んだ記憶もある。
瀬戸内は早すぎたんだ。
そんな時勢に『花芯』を発表しているのだから。
この『女の海』だって、今になって読むと陳腐なメロドラマかもしれないが、当時はけしからんと非難される内容だったと認められた。
なぜ読書だったのか?
以下は、かの施設を出てからの追記になる。
もう平和に生活しているころ。
2021年(令和3年)11月9日。
瀬戸内は99歳で死去した。
その訃報で気になって、いや、気になるよりも強い。
読書感想文にした作者を生年順に並べてみた。
するとやはりだ。
驚くことに、瀬戸内が一群の筆頭になっている。
1922年生(大正11年)- 瀬戸内晴美
1923年生(大正12年)- 司馬遼太郎、遠藤周作、大山倍達、池波正太郎、
1924年生(大正13年)- 山崎豊子、陳舜臣
1925年生(大正14年)- 三島由紀夫
この世代の作者の読書感想文がかなり多い。
出版が盛況で発刊数があるという背景もあるだろうけど、この世代に共通しているなにかがある。
続く昭和1桁の作者の読書感想文も目立つ。
1927年生(昭和 2年)- 吉村昭
1928年生(昭和 3年)- 田辺聖子
1930年生(昭和 5年)- 開高健、西村京太郎
1931年生(昭和 6年)- 有吉佐和子、清水一行
1932年生(昭和 7年)- 五木寛之
1934年生(昭和 9年)- 内田康夫、筒井康隆
1935年生(昭和10年)- 阿刀田高
こうしてみると、瀬戸内はいかに存在感があるのか。
ひとつの時代が閉じられた気もする。
ベストセラーはない、流行作家になれなかった、などと自身で嘆いていたけど、令和の99歳まで生きて400冊余りを書いたのは偉業だ。
ともかく、偶然ではない。
瀬戸内前と瀬戸内後では、エネルギーのベクトルが異なるのは感じる。
ひとついえるのは、この世代には共通している体験がある。
彼ら彼女らは、大人になる前に、信じていた全てを否定される体験をしている。
終戦で、それまでが崩壊して、全てが否定された。
その経験がエネルギーに転じて、擦れて熱が発されて、大人になっても頭の中に「?」があって書いている。
瀬戸内は、子供を捨てた女性を晒した。
遼太郎も周作も正太郎も歴史の人物を見直した。
倍達は、武器を持たずに戦う方法を模索した。
舜臣は、ルーツを探った。
山崎は、組織の病理を追った。
由紀夫などは、青年犯罪者も不倫する人妻の内心も描写して今までの道徳を冷笑した。
昭は騒動に迫ったし、田辺は自立した女性に焦点を当てて、健はよその国の戦地にいってルポして、一行は経済犯を暴いたし、寛之は国を離れた人物を想った。
有吉は、まだよくわからない。
京太郎や康夫と康隆はたまたま読んだけど、高あたりは世代は下になるけど、彼らだって瀬戸内サイドだろう。
今になると、すっかりと忘れているようだけど、彼ら彼女らに共感しながらの、あの4年の檻の中での読書だった。
この世代から放たれている、得体のしれないエネルギーに共感していた。
全てを否定されながらの生活をして、だからそうなんだ、そうではないと繰り返して。
コンクリートの壁を見ながらの、忘れたほうがいい、覚えてなければと繰り返して。
鉄格子の窓を目にして、いったい何をしたかったのか、いったい何者なのかとも繰り返して。
答えなど全くわからない。
けど、小さな衝動が心のどこかを叩く。
それこそが生命力だと信じれていたのを、瀬戸内が、いえ、瀬戸内寂聴さんが思い出させてくれた。
ネタバレあらすじ
■ 桜川弓子 ■
桜川弓子は銀座の出版社に勤めている。
週刊誌「女性レディ」編集次長。
40代前半だが10歳は若く見える弓子だった。
美容室にいったばかりの髪の匂いを撒きながら、ヒールの音を鳴らしながら、みゆき通りを歩いて会場へ向かう。
次の号の特集となる座談会を開催するのだった。
参加者は、人気小説家、テレビ司会者、デザイナー、雑誌編集長といった面々。
いずれの女性も、夫も家庭も捨てて、仕事をして、自由恋愛を隠さない生き方をしている。
座談会のタイトルは『ノラのいい分』。
ノラとはイプセンの『人形の家』の主人公からきている。
弓子もノラだった。
不倫相手の男と暮すため、夫と3人の子供を捨てて家を出たのだった。
10年ほど経つ今でも、男を「アイフ」と呼んでノロけてもいる。
仕事を終えた弓子は、西荻窪の自宅に帰ると、さっそく男を「パパ」と呼んで甘える。
その男は50代前半の文筆家。
自宅で仕事をしており、弓子の身の回りのすべてをする。
食事の用意はされていて、廊下には弓子の派手な下着が洗濯されて干されていた。
■ 伊能真由子 ■
高校3年生の真由子は今日も家事をする。
家電がないこの時代に、早朝から家事の一切を担っていた。
家に残された弓子の娘だ。
父親は海外赴任をしている。
「女が理屈を覚えると、あの母親のようになる」と進学を認めない。
祖母は「躾をしないと、あの女のようになる」と厳しい。
機嫌がわるいと「あの畜生の子供」と容赦がない。
それでも真由子は、非難の矛先が2人の弟に向かないように明るく振舞う。
上の弟は勉強ができるからいいが、下の弟は気がかりだった。
不良をきどって外を出歩くようになっている。
ある日。
友達が交通事故に遭って入院したときだった。
見舞いのために訪れた病院で見かけた弓子が、すぐに母親だと気がつく。
小学校のとき以来の再会だった。
探るようにして西荻窪の自宅を知る。
そこに文具の押し売りを装って訪れもした。
玄関まで対応に出てきた男とは「ノートを買ってください」と何気ない会話が持たれたが、エゴイストだと言い放って立ち去りもした。
変わった女の子だと男は首をかしげるが、もしかしたら弓子の娘ではないのかとも思う。
心の中では、男女の恋愛を笑っている真由子だった。
男に好意を持つこともあるが、そんな自身がくやしく許せない。
男に頼らない将来設計を描いていた。
■ 大倉三樹 ■
大倉三樹はベンツを飛ばす。
座談会にも参加していた人気女性小説家だ。
作品よりも、スキャンダラスな男性遍歴で話題を振りまいている。
助手席には、ボーリング場で知り合った男子中学生が同乗していた。
美形な少年だった。
箱根のホテルについてからは、少年はせがんでオッパイに吸いついてくる。
「ママのオッパイとおなじだ」とつぶやく少年を抱く三樹には、気持ちよさよりも満足感があった。
少年は慎二という。
偶然ではあるが、弓子の末の息子だった。
そのころ。
憔悴した弓子は帰宅した。
入院をしていた男が、癌で余命2ヶ月と宣告されたのだった。
その目の前に「伊能真由子です」と彼女が現れたのは突然だった。
弓子はどうしたらいいのかわからない。
家に上げてからは、他人行儀の会話がある。
少しだけ慣れてきたころに「あなたを許したわけじゃない。うぬぼれないで」といわれてショックで言葉がでない。
真由子が訪れたのは、家出した弟から手紙がきたから。
心配しないでと書いてあるが、小説家から小遣いをもらって愛人まがいをしているともある。
祖父母に知られる前になんとかしたい。
が、頼れる人もいない。
あなたは、その小説家とは見知った仲だろうから、家に連れ戻してほしいという。
三樹はホテル暮らしをしている。
あちこちに連絡をとりやっとつかまった。
対決する姿勢の弓子に、それと知った三樹は一瞬だけは動揺を見せた。
が、あの子がそうなったのは捨てたあなたのせいと核心を突いてくる。
あの子の夢を満たしてあげたと、三樹は薄笑いを浮かべる。
弓子は叫ぶこともできずに硬直してしまう。
蒼ざめて唇の色も失くした。
■ 母娘の生活がはじまった ■
西荻窪の家には、真由子が転がりこむようにしてやってきた。
弟が帰ってこないなら、男が入院しているのならという理由で、荷物を持って家を出てきたのだ。
真由子は、まだ気心が知れてない仲だからと、預かった生活費の家計簿を見せてくる。
あなたに恩を感じたくないから、と家事を引き受ける。
恋愛について冗談を話したと思ったら、目には嫌悪が込められており、本気の嫌味である。
真由子のなかの怪物をみた気がして、弓子は言葉が見つからなく、気持ちが重くのしかかるようにうなだれる。
2人の生活が2ヶ月ほど経ったころ。
男は死去。
慎二の死もすぐにやってきた。
三樹が自動車事故を起こしたのだ。
同乗していた慎二は即死した。
かけつけた病院には次男がいた。
身長は弓子よりも高くなっていて、声変わりもして、元夫の若いころとそっくりになっていた。
「あなたには責任がない、だから帰ってほしい」と冷たく告げられて弓子は涙ぐむ。
三樹は片足を失う重傷を負い、退院してからは療養生活をはじめたが、ガス漏れで死亡。
偶然にガスホースが外れた事故かもしれないが、誰もが自殺を疑わなかった。
ラスト10ページ
不幸は続いたが、急激にキレイになった真由子だった。
弓子の周りの多くの大人に触れて、急に大人びてもきた。
婚約もした。
相手は弓子も知っているカメラマンである。
後ろから抱きついてきた真由子はいう。
ママの時代は大騒ぎして、苦しんで傷つけて、一皮むけばデリケートな神経の女が残っただけ。
わたしたちはちがう。
はじめから壁などないし、欲しいものは遠慮せずに突進してつかみとる。
ママたちが苦しんできたのは無駄ではなかったのよ。
安心して、もっと自由に幸せになってちょうだい。
もう弓子は、すすり泣いている。
そんなにも簡単に許してはいけない。
一方的に不幸を押しつけて、暴力にも等しい恐ろしいことをしてしまったが、これまで、いい分ばかり考えていた。
それでも今、分身が罪を清めてくれようとしている。
女として生まれたありがたみに震えていた。
解説にて
巻末の解説は、20年後の瀬戸内によって書かれている。
読み返してみると、力みも稚拙さもあるが、原点をことごとく内包しているとある。
『花芯』で評価を下げた瀬戸内は、多くの仕事を失う。
もう誰にもわかってもらえなくてもいいという覚悟で、生活の糧として降ってわいてきた連載を引き受けた。
引き受けたとたんに、この長編の主題が浮かんでいた。
いくら書いても書いても解決が与えられない命題のようにも思われてならない。
世界中のノラたちは、いったいどこへ行ったのか。
世界中のノラたちは、家に残してきた子供と、どうやってめぐりあえたのか。
残された子供たちは、子供より自分自身を愛した母を果たして許すのだろうか。
たとえ傷ついて行き倒れても、自分の心や生活をごまかすことが出来ずに、真実に生きようと荊の道を選びとったノラたちを応援したいと、いつまでも熱い。