第四章-1項 誹謗中傷を交わす「ゼロ・ストローク」

(拙著の宣伝です:笑)

何も言わない・何も書かない・何も動かさない

プラスのストロークvsプラス思考は、関連すれども非なるものであることに何度か触れました。

プラスのスロトークは言動のこと。

「言う」「書く」「動く」の三つのリリース(解き放つこと)です。一方のプラス思考は「こう考えてみよう」という思考術。

たとえば、腹が痛くて七転八倒しているとき、あなたはプラス思考できますか?私にはムリ。
ただただ「痛ぇ、痛ぇ」と、もがき苦しむだけ。

弱虫と言われようが、軟弱と言われようが、痛いものは痛いの。

そんな過酷な状態にあるとき、「プラス思考で考えよう」なんて言われようなものなら「考えられるかぁ!」と反発しますし、

「元気を出せ」と言われたって「出せるかぁ!」と思う。「こっちの身になって考えてみぃ」と。

病に苦しむ人は、そうして宗教へ行き着くようけです。

宗教には神がいますから、「神さま!助けて」と念じれば、助けてくれるような気がして、少しは穏やかになれる。


「いわしの頭も信心から」とか「病は気から」とはよく言ったもので、祈って気が楽になると、痛みが弱まるように感じる。

効くと信じれば効くプラシーボ(偽薬)効果です。

私のような無宗教は、「神さま!助けて」と神にすがらず、「お医者さん、なんとかして」と病院へ行く。

どちらにしても他力本願に違いありません。

他力本願ということは、「痛い」と言うことによって、誰かへ助けを求めるということ。

本能が「自力じゃ治せない」と判断し、第三者へSOSを送るサインです。これは身体的な痛みへの対応。

もう一つ、痛いと言ってストレスを発散する目的もあります。個人差はあるかも知れませんが、
わざと「痛い痛い」と言って、痛みに対するストレスを発散することで、楽になることがあります。

これは、精神的な痛みへの対応。おまじないにもありますよね?「痛いの痛いの飛んで行け~」

つまり、プラス思考だろうと、陽転思考だろうと、苦痛を理屈や理性で制御できるもんじゃありません。


それは、競技の練習も同じ。つらい鍛錬はつらいし、苦しい稽古は苦しい。

裸足で雪の上を走るのは、正直いって死ぬほど冷たい。真夏に全力疾走を繰り返すのは、お世辞にも楽しいとはいえません。

ただし、病気と違って、訓練は精神をも鍛える目的がありますので、「つらい」とか「苦しい」と弱音を吐いてはならない。

とはいえ、猛練習中は、とてもプラスに考えられる状況じゃない。やったことのある人なら分ると思います。正直、苦しい。

どのみち苦しいのなら、苦しいとは言わない。
何も言わない。何もストロークしない。

それがゼロ・ストローク(ZeroStroke)です。

攻撃と防衛のゼロ・ストローク

ゼロ・ストロークは、攻撃と防衛の2つに分かれます。

無視にしても、攻撃的な無視(いじめ)と、自衛的な無視(聞き流し)があるようなもの。

攻撃的ゼロ・ストロークは、存在を認めないこと。

仲間はずれにして無視するいじめや、村八分のような私的制裁などが攻撃的ゼロ・ストロークです。

(村八分:冠・婚・葬・病・法要・建築・火災・水害・旅・出産の十の生活イベントのうち、火災と葬送の二つを除いて、村人全員から絶交される風習)

一方、防衛的ゼロ・ストロークは、マイナスのストロークを封じる自衛です。

ヘコたれそうな自分へ対して「どうせダメだ」などというマイナスのストロークを封じ、
攻撃したくなる相手へ対して「死んじめえ」といったマイナスのストロークを封じます。

マイナスのストロークを封じる自衛というと、プラス思考や陽転思考が真っ先に挙げられます。

たとえば、タバコが値上がりしたら、
「値上げに腹を立てず、この機会に禁煙しようという具合に、自分の体に良いようにプラス思考しましょう」
というようなもの。


確かに一理あるようで、プラスに考えるだけなら誰でも考えられます。が、やるとなると、これがなかなか禁煙できない。

その証拠に、大阪府立健康科学センターの調査による禁煙成功率は25%。逆説すると75%が禁煙できなかった。

人の意思は脆いもので、決めたら断行できるかというと、そうでもない。だから、自分と周囲の両方向からの叱咤激励が要るわけです。

プロ選手にはトレーナーが付いているし、芸能人にはマネージャーが付いている。

だからこそ、「禁煙しているオレって、大したもんだ」と自分を褒めたり、「禁煙しているなんてスゴイねえ」と褒められるプラスのストローク(言動)が要ります。

これが、考えるだけのプラス思考との違い。口に出して言うか言わないかが重要です。

また、マイナスのストロークを浴びた瞬間、とっさにプラス思考できるかというと、これまた難しい。

不意に罵声を浴びせられた時、思わずカッとなったり、つい暴言で応えてしまう。そうして喧嘩が始まります。


そこで、ゼロ・ストローク。マイナスのストロークを放つくらいなら、黙して語らず。

無視しましょう。

自分を虐(しいた)げたり、人と罵(ののし)りあったって、何の得もありません。

損ですよ。

損だから、金持ち喧嘩せず。時と場合によっては「沈黙は金」です。

沈黙という金を手に入れるには、何も言わない・何も書かない・何も動かさないゼロ・ストロークで、黙しているだけで良いのです。

黙っていたら会話にならないため、コミュニケーションは成立しません。そこで終わってしまう。

誹謗中傷や喧嘩の元は、とっとと無視して、息の根をとめてしまいましょう。微笑みながら。

カッとなった時に落ち着く方法

攻撃をかわすには、無視するのが一番。これが防衛のゼロ・ストロークです。

しかし、どうにも腹の虫が収まらない時がある。そんな時は、逃げることです。

逃げるのは、負けることとイコールではありませんよ?

日々の暮らしはスポーツじゃないんだから、勝ち負けにこだわる必要はない。スタコラサッサと逃げたって構わないんですよ。

昔から「短気は損気」といわれているように、カッと怒ったとき、怒りに身を任せてしまうと損します。

だから、カッとしそうになった時には逃げるのです。

逃げる余裕を失えば、鼠だって猫を咬みます。
史記に記されている「背水の陣」も然り。

逃げられない状況は、ものすごいストレスがかかる。強いストレスに襲われると、人は癇癪を起こしてしまう。

ほら、あなたの周りに「逃げるのは、負けも同じ」と信じて、ストレスに晒され、いつも癇癪を起こしている人が、一人くらいいませんか?

その人は経済的、あるいは精神的に裕福ではないはず。そういう人のことを昔から癇癪貧乏というんです。


「敵に背中を見せるのは卑怯」と言われた武士の中にも、形勢不利になると戦わずに逃げ、逃げに逃げて遂に生き延び、明治の元勲に名を連ねた高官がいます。桂小五郎。のちの木戸孝允です。

「逃げるが勝ち」とは、大局を見ることのできる賢者ならではの戦い方。あなたが賢者なら、カッとなったとき、その場から逃げること。逃げるとは、その場を離れて、

  • ・美しいもの(写真や花や絵画や彫刻)を見たり

  • ・好意を寄せる異性のことを考えたり

  • ・別の景色を見たり

  • ・外へ出て太陽光にふれたり

  • ・好きな音楽を聴いたり

  • ・愉快な話を聞いたり

  • ・楽しい映像を観たり

  • ・鼻歌を歌うこと。

つまりは、頭に来たことを一旦は忘れ、考えない。つまらないことを深く考えたって、どうせロクな結果にならない。

とにかく「今、自分はカッとなった」と自覚し、別の場所に身を置いてみることです。

ちかごろの健康ブームで、セロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンといった脳内の神経伝達物質の働きが、テレビや雑誌などで分りやすく紹介されるようになり、興奮したときの落ち着き方なども、広く知られるようになりました。


そうした、平常心を取り戻す方法に共通しているのは、酸素を取り入れること。

  • 深呼吸などの有酸素運動です。その他にも、

  • ・ガムを噛んであごを動かす

  • ・軽い運動で血行を良くする

  • ・感動するもの(映画やドラマ)を観て泣く。

  • など、色々あるようです。そうした怒りの鎮め方を参考になさってみるのも良いでしょう。

怒っているときに限って、悪いのは相手で、自分は悪くないと自己中心的に考えがちです。

しかし本当は、相手が怒るもの無理のない話かも知れません。あなたはカッとしても、他の人から見れば、じつは、怒るのもバカバカしい話かも知れない。ものの見方は十人十色。

だから、一旦は逃げて、別の視点に立ってみましょう。

心の動きを意識というならば、あなたの意識ひとつで、視点が変わります。

顔で笑って完全分離

あなたの言動へ対し、マイナスのストロークを放つ人は必ず現れます。

年齢性別は関係ありません。推奨家なる職業は無いけれども、批評家なる職業は昔からある。

ロックスターのマイケル・ジャクソンも、次のように言っています。
「どんなに善意でやったことでも、どこかに必ず悪口を言う人がいる」(TV番組Living with Michael Jackson~「マイケル・ジャクソンの真実」より)

どんな偉業を成し遂げようとも、100人が100人、プラスのストロークで称えてはくれません。

マイナスのストロークで引き摺(ず)り下ろそうとする輩が必ずいる。少なくとも、一人はいる。

あなたが何か事を起こそうとするとき、反対する人は必ず現れます。

あなたの行く末を心配する慎重派もいれば、

あなたの成功を阻止しようとする嫉妬派もいれば、

安全な場所にいて非難するだけの批評家もいれば、

自分では何もしないのに口だけ出したがる臆病者もいます。


あなたが望まなくとも、抵抗勢力は必ず現れます。ゾンビのように、倒しても倒しても、次から次へと現れます。

そんなマイナスのストローカーと戦って、道を切り開かねばならないこともあります。

が、いつもいつも正々堂々と真正面から戦ってばかりいては、あなたが傷つくだけです。

いつかは疲れ果て、敵の前に斃れてしまうでしょう。「どんなに戦っても、どうせダメなんだ」と無気力に陥ってしまう。こいつぁ危険です。

それなら、最初から敵を作らなければいい。敵がいなければ、あなたは無敵。戦う必要がありません。

もちろん、傷つきません。それには、敢えて笑顔で接し、笑顔で別れて、二度と接しない。それが、顔で笑って完全分離するゼロ・ストロークです。

笑顔で別れると、どんなにイヤミなマイナスのストローカーであっても、あなたを敵とみなしません。

もしかしたら、また接近してくるかも知れない。そうしたら、何やかんやと理由をつけて、遭遇しなければ良いだけの話です。会わなければ良いのです。

会わなければ、いずれ縁は切れます。

もし、先方がどうしても再会したいと謙(へりくだ)るなら、「10分くらいなら」とか「何か色よい話なら」と、あなたの有利な方向へ話を持って行けばよい。


また、何の論拠も無く、ただ「気にいらない」「面白くない」と攻撃してくる人も同じ。

いちいち付き合っていたら時間の無駄ですし、マイナスのストロークを恐れていたら、何も出来なくなってしまう。

そうしたマイナスのストローカーに有効なのが、顔で笑って完全分離。ゼロ・ストロークです。

マイナスのストローカーが近づいてきたら、ゼロ・ストロークで避けましょう。付き合ったって、イヤな思いをするだけですからね。

そりゃあ、付き合いたくない人と付き合わなければならない場合もあります。
それが顧客企業や上司だったりすると、嫌でも付き合わなければならない。

しかし、よくよく考えてみれば、企業としての顧客と付き合っているのですから、担当者とウマが合わないからといって嘆くことはない。いずれ、担当者が換わるかも知れない。

上司も然り。
もしかして、異動になるかも知れない。辞めるかも知れない。

それまでは、顔で笑っておけば良いのです。我慢ではありませんよ?顔で笑って完全分離です。

で、別れるときに「ハイ、さいなら~。二度と会いませんように」と、腹の中で笑っておけば良い。


あなたが幸せになるには、マイナスのストロークを封じ、プラスのストロークを放つことです。

が、打ちたくない場合もあるでしょう。

そんな時は、黙っていればよいのです。

にこやかに微笑みながら、ゼロ・ストロークで。

あなたが乗っているトロッコ

単線一本の鉄道があるとしましょう。線路は、目に見えない角度で、ゆる~く傾斜している.。
一見すると平坦ですが、プラス駅へは登りになっていて、マイナス駅へは下り坂になっている。

あなたが乗っているトロッコには、エンジンが付いていません。
黙っていれば、ゆるゆると下り始めます。
下っている最中にマイナスのストロークを唱えると、落下速度は加速します。

それを止めるブレーキがゼロ・ストロークです。

下って行きそうだと感じたら、ゼロ・ストロークでトロッコを止めて下さい。

そして、プラスのストロークを唱えましょう。プラスのストロークを唱えると、あなたを乗せたトロッコは、ゆっくりと登りはじめます。

プラスのストロークが途絶えると、トロッコは減速し、またまたマイナス駅へと下り始める。

だから、ゼロ・ストロークで止めたあとは、プラスのストロークを絶やしてはなりません。

まるで、機関車へ石炭を放り込むように、どんどんプラスのストロークを送り続けましょう。

それがあなたをプラス駅へ到着させる方法です。

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