選択戦略事始
選択戦略の始まり
選択戦略について連続でお届けしてきたが、それは大学で学ぶマーケティングではないし、権威が唱えたマーケティングでもない。
だから「アテにできない」と思う人がいるかも知れないし、反対に、経験則で実証済みだけに「これぞ真なり」と思う人がいるかもしれない。
いずれにしても、「売り込もうとせず、選んでもらえるようにすれば、売り臭が消え、肩に余計な力が入らなくなり、自然体で営業できる」と感じている人がいれば、我が意を得たり。
少なくとも、営業職が決して捨ててはならない「自信」を捨てずに済むはずだ。
では、どういう経緯で選択戦略が生まれたのか、その端を紐解いてみよう。
あるクライアントの言葉をきっかけに「消費者は、成熟社会を迎え、選択者になった」との選択戦略が芽吹いた。
そのクライアントは、あなたも知っているメーカーで、かなりの予算を販促に費やしていた。
もちろん、そのメーカーの全ての販促を当社が請け負っていたわけではない。一つの事業に関してのみである。
あまり具体的な事は書けないが、電○や博○堂もセールスにきていたといえばどれくらいの規模なのか、おぼろげながらも推察できると思う。
そこで、ある日、担当者に訊いてみた。
「どうして、電博さんへ発注しないんですか?ウチみたいな零細企業じゃなく」
その答えを聞いてハッとした。
顧客の本音
「彼らは『これが御社に最適なプランでございます』って、一案だけ、立派な企画書を持ってくるんだよ。
だいたい『これが御社に最適な』って、大きなお世話なんだよ。それを決めるのは、当社なんだよね。
だから『いろいろな案を持って来て』って言ってんのに、『最も自信の持てる案を提案させて頂きます』とか『アイディアフラッシュ料がかかります』とか面倒なコト言うんだよ。キレイな企画書じゃないと、受注できないとでも思っているみたいだ。
そこへ行くと御社は、こうした場でチョチョイとアイディアフラッシュを出すでしょ?
それを、紙とボールペンで、ササッとフリーハンドで、企画書の下書きにして見せるでしょ?
それでいいんだよ。企画書なんか、キレイじゃなくても、走り書きで充分なんだよ。社内で検討するために、キレイに清書してほしいときは、そう言うから。
それが欲しいんだよね。一案じゃダメなんだ。豊富なアイディアじゃないと。
それをパパッと出せて、チャチャっと見せてくれる、そういうプロが欲しいのであって、一週間も二週間も待たされて、キレイな企画書が一冊ダケ出てくるようなプロは要らないんだよね。それがたとえ天下の電○であっても。
だから、御社に頼むんだよね。
それにサ、こちとら、お見通しなんだよね。企画書の提案者は、彼らの名前になっているけど、ウチの部署は、広告を出すわけじゃないから、実際は、彼ら
じゃなく、御社にのような下請が作っているってコトを。だったら、最初っから、御社に頼んだほうがいいでしょって話なのよ」
この時の会話が、選択戦略誕生の嚆矢となった。
選択の余地
売り買いではなく、選択をキーワードに考えてみると、いろいろな現象が符合してくる。
求めているものが暗黙知である場合は、選択の余地があるため、選ぼうとする。
求めているものが形式知である場合は、選択の余地がないため、選びたくない。
わかりやすく例示すると、11:59分に、
「昼食、何にしようかな?」
と思っている人は、スパゲティにするか、鰻重にするか、ラーメンにするか、牛丼にするか、サンドイッチにするか、まずはそこから検討に入る。
これが「選択の余地がある場合」であり、求めているものが「暗黙知である」場合。
一方、「今日の昼はハンバーグだ」と決めている人に、「お寿司はいかが?」と訴えても聞き入れられにくい。
「当店の寿司は旨いよ?」
「今日はハンバーグを食べるんだ。寿司の味なんざ知ったこっちゃない」
「食べていきなって」
「うるせー」
となる。
これが「選択の余地がない場合」であり、求めているものが「形式知である」
場合。
これは、ハンバーグを食べたい人も取り込もうとして起きる摩擦である。成熟社会における寿司は、盆正月のご馳走ではなくなったのだ。
この場合、寿司屋が採る方向性は、
・ハンバーグを食べたい人は切り捨てる
・寿司を食べたい人を取り入れる
・何を食べようか迷っている人を取り入れる
のが妥当。
食事だけではない。トヨタのクラウンを買うと決めている人に、日産のフーガ
を勧めても無駄。
勝負は、買う時点で決まっている。戦いの時は、選ぶ時点にある。
選択権
この選択戦略は、ニーズとウォンツだけだと説明がつかない。
順序としては 暗黙知→形式知であるから、割合としては、形式知になっていないケースの方が多い。無知が圧倒的に多く、暗黙知>形式知の順になる。
ということは無知を暗黙知に、暗黙知を形式知に、形式知をニーズとウォンツ化して「それだ!」と覚醒させる必要がある。これが、マーケティングのawake(アウェイク)である。
この「選択の余地」を知らずに、のべつ幕なしに「ウチのを買ってください」と触れまわるから、選択の余地がない人から「いらん」となる。
それがしつこくなると「うるさい」と嫌われる。
それでは売れないため、小賢しい知恵者は、詐欺スレスレに騙して売る。
悪質商法だけではない。拙著に取り上げたマイラインの例のように、遠回しにだまして売ろうとする、名のある会社も多い。
「その商品を購入すれば、どんな便益を享受できるか?」という基本を忘れ、利益という我利だけを追究し、売ることで散財させようとして、躍起になっているのが今の日本の(マーケティングを知らない)営業ではないだろうか?
その原因は、売りが目的になっているためである。
もちろん、会社が営利追究団体である以上、販売による利益獲得は至上命題であるといっていい。
しかし、成熟社会においてそれは、万人に向けたものではない。買う人は買うし、買わない人は絶対に買わないのである。
それが選択者であり、選ぶか選ばないかの権利は選択者が有している。これを選択権という。
■選択戦略の戦術化
マーケティングにおける戦略が戦術化されなければ、机上の空論に過ぎない。
そこで私は、選択戦略を戦術化してみた。ビジネスに使ってみたのである。
この先は長くなるので、ここで一旦終わるが、結果だけを先に申し上げると、圧倒的なインパクトを与え、新規の顧客を開拓するのに成功した。
選択戦略の戦術化に取り組んでみてはいかがだろう?
お客さんに喜ばれること間違いないし、延いては、あなたの成果も上がること間違いない。
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