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はたち

「ご年齢っておいくつですか?」

「20歳です」

そのテレビクルーにあったのは偶然とは思えない。

地元のご飯とか、その土地の特性とかを題材にする結構有名なそのバラエティー番組は、子供の頃、親戚の家に集まった大人たちの話がつまらないので、仕方なくずっと見ていたのをよく覚えていた。

私のインタビューの瞬間もどこかでつまらない話をする大人と子供の混ざった空間で流れるのだろうか。

大人と、子供。

こう区切るときに私は頭の中で自然と子供の中に自分を含める。実際には二十歳の自分も大人だ。

子供の頃から大人っぽいと言われて育った。

両親が厳しかったので身についた所作と顔立ち。

同世代の友達と話すときはいつもその場の年長者のようになる。

「米粒付いてるよ」と指摘すると、「お母さんみたーい」と言われる関係。

お母さんみたいだと笑う子の持つ少女性がとても羨ましかった。

私も米粒を頬につけて、誰かにそれを指摘されてみたい。

子供の頃はそんなこともあっただろうか?

子供だった自分を想像すると、そこにはいつだってつまらなそうにテレビを見る小さい女の子がいる。

それこそ、私が二十歳ですと答えて、ワイプの芸能人が「みえない」とか「大人っぽい」とか言う映像を見ているように、子供だった私は、今の私をつまらなそうに見ている気がする。

私が、私を見ている。という感覚は特別じゃない。

わかるような気がすると、同世代なら皆が言うだろう。

なぜなら二十歳の私達は、三十歳の私達をつまらなそうに見ているから。

どんな人とどんな場所にいるのか。

まだ知らない未来を見るときは、つまらなそうにする。

でも見られている未来は、今は、二十歳はそんなには悪くない。

そのことに安心しながら三十歳の自分も、四十歳の自分も、まるでバラエティー番組をつまらなそうに見る割には決して消さないように生きていく。

ご飯粒をつける友達にテレビに出ることを教えよう。きっと喜ぶはずだ。

友達が映るテレビなら、きっとはしゃぎながら見れるはずだ。

はたちの私も、その先も。


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