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うんこを見て笑顔で嫌がる

僕が小学生の頃に友達数人と帰宅しようと校門を出るとすぐにある電柱の足下には街中で見かける犬の糞とは違った、明らかに人のものであろう立派な糞が落ちているのを見つけると、全員がニヤニヤしながら気持ち悪いなど言いながら2、3日話し合えたものである。

年を重ねて、未だにうんこは笑いの種になっていて、大人になる度に「好きだが嫌いな」物が増えていく。ここで大事なのは好きと言う感情が先にくることである。

この記事を読んでいる方にもこの感情を覚える事があるのだろうか。

私の例を挙げるのならば、長渕剛Buck Numberである。この2組のアーティストをよく聴くのだが、メロディーは言うまでも無く良く作られて、そのメロディーに対する歌詞の乗せ方も良く出来ていると思うが、問題の「嫌い」の部分が大事な歌詞なのである。

もちろん嫌いと言ってもBGMとして聴くこともあるし、カラオケで歌う事もある程度には「好き」ではある。世間一般では共感を産んでいて、時に悲しく、時に励まされることも大いにあるのだろう。だからこそ多くの人が付いていて、ライブにも人が集まり、熱狂的なファンがいるのであろうから、自分の感性が間違っている事も自覚している。

だが何度聴いても、あの女々しい歌詞に対しては共感を持てない。むしろ気持ち悪さを覚えるが何故かまた聴こうと思ってしまい、良い曲と思ってカラオケでも歌い、ドライブのBGMに流してしまう。

これこそまさに「うんこを見て笑顔で嫌がる」と最近気づいた時は、まさに天啓を得るとはこの事かと思ったが、この感情を色々な人に説明しても中々伝わらないのが現状である。

勘違いしないでいただきたいのは、長渕剛やBuck Numberをうんこと言っている訳では無く一つの喩えであって、本当に糞と思っている物は口には出さず、聴きもしないので批判や、討論しあえるほども知識も無いので例にも挙げられない。

あくまでも私の言ったことは愛を持っていて、好きである事が前提ではあるが、鳥肌が立ちながら、気持ち悪いと口に出していながらも笑顔である。

皆さんも「うんこを見て笑顔で嫌がる」時があるだろうか。

ちなみに、車高が地面スレスレでコンビニに入る時に斜めにハンドルを切るセダンの車にも同じ感情を抱く。

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