【書評】レイ・ブラッドベリ『華氏451度』
「火は最高の清潔。火は浄化の象徴」
そのスローガンのもとに、本を持ち主と共に焼き殺す放火隊<バーナーズ>がきょうも出動。だがひとりの隊員が、ふとした気まぐれで一冊の本を懐に庇い入れて、その時から国家反逆者として負われる身にーーというのが物語の筋。
主人公は森へ逃げ込み、そこで<ブックピープル>と遭遇する。彼らは本の化身ともいうべき人たちで、ひとりはシェイクスピアを、別のひとりはゲーテを完全に暗唱する。もし捕まれば火あぶりになるのだが、彼らの信念は固く、主人公にこう告げる。
「本は自由と尊厳の象徴。テレビは単なるテクノロジーで、火は科学の誤用」
1960年に刊行されたこの近未来小説からは、遠い過去に存在した「語り部」を思い起こさせる。かつての社会は「語り部」を必要とした。ものごとを記憶し、それを人々に語り伝える人間を。
そしてもうひとつ、焚書のことを。
「近世最大規模の焚書はナチによって行われた。1933年のことだ。彼らはドイツ全土の大学で「悪書追放運動」を主導し、それに呼応した10万人の学生たちが広場で本を火中に投げ入れた。
「みんな正気でした」
加わったひとりの人物は後にそう語った。たしかに誰もが正気だったといえる。彼らは選んで本を燃やした。マルクス、フロイト、ブレヒト、ジョイス。そして自著が焼かれる現場に居合わせた作家もいた。エーリッヒ・ケストナーである。焚書グループは彼を見つけてその名を叫んだ。彼は急ぎその場を離れて難を逃れた。本が彼の身代わりになった。本を焼いた物たちは人も焼いた。