田中洋勲

田中 洋勲(たなか ひろふみ)■1954年、福岡県に生まれる。 ■久留米高専工業化学科…

田中洋勲

田中 洋勲(たなか ひろふみ)■1954年、福岡県に生まれる。 ■久留米高専工業化学科卒業後、さまざまな職業を経て小説家に。 ■これまで「淋しい惑星」「天空ドップラー効果」「万有引力」「ミスターP.C」「星よりひそかに」を刊行

最近の記事

【書評】ロバート・パットナム『われらの子ども』

 著者は言う。 「私は『孤独なボウリング』で米国人のコミュニティが確実に衰退していることを明らかにする証拠を積み上げていった。棟上げ会、アップルカッティングパーティ、草の根運動、パブ、選挙投票率、宗教団体、どれも減少の一途である」  そしてこう指摘する。  「リベラル民主主義の成功と思われたものが実は社会制度の解体であり、社会的、文化的前提が風化してきたと疑うに足りる現象が起こっている」  著者が子どもだった1950年代のアメリカは、経済と教育が拡大し、所得平等性は比

    • 【書評】与謝野晶子訳・注解 紫式部日記

       「今自分のいる部屋というのは、黒く煤けた一室で、十三絃の琴と七絃の琴とか時々弾かれるものでありながら、自分の不精からアメの二には気をつけて琴柱を倒しておけと侍女達に命じることもしないでいるので、塵がいっぱいに積もっている。琵琶はまた置棚と柱のうしろへ上のところを突込んだまま一つは右に倒れ、一つは左に倒れている。大きい一揃いの置棚の上へ隙間なしに置かれてあるのは、一つの方は歌書と小説類の古い本で、もう紙魚のすのようになっている物ばかりであるから、手に取ると離れ離れになって散乱

      • 【書評】ルース・ベネディクト『菊と刀』

         「20世紀の問題点のひとつは、私たちは何が日本をして日本人の国たらしめているかだけではなく、何が合衆国をしてアメリカ人の国にしているかについても、いまだにこの上なく漠然とした偏った見方しかできていないことです」  本を書き上げて、著者はそう述べている。己を知り、敵を知ること。それが兵法の教えだが、彼女は戦略かでもなければ政治家でもない。それなのに、いや、それゆえに白羽の矢が立った。  「1944年6月、私は日本について研究する任務を与えられた。文化人類学者としての専門技

        • 【書評】宇野常寛・濵野智史「希望論」

           一方にジョージ・オーウェル的「ビッグ・ブラザー」の権力像を物語り以上に真に受ける人たちがいる。そしてもう一方には村上春樹によって描かれた「リトル・ピープル」のイメージを持つ人たちがいる。  現代は後者の像が拡張されているように見える。つまりオーウェルが示した国家イコール疑似人格的な権力観はもう過去のもので、いまは非人格的なシステムの自己増殖が見えない権力を生んでいるという説だ。リトル・ピープルはマルチ・チュードと同じだろうか?  資本主義はたしかに謎の多い運動体で、それをど

        【書評】ロバート・パットナム『われらの子ども』

          【書評】デヴィッド・グレーバー『万物の黎明』

           「現代の社会的不平等の起源はどこに?」  それを解き明かそうとしたのがこの本だ。著作者の立脚点は人類学。  「人類史のなかで、なにかがひどくまちがっているとしたら――そして現在の世界の状況を考えるならば――そうでないと見なすのは難しいのだが――おそらくそのまちがいは、人びとが異なる諸形態の社会のありようを想像したり実現したりする自由を失いはじめた時から始まったのではないか。おそるべき想像力の欠落、貧しさ。人類はもっと豊かな社会像を持つことができるはず。現代のヒエラルキー

          【書評】デヴィッド・グレーバー『万物の黎明』

          【書評】白川静『字統』の理念

           白川静とは何者だったのか、中国人がなし得なかった感じの体系的な成り立ちを明らかにした人だ。  甲骨文字から現代に到るまで、感じは3500年の歴史を持つ。象形がいまに生きている。そのなりたちから現在と未来の姿を展望すると、何が見えるか。  「象形文字は世界の模型だ」と白川は言った。「文化の上からは世界は、印欧系、アラブ系、東アジア系に三分され、うち東アジアだけが最も原始的な文字を持つ。そして宗教を武器とせず、古いアミニズム的新興を生き続けている」それが彼の世界像だった。  過

          【書評】白川静『字統』の理念

          吉本隆明の疎外概念

           それはおそらくマルクスに由来する。『経済学・哲学手稿』の一文を引く。  「人間の肉体的および精神的生活が自然と連関しているということは、自然が自然自身と連関していること以外のなにごとも意味しはしない。というのは、人間は自然の一部だからである」  つまり疎外とは、自然の一部でありつつ、ひとつの精神でもある人間の矛盾だ。精神すなわち意識は、意識的存在以外の何ものでもなく、存在は意識なくばただの存在。そこまで詰めれば、存在が意識を規定するという解が導き出され、それが「下部構造が上

          吉本隆明の疎外概念

          【書評」デヴィッド・ハーヴェイ『資本論入門』 

           よく見かける啓蒙書のひとつとして読んだ。おかげで頭の中が整理された木がいた。それらを書き並べてみる。  まずはマルクスの考えの要所はどこかということだが、著者によればつぎのこと。  (一)貨幣がどのように古代の共同体を解体し、自らが共同体的な存在になっていったのか。  (二)商業の発展は必ず使用価値から交換価値へと向かうものなのか。  そしてマルクスの考えが及ばなかったことが今日出現しているのだが、それは何かといえばつぎのこと。  (三)水や空気までが使用価値と交換価値を持

          【書評」デヴィッド・ハーヴェイ『資本論入門』 

          ル・コルビュジエの遺物

           「わたしは多くの国々に行き、多くの人々と語り合った。わたしには理念があり目的があった。わたしは多くの病める声を聞いた。貧困があり階級があり差別があった。わたしは解放の唯一の道を説いた」  この言葉は革命家ではなく建築家が発したものだ。彼の名前はル・コルビュジエ。強い社会変革の意思を持ち、それを建築によって具現化しようとした。その彼が労働者のための集合住宅を設計することになった。  マルセイユに<ユニテ・ダビタシオン>が建てられたのは1953年である。広さ3.5ヘクタールの丘

          ル・コルビュジエの遺物

          チェスタトンの悟り

           「おとぎ話はふたつの確信を私の中に植えつけていた。第一に、この世界は実に不思議な驚くべき世界であって、今とは全く別線になっていたかもしれない世界、しかし同時に全く異様に歓びに満ちた世界だという確信。第二に、この不思議と歓びを前にしては、現実の制限に従わなければならないという確信。このふたつだ」  そのチェスタトンの少年時代の確信は大人になるにつれて揺さぶられることになる。1874年生まれの彼を揺さぶったのは産業資本主義だ。そのパワーとスピード。合理と効率のひたすらの追求、生

          チェスタトンの悟り

          【書評】ジョン・ファウルズ『アリストス』

           序にいわく、「アリストス」とは古代ギリシャ語で、「与えられた状況のための最良の者」というほどの意味だそう。  生きている誰しもが今という状況と向き合っている。その人なりの人生観や世界観を作りつつ、都度の出来事に対処している。著者ファウルズもまたそうで、この本は「1950年代に、一人のイギリス青年と世界とが出会ったさまを記したもの」である。  彼によれば時代は暗い。彼はこう言う。  「この世紀は、ちょうど18世紀のように、全面的な生産に向かって進みつつあり、私たちは1984年

          【書評】ジョン・ファウルズ『アリストス』

          ジョージ・オーウェルの証言

          「労働者階級が権力を握っている町に来たのははじめてだった。ほとんどすべての建物が労働者によって選挙され、その窓からは赤旗と、アナーキストの象徴である赤と黒の旗が垂れていたー教会はみな破壊され、聖像は焼かれていたー商店やバルは、どこも共同所有に移された旨の貼り紙があった。靴磨きさえ箱を赤と黒に塗っていた。給仕や店員も客を自分たちと同等に扱い、卑屈な言葉使いも形式張った言い方も姿を消した。チップは法律で禁じられていた。エレベーターボーイにそれをやろうとしてホテルの支配人に叱られた

          ジョージ・オーウェルの証言

          【書評】養老孟司『からだの見方』

          養老孟司 『からだの見方』を読む  著者によれば脳は本来<共有>のための道具なのに、誰もがそれを<個有>のものと思い違いしている。近代自我はそこで壁にぶつかる。そう、バカの壁だ。著者はまた、脳はまねることしかしないと言う。近代社会の全体が似かよっているのはそのせいだと。  たしかに現代は「脳化社会」だ。唯脳主義者たちが都市化と人工化をどんどん進め、自然を切り刻んでいる。人間は身体という自然を有しているが、そこにも脳化は及んでいる。病の克服、死の拒絶。どこまで行くのか?

          【書評】養老孟司『からだの見方』

          【書評】吉本隆明『家族のゆくえ』 

          吉本隆明 『家族のゆくえ』を読む  標題よりも著者自身の<老い>についての考えや実感が多く語られている本だった。刊行は著者八十歳の時。まずは老齢者の定義からはじまる。  「頭や想像力で考え感じていることと、それを精神的にか実際的にか表現することの間の距離が普通より大きくなっている人間」  つまり齢を重ねていくうち、身体が心に添わなくなった人のこと。  「もちろんわたしは自己の実感以外には、基礎となる考えをもっていない。それにもかかわらず、身体の運動性の減退とともにはじ

          【書評】吉本隆明『家族のゆくえ』 

          【書評】鷲田清一『老いの空白』 

           「人生の入り口と出口をくぐり抜けるのがとても難しい時代になった」 そう著者は語る。大量消費社会の住人たちは早く成長することを求められ、社会のきまりに、経済システムに従うことを求められる。いかに社会適応するかが鍵なのだ。  子どものなれの果てが老人なら、現代社会の主役はめでたく適応した子供と、過度に適応した老人ということになる。そんな世界はごめんだと言いたいが、すでにそうなっている。人々はまるで生きているかのように死んでいる。 ポルポトは<人民精算計画>なるものを立てた

          【書評】鷲田清一『老いの空白』 

          【書評】レヴィ・ストロース『構造人類学ゼロ』

           アメリカの死相が出ている。それを予見したのがこの本だ。若き人類学者が書き留めた1940年代のアメリカ合衆国についての考察。ストロースのその時の職分は文化参事官である。  「アメリカほど、他人同様、自分も幸福になれるような国はどこにもない。しかし、集団的解決に同調できない人、あるいは同調を欲しない人にとって、アメリカほどどんな災難が訪れるか分からない国もない。そこにこそ真の悲劇、アメリカ文明にとっての根本的な悲劇が始まる」  先住民への攻撃や南北戦争を歴史的錯誤と顧みるこ

          【書評】レヴィ・ストロース『構造人類学ゼロ』