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【書評】橋本治『源氏供養』

 「源氏物語に<私>はありません」と著者は言う。そこの自意識の一人語りは全くなく、登場人物たちはみんな語り手たる紫式部によって語られた無我の海に漂っているのですと。
 それを翻訳するには式部に同化するよりない。だがもしそうできても、訳文は波間に漂うばかりとなる。どうする?著者は物語の主人公となる光源氏に語らせることにした。
 『窯変源氏物語』はそうして生まれた。
 「私は古典を古典として神棚の載せておくことができないのです。古典は<生き物>だと思って、だからこそそれをはっきりさせるために、古典をもう一度<歴史>の上に載せてしまいたいと思うのです」
 それが著者の意図で、彼はそのための改変をためらわない。原典は女によって書かれた女のための物語だったが、それを男が書けば、男の無常観に浸された女性遍歴の物語になる。
 意図は細部に注がれる。平安期の宮中人たちの人間模様は、よりくっきりと描き出される。男女の性愛、親子の血筋、母子相姦も父娘の相姦も原典のあいまいさをぬぐい去る。
 だが物語は錯綜している。時代の色あいも現代とは大きく異なる。著者はそこを着る。
 「私は身分制度の成り立ちと女性差別の構図に行き当たったようにも思います。平安時代の女流文学は現代の少女マンガと位相的には同じものです。自分からは動けず、何もできない女たちがそこにいるのですから」
 紫式部が描いたものは心理劇であり政治劇であり恋愛劇だった。それが千年の時を経て読み継がれている。「源氏物語」という悪品はそのことだけでも再生の試みにふさわしい。
 著者の橋本治はそれを行った。「式部が書こうとして書けなかった部分まで、<現在>という時間と<男の目>という立場を使って」
 それは大きな骨折り仕事だった。

Amazon.co.jp: 源氏供養(上)-新版 (中公文庫 は 31-40) : 橋本 治: 本

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