【書評】H・カレール=ダンコース『レーニンとは何だったのか』
一九一二年のレーニンはいつものように自分の判断に自信を持っていた。ヨーロッパに戦争は起こらない。
だが戦争は始まり、彼はそこでも判断を誤った。ドイツは参戦しない。社会民主党が議会投票で反対する。世界で最も歴史が古く、党員数が最も多く、最も正統的なマルクス主義者たちのいるドイツこそ、世界革命の引き金を引いてブルジョワジーに対抗するはずだと彼は確信していた。
しかしドイツのプロレタリアたちは、無制限の戦費支出を認める政府法案に賛成し、「祖国防衛戦」に加わった。フランス、オーストラリア、英国の社会主義政党も戦争支持に回った。
レーニンは激怒した。彼らは社会主義を裏切った。ならば私はきょうから共産主義者になると決意した。
戦争はロシアを苦しめた。大量の死者、負傷者、脱走兵を生み、国土は荒廃した。かつてナポレオンを打ち破った焦土作戦は失敗し、深刻な食糧不足をもたらした。
ロマノフ帝政の命運は尽き、それを革命にどうつなげるかがボリシェヴィキの課題となった。レーニンは「戦争を敗北に導くことが革命への道だ」と説いた。「これは帝国主義の戦争である。つまり略奪の戦争である。われわれはそれを資本主義を破壊する内戦に転嫁せねばならない」
レーニンはそれを成しとげた。理論と策略と威嚇によって。彼はまさに革命家だった。
かつて西欧プロレタリアートの日和見主義をレーニン以上に厳しく指弾した者はいず、また戦争になびいた労働運動の破綜を彼以上に批判した者もいない。ヨーロッパと世界は彼を助けなかったのだ。
レーニンとは何だったか | エレーヌ・カレール=ダンコース, 石崎 晴己, 東松 秀雄 |本 | 通販 | Amazon
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?