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【書評】片岡義男『日本語の外へ』

片岡義男は自己形成の過程で日本文化とアメリカ文化の差異を強く意識づけられた。だから彼は間に立つ人間になった。

 「日本語で送る人生は方便だ」と彼は言う。ことごとく馴れ合いに水を流す日本人。欲しいのは可能な限り正確な認識の照合や確認なのに。

 対して英語の世界は、動詞が主体の責任を明示する。そのセンテンスは問題の分析と解決を促す。アメリカのタイプライターの音は民主主義の音だと彼は言う。

 日本という国についての彼の見解はこうだ。

 「まだごく幼い僕がふと気づいたら、日本つまり自分の国は勝つはずのない戦争をしていた。勝つはずのない戦争をしていた国、それが僕にとっての自分の国だ。ただ単に戦争をしていた国ではなく、勝はずのまったくない戦争をしていた国だ。僕にとって自分の国とはそういう国であり、僕が自分の国を巡って持っている国家観はすべてこの認識の上にたっている。どうごまかすこともできない、見ないでいたり考えることを避けたりすることも不可能な、否も応もなくとにかく正面から受け止めて引き受けるほかはない。僕という人間にとっての日本国家観だ」

 そしてアメリカについてはこう。

 「アメリカにとって、価値判断の基準でもっとも大切なものを一言で取り出すならば、それは汎用性の高い公共性に裏打ちされた、あるいは最終的にはそのような公共性に帰結する、自由というものだと僕は思う。その自由は国内では自由競争という概念を与え、国外に持ち出された時には、世界中をアメリカと同じような民主主義の場にしようとする行動となった。そして現在のアメリカは、世界のなかでの競争を維持させていく力を自分たちは失いつつある、という自覚を持つに到っている」

 片岡義男はずっと日米両文化かのはざまを歩いている。時に『日本語の外へ』出て、『影の外に』出る。その足どりは確かだ。

日本語の外へ(角川文庫)
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